均一な国土の概念は近代国家の成立要件であって、
その支配と概念普及のため、地図の作成は国家プロジェクトだ。
国土地理院の前身が陸軍参謀本部にあり、
国土の拡大に伴い朝鮮半島、台湾、満州までも測量している事実からも、
その目的の一端は読み取れよう。
そして、現代。日本国とロシアの両邦が主権を主張している北方四島も、
領土であるからには国土地理院が地形図を作成している。
しかし実質的にはロシア領であるため、大正年間の測量の街並が
甘い時代の記憶のようにいまだに残されている現状は、二枚舌を感じさせる。
この事象のように、この本で触れられている"戦争の時代"の幅は広い。
世界中が戦争を経てきたのだから、地図を漁れば戦時中の名残りにぶち当たる。
その広汎な名残りを救い上げて、解説してくれる。
私個人としても地図や路線図を眺めるのが好きだから、
この本を非常に面白く読んだ。
随所に現れるのが第二次大戦中の防諜としての地図改竄だ。
広島の多久野島は毒ガスを生産し、地図から消された島として有名だが、
そのレベルではないにしても地形図の至るところで
「戦時改描」が行われていたとは、初めて知った。
工場が住宅地や空き地などとして書かれ、軍港から等高線の表示が消える。
しかし住民は真実を知っているし、米軍もちゃんと把握して目標を攻撃した。
そして現代に至って、このことを知らない者を額面どおりの誤読へ誘う。
「建物疎開」なるものが行われていたことも知らなかった。
田舎への疎開とは違い、建物疎開は延焼を防ぐため建物を壊して道を拡げること。
そして、それが例えば名古屋の久屋大通になり、
京都の堀川通や御池通を拡げてモータリゼーション対応に役立った。
こういった生活レベルでの多大な犠牲は、意外と我々は知らない。
それを読み取る能力と、その悲しみに共感できる想像力。
作者は両者を多分に持ち合わせた文体で、地図から時勢を掘り起こす。
29.7.11
イタロ・カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』
『われわれの祖先』三部作の一。
トルコとの戦争でまっぷたつになって帰還した子爵が悪の権化となり、
善のもう半分と戦い、そして一緒になるまでが、寓話的に語られる。
寓話的な物語論理が支配しているから、ストーリー展開は読める。
しかし、そういう物語はクライマックスの運びが、結末への着地が難しい。
この作品のさわりは、二つの半分ずつによる決闘だろう。
剣が相手へ届くが、もう半分のあったところばかりを切り裂く。
それは、刺している身のあったところだ。
また、善と悪の奇妙な一致も面白い。
完全だったころにはわからないものが見える、そう二つの半身は呟く。
そこで、この小説で描かれる善悪とは、関係性においてなのだとわかる。
憎しみや妬みが悪、慈しみや哀れみが善。
トルコとの戦争でまっぷたつになって帰還した子爵が悪の権化となり、
善のもう半分と戦い、そして一緒になるまでが、寓話的に語られる。
寓話的な物語論理が支配しているから、ストーリー展開は読める。
しかし、そういう物語はクライマックスの運びが、結末への着地が難しい。
この作品のさわりは、二つの半分ずつによる決闘だろう。
剣が相手へ届くが、もう半分のあったところばかりを切り裂く。
それは、刺している身のあったところだ。
また、善と悪の奇妙な一致も面白い。
完全だったころにはわからないものが見える、そう二つの半身は呟く。
そこで、この小説で描かれる善悪とは、関係性においてなのだとわかる。
憎しみや妬みが悪、慈しみや哀れみが善。
26.7.11
穂村弘『短歌ください』、フィリップ・ロス『さようなら コロンバス』
・ 穂村弘『短歌ください』
同名で『ダ・ヴィンチ』に連載の記事をまとめたもので、
読者からの投稿から優れた短歌を載せ、著者がコメントを附している。
選者が穂村弘だからか、はっとさせるような口語の短歌、
穂村弘っぽいものがほとんど。
気に入った歌をいくつかメモしておく。
共感できる一瞬や一主観を捉えた静画のような歌が多く、面白かった。
それにしても、素人とプロとの違いが透けるようだ。
両者の相違が曖昧だとしても、こうして比較が膨らむと一般性が見えてくる。
素人はやはり自分の体験に立脚していて、
そこから一般性が取り出されて共感や感動に至る。
プロはもう体験は薄い。
主題がすでに虚構の域にあって、アンチテーゼの位置から現実を貫通する。
そんなように、読んで感じた。
読みやすさという点では、むしろ素人の歌で秀逸なもののほうが勝ろう。
・ フィリップ・ロス『さようなら コロンバス』
ロスのデビュー作。描写が軽やかで爽やかだった。
ユダヤ人家庭の貧富、街の貧富と、
それを乗り越えようとする若い人々の意識されざる苦労が、
主題とは別のところで鮮やかだったように思う。
同名で『ダ・ヴィンチ』に連載の記事をまとめたもので、
読者からの投稿から優れた短歌を載せ、著者がコメントを附している。
選者が穂村弘だからか、はっとさせるような口語の短歌、
穂村弘っぽいものがほとんど。
気に入った歌をいくつかメモしておく。
カーナビが「目的地です」というたびに僕らは笑った涙が出るほど
君は君の匂いをさせて眠ってる同じシャンプー使った夜も
たくさんの遺影で出来ている青い青い青い空を見上げる
「ねえ起きて」ほっぺを軽くはたかれて思えばあれが最初のビンタ
この空を覚えていようと誓った日そのことだけをただ覚えている
ほんとうのこと(今日世界で死に果てた羽虫の総数など)を知りたい
共感できる一瞬や一主観を捉えた静画のような歌が多く、面白かった。
それにしても、素人とプロとの違いが透けるようだ。
両者の相違が曖昧だとしても、こうして比較が膨らむと一般性が見えてくる。
素人はやはり自分の体験に立脚していて、
そこから一般性が取り出されて共感や感動に至る。
プロはもう体験は薄い。
主題がすでに虚構の域にあって、アンチテーゼの位置から現実を貫通する。
そんなように、読んで感じた。
読みやすさという点では、むしろ素人の歌で秀逸なもののほうが勝ろう。
・ フィリップ・ロス『さようなら コロンバス』
ロスのデビュー作。描写が軽やかで爽やかだった。
ユダヤ人家庭の貧富、街の貧富と、
それを乗り越えようとする若い人々の意識されざる苦労が、
主題とは別のところで鮮やかだったように思う。
11.7.11
北條民雄『いのちの初夜』
彼の本名はわからない。
癩病患者が隔離されて社会的に生きられなかった時代で、
小説家=ジャーナリストとして隔離施設の内情を描こうにも、
本名を使うことは肉親のためにできなかった。
ハンセン病の患者がすでに人として死んでいて、
そこには単に生だけが生々しくある、という主題。
現代であれば差別的、当時の風潮は、云々の書評は不要。
例えば戦争文学だと思って読む、そうすれば別の見え方になろう。
そうやって透ける骨組みが、この小説の純粋に文学的な価値だ。
第三回芥川賞候補作に挙げられ、受賞は逃したが川端康成などから評価された。
室生犀星が「斯る作品はこの「いのちの初夜」一篇によつて
その文学使命を完了してゐる」と選評で云ったように、
小説というよりジャーナリストの取材のような傾向も多分に読める。
なお、その回の受賞は石川淳の『普賢』。
私も同じ理由で、この作品を知っていながらも長らく読まなかった。
しかし、今回ふと手に取って、面白く読んだ。
現状に屈しながらただ一つ屈せずに小説を書いている病の軽い佐柄木という青年が、
そのいやに光溢れる義眼が、この短篇で光っている。
癩病患者が隔離されて社会的に生きられなかった時代で、
小説家=ジャーナリストとして隔離施設の内情を描こうにも、
本名を使うことは肉親のためにできなかった。
ハンセン病の患者がすでに人として死んでいて、
そこには単に生だけが生々しくある、という主題。
現代であれば差別的、当時の風潮は、云々の書評は不要。
例えば戦争文学だと思って読む、そうすれば別の見え方になろう。
そうやって透ける骨組みが、この小説の純粋に文学的な価値だ。
第三回芥川賞候補作に挙げられ、受賞は逃したが川端康成などから評価された。
室生犀星が「斯る作品はこの「いのちの初夜」一篇によつて
その文学使命を完了してゐる」と選評で云ったように、
小説というよりジャーナリストの取材のような傾向も多分に読める。
なお、その回の受賞は石川淳の『普賢』。
私も同じ理由で、この作品を知っていながらも長らく読まなかった。
しかし、今回ふと手に取って、面白く読んだ。
現状に屈しながらただ一つ屈せずに小説を書いている病の軽い佐柄木という青年が、
そのいやに光溢れる義眼が、この短篇で光っている。
山川元『東京原発』、フィリップ・ロス『父の遺産』
○山川元『東京原発』
福島原発事故以前の2004年の作だが、
この今観るとそのブラックユーモアが揃いも揃って現実の問題を揶揄している。
東京に原発を誘致しようという天馬都知事が、本気で誘致しようとしたのか、
それとも原発問題を都市の人間に考えさせるために突きつけた剃刀だったのか、
それは結局よくわからなかった。
ストーリー的には後者が次第にほの見えてくる真意、ということになるが、
そちらが前者の衝撃に比して弱く、結局はうやむやに記者会見を迎える。
この肚の見えない摑みどころのなさが、わかりやすい展開の中で唯一残り、
原発の、見えない放射能や利権構造を思わせる不穏さを覚えさせられた。
場所が会議室から、核燃料を積んだトラックをジャックした少年との戦いへ、
舞台が机上から溢れ出て手に負えなくなってゆくストーリー展開が面白いと思った。
爆弾を解体した知事の捨て台詞「この世に絶対なんてあってたまるか」が、
そのまま原発の安全性への疑問へと繋がる。
天馬という都知事の名字は、鉄腕アトムの生みの親の天馬博士からか、と思った。
○フィリップ・ロス『父の遺産』
ロスの父に脳の腫瘍が見つかってからの父と子をめぐる、
回想を織り交ぜた苦闘を描いたノンフィクション。
しかし読者にとってこの作品は小説以外のなにものでもない形状をしている。
この作品がフィクションをどの程度含んでいるか、読後に興味を持った。
この澱みなくストーリーの展開する書き口が、フィクションの文体なのかどうか。
もちろん、構成はあるだろう。回想により時間軸を超えることで、
小説の構成力は格段に向上する。
あるいは、父という強烈なキャラクターをめぐる思い入れの深い出来事には
ありとあらゆる意味や隠喩が自然と込められていて、
想像力が何ごとも未解釈のまま抛ってはおかないのか。
おそらく、物語とはそういうことなのだろう。
フィクションであろうとなかろうと、
解釈と構成がはたらけばそれは小説の形を取る。
そして、その語り手が現代アメリカを代表するフィリップ・ロスの文体である、ということだろう。
福島原発事故以前の2004年の作だが、
この今観るとそのブラックユーモアが揃いも揃って現実の問題を揶揄している。
東京に原発を誘致しようという天馬都知事が、本気で誘致しようとしたのか、
それとも原発問題を都市の人間に考えさせるために突きつけた剃刀だったのか、
それは結局よくわからなかった。
ストーリー的には後者が次第にほの見えてくる真意、ということになるが、
そちらが前者の衝撃に比して弱く、結局はうやむやに記者会見を迎える。
この肚の見えない摑みどころのなさが、わかりやすい展開の中で唯一残り、
原発の、見えない放射能や利権構造を思わせる不穏さを覚えさせられた。
場所が会議室から、核燃料を積んだトラックをジャックした少年との戦いへ、
舞台が机上から溢れ出て手に負えなくなってゆくストーリー展開が面白いと思った。
爆弾を解体した知事の捨て台詞「この世に絶対なんてあってたまるか」が、
そのまま原発の安全性への疑問へと繋がる。
天馬という都知事の名字は、鉄腕アトムの生みの親の天馬博士からか、と思った。
○フィリップ・ロス『父の遺産』
ロスの父に脳の腫瘍が見つかってからの父と子をめぐる、
回想を織り交ぜた苦闘を描いたノンフィクション。
しかし読者にとってこの作品は小説以外のなにものでもない形状をしている。
この作品がフィクションをどの程度含んでいるか、読後に興味を持った。
この澱みなくストーリーの展開する書き口が、フィクションの文体なのかどうか。
もちろん、構成はあるだろう。回想により時間軸を超えることで、
小説の構成力は格段に向上する。
あるいは、父という強烈なキャラクターをめぐる思い入れの深い出来事には
ありとあらゆる意味や隠喩が自然と込められていて、
想像力が何ごとも未解釈のまま抛ってはおかないのか。
おそらく、物語とはそういうことなのだろう。
フィクションであろうとなかろうと、
解釈と構成がはたらけばそれは小説の形を取る。
そして、その語り手が現代アメリカを代表するフィリップ・ロスの文体である、ということだろう。
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