22.9.09

カール・ポランニー『経済と文明』

西アフリカのダホメ王国と、中立港ウィダについての、
詳細な文化人類学的レポート。社会史的でもある。
子安貝を通貨とした徹底的な管理通貨制では、
経済ではなくポリティックな姿としての市場や流通が現出している。
また、奴隷制による西欧諸国との貿易で制度や通貨が
どのように作用したかが描かれている箇所は、
交換=コミュニケーション(柄谷的には交通か)が
いかにして共同体同士の壁を克服しようとしたかの一例として読める。

子安貝は貨幣でありながら、その機能は純粋に交換手段である。
言い換えれば、貯蓄手段ではない。
金本位制であったヨーロッパから視ると稚拙かもしれぬが
(金はまさに財を貯蓄するための代表的手段である)、それは違う。
共同体内部でしか通用しないという点、
貯蓄というより交換を指向していると云う点は、
グローバリズムと均一化に抵抗しようとする
地域通貨そのものではないか。

読みながら、こういうことを思った:
貨幣の粘着性(貯蓄志向)を削ぐために
時間経過に依って価値が逓減する貨幣が有効、という説があるが、
それならば価値の逓減しない商品が本位の
通貨制度に移行するだけだ(例えば金とか)。

現在、一国一通貨が当然であるが、
身分制度を固定するための貨幣制度というものが
歴史的に存在した、と知った。驚きだった。
イヴン・バットゥータによると、14世紀のニジェールでは
太い銅線と細い銅線という二種類の貨幣が存在し、
その購買範囲に差があったのだという。
ハムラビ法典に記されていたところによると、
小麦で返済する借金と銀で返済する借金では利率が違った。
ではなぜ、一国一通貨がかくも徹底されるようになったのか。
これは私の想像だが、国という共同体の権力の増加によって
管理通貨制度が可能となった現在、
貨幣を複数設定することでお互いに相対化しあうことを、
防いでいるのではないか?
もちろん、身分制のない平等な社会、という建前もあろうが、
それは歴史的に後の話だ。

徹底された子安貝管理通貨制度では、
商品の値段すら王権が決定していたが、
西欧からの子安貝流入により、そのレートは一気に崩れた。
つまり、インフレになったのだ。
ポリティックな範囲から流通制度が分離して経済に変わる瞬間だ、と私は思う。
これは非常に注目しておくべき事項だ。
経済がもはや誰の手にも止められなくなった現在においては特に。

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G20で、トービン税の導入の是非が話し合われたとロイターで読んだ。
ぜひとも導入すべきだ。
それ以外に、ネーションステートが金融に
くびきをかける現実的な手段は、はっきり云って、ない。


ポランニーといえば『大転換』が有名だが、それは未読。
politiqueをポリティックと片仮名表記しているのは、
「政治的」だけでなく「政策的」とも含意させたいから。

2 件のコメント:

はっしー さんのコメント...

人類学の名著だ(った気がする)
Sマ先生の概論で登場したv

epochestra さんのコメント...

>はっしー

もうちょっと経済学寄りかと思ったけど、
ここまで人類学的だとは思わなかったよ。

にしても、「貨幣は言葉とかとおんなじで、制度に過ぎない」って
云っちゃってるのがすごいね。
だから、リーマン・ショックとか云って騒いでるのも、
ドル本位制と市場経済と管理通貨制っていう
制度の組み合わせの欠陥なわけで、
グローバル化とか云っても結局は
一つのムラ社会にすぎないんだ、ってことだからね。