原作の舞台は東京だが、映画ではロサンゼルス。
父親が"神"でコリアンタウンに住む中国系アメリカ人、名は日本的でケンゴ。
本当の父親と思しき、耳のちぎれた医者を追ってとうとう捕まえ損ねる、
星条旗やアメリカ本土図のシルエットが
その中で二度ほど映り込んだのが印象的だった。
すると即座に、アイデンティティーと国籍、という解釈軸が出てきてしまう。
ならば地震は父権の崩壊?
…あぁ、印象批評の虚しさよ。
この映画で面白かったのはむしろ、
ストーリーの進む背景で絡みあった糸が
あちこちから一気に引っぱられて解けようとしている、
その緊張感の瞬間なのに、淡々としているカメラワークと色遣いだった。
勿論、意味を持たせるために回想シーンが入り込むけれど、
それはそれで平凡な風景ではある。
だから、最も劇的な場面は、何のことのないセックスシーンだったりして。
六本木シネマートにて鑑賞。
その後、六本木ヒルズの入り組んだ構造を彷徨し、
赤坂の東京ミッドタウンへ遊んだ後、
旧名・麻布六本木町の酒場とバーで飲んだ。
探る言葉と追う影。
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