3.5.12
木村祐一『ニセ札』、黒澤明『羅生門』
木村祐一『ニセ札』
戦後間もなくの実際の事件を材に取った映画。
貧困からの偽札造りということだったが、その貧困さの描かれ方が
切羽詰まった内容ではなく、むしろささやかな欲求にすぎないというところが、
結局は戦後60年以上隔たった現在の戦後状況への想像力の限界なのか。
むしろ、村ぐるみの偽札偽造事件が戦後数年で起きていたことのほうが驚き。
終盤、小学校教師のかげ子が、札は本物でも偽物でも所詮紙切れ、と言ってから
息子が裁判所に参入して本物と偽物の紙吹雪で幕を閉じるというところは
シリアスさとコミカルさの絶頂で、面白かった。
全体としては、ストーリーがリニア(直線的)に思われた。
写真屋がいて、印刷工がいて、村をまとめる信頼ある小学校教師がいて、
資産家と言い出しっぺがいて、そして偽札偽造への物語。
黒澤明『羅生門』
人の姿をありのままに曝け出すようなこういう映画こそ、観たかった。
キャラクターとかストーリーが走るのではなく、人が透ける機構こそ文学だと思う。
赤ん坊が現れてから、追い剥ぎ、泥棒、そして不信が祟り目のように続いた上で、
ようやく雨が上がって人が人を信じる和解が生まれたときの一筋の救いが、
まだ無垢の赤ん坊を抱きながらまっすぐ前を向いて歩く志村喬の姿が印象的。
序盤で藪の中を歩く姿に、つまり振り出しに戻っただけなのかもしれないが、
それでも、嘘の多重を踏み越えた一つの無垢の信念を
抱きかかえているという決定的な相違がある。
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