7.2.10

塚本邦雄の三歌 戦後、過日、煌めき

(A)たまかぎる言はぬが花のそのむかし大日本は神国なり・き

(B)春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状

(C)あぢさゐに腐臭ただよひ、日本はかならず日本人がほろばす


 Aについて:

枕詞「たまかぎる」は、玉のごとく麗しいこと限りない、の意味。
大日本=神国に係るのではなく、そのむかし、に係るのではないか。
そう読むと、あまりに保守的でもはやお伽話じみたノスタルジーだ。
だって、過去それ自体が好いもの、なのだから
(=「なのに最近の若い者は…」)。
過去の栄光の大日本。これが歌のベース、下地、となる。
そこに突きつけた「言わぬが花」と「・き」が現在のスタンスで、
歌の意をどう舵取らせているのか。
いや、むしろ、過去のベースから、現在にいる読み手が
どれだけ立ち位置を遠ざけているか、
ということで読み解いた方が良いように思う。

過去は現在に深く繋がっている。
戦後の経済発展を享受しながら、
過去を棚上げにして素知らぬ顔の平均的日本人が、
読み手の目の前にあるわけです。
その仮面を剥ぎ取り「じゃあ昔の日本はなんだったんだ?」と
問うたときの答えが、この一歌なんじゃなかろうか。
「・き」の中黒の空白の意味するところは?
哀愁の心地? 訣別?


 Bについて:

夢=春の夜の夢ばかりに包まれていること
現実=春の夜の夢が永続しないこと、召集令状
「あかねさす」は「日」に係るが、ここで召集令状に係っていることで、
召集令状が夜明け(=現実)であると読める。
召集令状の赤色、さらには日章旗・旭日旗が透けて見える。
夜明けに赤紙を渡されて目覚める。戦後から戦中への逆戻り。
あり得ない時間の逆行を、この歌は提示しているのだ。

あかねさす召集令状は、果たして夢の続きなのか現なのか?
残念ながら現なのだ。向かう先は?
街頭の右翼の主張するような無謀な自滅を揶揄したいのか、
物質的にばかり豊かになってだらけた国に頬を張りたいのか?


 Cについて:

「あぢさゐ」はアジサイ科の卯の花から「卯の花腐し」を連想させる。
むんむんとした五月雨の湿気の中で咲いて、咲いたまま腐敗する。
梅雨が過ぎて旭日が空に輝くとき、日本は蘇るのだ! みたいな感じ?
しかし、これは読み込みの一つだ。そこまで過激には歌われていない。

危うい感じだが、両手挙げての断言というより、鋭利な指摘、だ。
戦中の精神性、戦後の経済至上主義、両者の断絶としての戦争・戦後。
この三者の関係を歌った短歌を挙げてきた。この歌もそうだ。

面白いのは、「日本」をニッポン、「日本人」をニホンジンと読む相違。
大意に添えられた技巧ではあるが、精緻さを感じさせる。

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