5.5.12
黒澤明『八月の狂詩曲』『まあだだよ』『乱』
黒澤明を立て続けに3本観た。
一本目は戦後45年の現在を舞台に戦争を描き、
二本目は昭和の、戦争どこ吹く風の師弟の心の交流、
そして三本目は戦国時代の血で血を洗う人間の愚かさをあぶり出す。
どれも黒澤映画のレイトワークに当たるカラー作品だが、
まったく毛並みが違って面白かった。
『八月の狂詩曲』
村田喜代子の芥川賞受賞作『鍋の中』が原作。しかし未読。
カラーだからか、田舎の広い日本家屋の奥行きも幅もある遠近感が黒澤映画とは、
どうにも信じられない序盤だった。
だが、主人公のおばあさんからすれば甥にあたるクラークが
ハワイから来日してからは、
心情のさざ波が景色と行動を伴って大いに流れてゆき、やはり黒澤映画だった。
長崎原爆への怒りと悲しみを知った子供たちと、
ハワイの親族に妙に気遣って長崎原爆を過去に流そうとする親たちと、
その間を埋めるように、来日後のクラークの
「あなたたちなぜ、おじさんのこと言わなかったですか?
おじさんのこと聞いて、みんな、泣きました」という科白が、
社交辞令にまみれて本音を出せない日本人の醜態を
もっとも純粋な水で洗い流して露出させるようだった。
夜の雷雨を原爆と取って子供たちを守ろうとする姿、
その後の風雨の中で長崎市街へ一身に向かう姿が、
戦争と原爆はまだ終わっていないと気づかせる。
『まあだだよ』
内田百閒とその教え子たちの交流の物語。
ホームドラマの旧制高等学校版というか、今はなき師弟の絆といった内容。
回顧的なのは否めないが、それでも楽しめた。
結果的に、黒澤明の遺作となった。
それがどこかしら小津っぽいというのは、老境か。
カラーだが『八月の狂詩曲』のような舞台の広がりはなく、
やはり映画セット感があって、そこに収まってすべて動いている。
政治の時代を経て昭和が次第に果てて西暦になるよりもずっと前の、
昭和のまだあった時代の話だ。
『乱』
合戦の描写と動員人数がすごい。
鉄砲玉や矢を受けて落馬するシーン、死屍累々たる城のざまが、
人の業をとくと視よとばかりにカットカットで入ってくる。
一文字秀虎の老人っぷりがすごい。序盤のいきり立ちと、後半の呆けっぷりと。
あと、ロケ地の風情。日本とは思えず、モンゴルかどこかかと思っていたが。
黒澤明の時代物は、『七人の侍』も『蜘蛛巣城』も『隠し砦の三悪人』も、
どれも本当の時代劇ではない。
外部がなく、舞台が閉じていて、登場人物も家柄も架空だ。
この『乱』に至っては、一郎と二郎と三郎の兄弟争いという、
譬え話並みに安直な最初の設定だ。
そうして世界を囲った時代物と、時代の素性が舞台に入り込んでくる現代のものと、
黒澤は前者で名をなした(特に海外で)ものの、
後者のほうが撮りたかったのではないか。
もっとも、黒澤映画では後者をより好む私の希望なのかもしれないが。
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