3.5.12

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』、ガス・ヴァン・サント『永遠の僕たち』

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』

五感を研ぎ澄ませて感じた、というままのよう。
自分が読んできた読書遍歴は、惰性だったんではないか、という気負けすら感じた。
「実朝」では、源実朝の万葉調といわれるほのぼのとした景色に嘆じ、
しかし「光悦と宗達」では、古今・新古今の形式美をも抱きかかえる。
作者の生い立ちや時代、心情を大いに含んで論じながらも、
感受することをただただ希求して、評論は語られる。
この愚直さ。よって、読後に実物に触れたい気分に駆られる。

それにしても、自分はそこまで純朴になれない。
萬葉集の普遍性はわかるが新古今調のほうに嘆じられるし、
モーツァルトよりプロコフィエフやバルトークのほうが好きだ。


 ガス・ヴァン・サント『永遠の僕たち』

骨格から細部まで、至るところに「死」のテーマが散りばめられている。
余命数ヶ月の準主役の存在は、ストーリーの躍動には欠かせないけれど、
生と死のテーマの客体がそれだけにとどまらないのが良い。
特攻隊として死んだ日本兵の幽霊、両親を交通事故でなくした主人公と、
死を抱え込んだ三者が搦みあう。

死をどう受容するかについて、この映画はあまり多くは語らない。
だから、死にゆく者との生の瞬間々々をカラフルに描き出すシーンは、
フラッシュバックのように断片的なカットでのみ流される。
その意味では、ストーリーらしさはないといえるかもしれない。
だが、死をストーリーでやすやすと受け容れて処理してしまってよいものか。
そういった、死への尊厳からの問いがあるように思われた。

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