1.7.11

ミッシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ボン・ジュノ『TOKYO!』

2008年公開、外国人監督による日本映画三作のオムニバス。
同年だったかに同じく東京を舞台にした黒沢清『トウキョウソナタ』が
あまりに現代日本的なステレオタイプな私小説的な文法で失望した反面、
外国人監督の手になる三作が(特に後半二作が)それぞれに新しさを帯びている。
いや、新しさというよりも、東京を、現代日本を描くにあたって、
"東京"という日本人にとって良くも悪くもかけがえのない都市の特有さを
一度括弧に入れるという行為ができるのは、国外からの視点だけだろう、
そう強く感じさせられた。

オープニングでは、東京のビジネス街、繁華街、住宅地といった
雑多に密集した高密度都市の影絵と雑音が響く。
我々の聞き慣れた都会の音だ。
なのに、このオープニングから強く感じるこのアジア的な東京の印象。
日本人の考える"東京"を括弧に入れるとは、
この80年代以降で急速に飾られたうわべの取り繕いを外すことで、
雑多な現実と洗練されたイメージの奇妙な同居と特異性、
それゆえ続くビジョンの欠如という原題の閉塞から抜け出すことだ。

三作の新軸とは、別段新しいわけではない。
我々にとって複雑で、捉えるにも手に負えなくなっている"東京"を
アジアのメガロポリスとしていとも単純に捉え、
むしろ50年代から60年代にかけてのような一見荒唐無稽なストーリーの
一舞台に仕立て上げてしまう試み、これがむしろ新しさだ。
いや、こんなことさえ新しく感じられるほどの
冒険やストーリーの欠如が問題なのだが。


ミッシェル・ゴンドリー「インテリア・デザイン」は、
東京の住宅事情と目まぐるしさに負けて自分が家具になってしまう話。

レオス・カラックス「メルド」は寓意的で、大島渚が撮りそうだと思った。
メルド(M. Merde=糞)は菊の花と紙幣を食べ、
旧日本軍の兵器の残留する地下道に住み、
日本人を罵倒して絞首刑に処せられる。

ボン・ジュノ「シェイキング東京」は、
誰もがひきこもるという単純な世界観と、地震が取り持つ関係性が、
わかりやすくスピーディーな展開で、楽しめた。

0 件のコメント: