彼の本名はわからない。
癩病患者が隔離されて社会的に生きられなかった時代で、
小説家=ジャーナリストとして隔離施設の内情を描こうにも、
本名を使うことは肉親のためにできなかった。
ハンセン病の患者がすでに人として死んでいて、
そこには単に生だけが生々しくある、という主題。
現代であれば差別的、当時の風潮は、云々の書評は不要。
例えば戦争文学だと思って読む、そうすれば別の見え方になろう。
そうやって透ける骨組みが、この小説の純粋に文学的な価値だ。
第三回芥川賞候補作に挙げられ、受賞は逃したが川端康成などから評価された。
室生犀星が「斯る作品はこの「いのちの初夜」一篇によつて
その文学使命を完了してゐる」と選評で云ったように、
小説というよりジャーナリストの取材のような傾向も多分に読める。
なお、その回の受賞は石川淳の『普賢』。
私も同じ理由で、この作品を知っていながらも長らく読まなかった。
しかし、今回ふと手に取って、面白く読んだ。
現状に屈しながらただ一つ屈せずに小説を書いている病の軽い佐柄木という青年が、
そのいやに光溢れる義眼が、この短篇で光っている。
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