プルーストに大いに影響を与えたというくらいだから、
読感と詩的さはとてもよく似ている。
記憶と現実の間を彷徨する感覚は、藝術そのもの。
日本の私小説に似ている気がしたが、背景があまりに違う。
私小説は明治による近代的自我の発露で、
どっちかっちゅーと屈折ギリシャ、という感じ。ゴシック?
で、ネルヴァルはロマン主義といわれるけど、
……そんなのどうでもいいか。とにかく、散文詩という感覚。
人生を謳歌しているようではあるが、健康的ではない。
ロートレアモン卿「マルドロールの歌」は、中途抛棄。
キリスト教的な善悪二元論のアンチテーゼ側の残照という感じ。
バタイユほどにぎらついた毒の強さはわかるけど、
そこまで悪を強調されると鼻白んでしまう。
あまりに悪を自称するので、
マルドロールってのはMal drôleなのではないかと思ったが、
Maldororが実際だった。
同窓会補記。
教師は、生徒を惹きつけた人以外は
生徒の同窓会に参加しない方が身のためだと思う。
大多数の教師はその特権的な立場だけで生徒を抑えつけていたわけで、
知性が優れているとも、統治に長けているとも限らないのだから、
教師-生徒の軛を外れた会合に、旧い地位だけで出没されたところで
アルカイックな存在がうごめいているように生徒には見えるだけだし、
ともすれば、教師職の拠り所である専門分野で
「出藍の誉」と自らの劣勢を喰らうかもしれないのだから。
残念ながら、そのような教師しか、一昨日の会にはいなかった。
過去に自分を惹きつけた先生たちはいたが、会うことは能わなかった。
29.12.08
ビューヒナー「レンツ」/同窓たち
ゲオルグ・ビューヒナー「レンツ」読了。
すべてが退屈。自分の存在が重荷。
19世紀前半、サルトル『嘔吐』よりも前の実存主義者の短篇、
二年前ほどから知ってはいたが、
読んだのは、そして、驚かされたのは、初めて。
人間を演じることがもうできなくなったのだろうか。
この世に喜びはありはしない。
いとしい人はあんなに遠くだ。
この歌詞が彼に衝撃を与えた。この節回しを聞いてまるで破局が訪れたようだった。
----------
高校の同窓会があった。
見てくれが変わっていても中身が変わっていない者、
見てくれも中身も変わっていない者、がほとんどだった。
それが高校の同窓会の特性かもしれない。
文学や藝術を話し合う相手の不在が、
高校時の自分にとって最大の不遇だった。
それは変わらないようだったが、H大のN学専修の子と、
演劇について少し話した。
芽は育ちかけているのかもしれないと思ったが、
あまりにも遅すぎる。
S田さん、Oポンさんに、丸くなったと云われた。
もっと刺々しかった、と。
興味のない他人とあえて波風の立った関係を築くのが億劫で
なあなあに接して終えることを私がおぼえたために、
そのように外見が見えるのだとしたら、それはありうることだ。
そして、実際は、彼女たちの指摘とは正反対に、
もっと冷たく刺々しくなった、と云えるのかもしれない。
四月より同県の住人となる生物学の未来の研究者と
薄かった関わりをつくり直すことができた。
あまり他の収穫のなかった会合だったので、
参加の意義はこの一点あるだけで重畳といえよう。
中立進化説が思考停止的であるという異見、
文化発達に結びつけられそうなランアウェイの概念など、
専門的な話を聞くことができておもしろかった。
生物も文学も、物語を繋げる使命でできている。
レンツのように解脱して、それを抛擲する可能性もある。
今日は中学の一友人と再会した。
彼は、見てくれは変わっていなくても中身が変わっていた。
実存の問題が、彼の中では後退していた。
すべてが退屈。自分の存在が重荷。
19世紀前半、サルトル『嘔吐』よりも前の実存主義者の短篇、
二年前ほどから知ってはいたが、
読んだのは、そして、驚かされたのは、初めて。
人間を演じることがもうできなくなったのだろうか。
この世に喜びはありはしない。
いとしい人はあんなに遠くだ。
この歌詞が彼に衝撃を与えた。この節回しを聞いてまるで破局が訪れたようだった。
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高校の同窓会があった。
見てくれが変わっていても中身が変わっていない者、
見てくれも中身も変わっていない者、がほとんどだった。
それが高校の同窓会の特性かもしれない。
文学や藝術を話し合う相手の不在が、
高校時の自分にとって最大の不遇だった。
それは変わらないようだったが、H大のN学専修の子と、
演劇について少し話した。
芽は育ちかけているのかもしれないと思ったが、
あまりにも遅すぎる。
S田さん、Oポンさんに、丸くなったと云われた。
もっと刺々しかった、と。
興味のない他人とあえて波風の立った関係を築くのが億劫で
なあなあに接して終えることを私がおぼえたために、
そのように外見が見えるのだとしたら、それはありうることだ。
そして、実際は、彼女たちの指摘とは正反対に、
もっと冷たく刺々しくなった、と云えるのかもしれない。
四月より同県の住人となる生物学の未来の研究者と
薄かった関わりをつくり直すことができた。
あまり他の収穫のなかった会合だったので、
参加の意義はこの一点あるだけで重畳といえよう。
中立進化説が思考停止的であるという異見、
文化発達に結びつけられそうなランアウェイの概念など、
専門的な話を聞くことができておもしろかった。
生物も文学も、物語を繋げる使命でできている。
レンツのように解脱して、それを抛擲する可能性もある。
今日は中学の一友人と再会した。
彼は、見てくれは変わっていなくても中身が変わっていた。
実存の問題が、彼の中では後退していた。
22.12.08
論文脱稿!
J'ai fini ma mémoire sur « Rhinocéros » d'Eugène Ionesco !
Ce qui me permet de rentrer à Ôsaka sans rien devoir dur !
20.12.08
井上章一『狂気と王権』
感想メモ。精神医学も政治神学の婢女なのだろうか。
難波大助の事件が特に興味深かった。
天皇と精神病という二つの異形が、それぞれに我を通す。
狂人として葬り去ろうとする検察と、その減刑を拒絶する一貫した精神。
小川平吉「私は今度の不敬漢はねがわくば狂人であればよいと思うが」云々という、
社会からの退場という意味での巧妙な論理として働く。
昭和天皇が太平洋戦争開戦の決定時に
旧皇室典範第十九条の定める摂政設置とともに排除される可能性を感じていたなら、
難波大助と昭和天皇を襲うのは全く同じ論理がである。
事務次官襲撃事件の小泉容疑者を、
理解できないという理由で精神鑑定に回すという強引さが酷似する。
精神病者を反権力から排除しようとする警察側と、
逆に、共同体外という立場故か共同体中心者を異様に尊敬する当該者の実態。
権力側の恐れも所詮はビビリの他者排除か。
相馬事件が、本人不在で次々と展開してゆくさまが、面白かった。
『競売ナンバー49の叫び』のパラノイアック、あるいは
デュラスが対象のまわりを描くことで対象を書くような。
17.12.08
カス純文学とプライバシー
今日、研究室で後輩と文学の話で盛り上がったが、
最近の新人の作品が十把一絡げにカスでどうしようもないね、
という意見で一致した。
芥川賞をはじめさまざまな新人賞であれこれ読んでは失望してきた自分は
筋金入りの新人カス派といえるかもしれない。
カスカス云ってる割にけっこう読んでますね、と云われたぐらいやもん。
そのカス作品の頂点には、ちっちゃーい話を優等生づらして上手くまとめる
某・山田さんがいて、最年少で塵芥川賞を獲ったゆうて、
妙に世間の注目を集めたが、
その反動で河出書房は文学的に死亡し、当人も、なんか、
夢をなんとか、という『ボヴァリー夫人』と似ても似つかない
できそこないをものしたらしいが、でも瀕死かな。
頂点がそんなで、裾野に綿矢チルドレンがいて、
その一番下にはケータイ小説なる新ジャンルがあって、
それぞれにそれぞれの技巧を凝らして小世界を構成し、
その小世界がもう外なんてみなくなったときにぐわっと開ける新境地が
ライトノベル、という、そんな、昭和軽薄体もびっくりの全体図ですわ。
はっきり云ってね、生活であった、ちょっと変な出来事、
ちょっと変な人間関係、ちょっと変なトラベル、そんなくらいのことはね、
誰もが多かれ少なかれ体験してることだから、
わざわざ、さも、自分はこんな稀少な体験してんで、すごいやろ、
何か意味あるんちゃうか、こんなこともついでに考えてみてん、…みたいな
読書感想文ならぬ日常感想文はね、金をもらっても読みたくなんかない。
時間の無駄やし。なんでそこまでして、たいしたことのないものを、
本人ではさもすげえって思うのかね。
この疑問は、いわゆるプライバシーという
非常に新しい(新しいんですよ)概念から説明できるのじゃないか。
プライバシーってのは、個人情報なわけで、
それが世間に知られるのが怖い、ていうやつですね。
個人が誰しも持ってるものがすなわち価値、という、
広義のゆとり世代(第二土曜休日世代。我々も含むんだよ)で重視された
個性が大切、の考え方とも親和性の高い考え方が、
なんたって私の体験なんだよ、すごいでしょ、聴いて聴いて、的な
いみぷーな状況に連関しているのではないか。
Googleのストリートビューで、プライバシーが、とかいうてる輩には、
ほなあなたの家や車の風景がそんなに貴重で誰もが見たがる代物なんか、と
訊いてみたい。どうせ大量生産で作られた、
どれとも似たり寄ったりのもんやろ、と。
そこから類推できる生活水準等が見られたくない、というかもしれんが、
その生活水準かて、あいかわらず一億総中流のちょっと上かちょっと下が
関の山やないかいな。
それでもこのご時世、プライバシー漏れるのはいやじゃ、いう人は、
街に出るな、道を歩くな、他人の影がみえるところで声を出すな。
ゴミ箱あさりや覗きといった低等テクニックが、案外と
情報の窃盗であるハッキングとしても有効である、というんを
どっかで読んだことがあるが、
ネットだから怖い、という奴ほどそういう現実的な防衛は
スカスカなんやろが。
プライバシー、プライバシーって鸚鵡みたいにいうてるやつってのは、
単に、不安を煽って売り込む商売の広告塔かつ営業職に成り下がってる
程度の存在、っていうことを頭の中に入れておけばいいか。
最近の新人の作品が十把一絡げにカスでどうしようもないね、
という意見で一致した。
芥川賞をはじめさまざまな新人賞であれこれ読んでは失望してきた自分は
筋金入りの新人カス派といえるかもしれない。
カスカス云ってる割にけっこう読んでますね、と云われたぐらいやもん。
そのカス作品の頂点には、ちっちゃーい話を優等生づらして上手くまとめる
某・山田さんがいて、最年少で塵芥川賞を獲ったゆうて、
妙に世間の注目を集めたが、
その反動で河出書房は文学的に死亡し、当人も、なんか、
夢をなんとか、という『ボヴァリー夫人』と似ても似つかない
できそこないをものしたらしいが、でも瀕死かな。
頂点がそんなで、裾野に綿矢チルドレンがいて、
その一番下にはケータイ小説なる新ジャンルがあって、
それぞれにそれぞれの技巧を凝らして小世界を構成し、
その小世界がもう外なんてみなくなったときにぐわっと開ける新境地が
ライトノベル、という、そんな、昭和軽薄体もびっくりの全体図ですわ。
はっきり云ってね、生活であった、ちょっと変な出来事、
ちょっと変な人間関係、ちょっと変なトラベル、そんなくらいのことはね、
誰もが多かれ少なかれ体験してることだから、
わざわざ、さも、自分はこんな稀少な体験してんで、すごいやろ、
何か意味あるんちゃうか、こんなこともついでに考えてみてん、…みたいな
読書感想文ならぬ日常感想文はね、金をもらっても読みたくなんかない。
時間の無駄やし。なんでそこまでして、たいしたことのないものを、
本人ではさもすげえって思うのかね。
この疑問は、いわゆるプライバシーという
非常に新しい(新しいんですよ)概念から説明できるのじゃないか。
プライバシーってのは、個人情報なわけで、
それが世間に知られるのが怖い、ていうやつですね。
個人が誰しも持ってるものがすなわち価値、という、
広義のゆとり世代(第二土曜休日世代。我々も含むんだよ)で重視された
個性が大切、の考え方とも親和性の高い考え方が、
なんたって私の体験なんだよ、すごいでしょ、聴いて聴いて、的な
いみぷーな状況に連関しているのではないか。
Googleのストリートビューで、プライバシーが、とかいうてる輩には、
ほなあなたの家や車の風景がそんなに貴重で誰もが見たがる代物なんか、と
訊いてみたい。どうせ大量生産で作られた、
どれとも似たり寄ったりのもんやろ、と。
そこから類推できる生活水準等が見られたくない、というかもしれんが、
その生活水準かて、あいかわらず一億総中流のちょっと上かちょっと下が
関の山やないかいな。
それでもこのご時世、プライバシー漏れるのはいやじゃ、いう人は、
街に出るな、道を歩くな、他人の影がみえるところで声を出すな。
ゴミ箱あさりや覗きといった低等テクニックが、案外と
情報の窃盗であるハッキングとしても有効である、というんを
どっかで読んだことがあるが、
ネットだから怖い、という奴ほどそういう現実的な防衛は
スカスカなんやろが。
プライバシー、プライバシーって鸚鵡みたいにいうてるやつってのは、
単に、不安を煽って売り込む商売の広告塔かつ営業職に成り下がってる
程度の存在、っていうことを頭の中に入れておけばいいか。
16.12.08
一息
論文の発表も終わり、最終調整を主に仕上げに入った。
集中してやり始めてからは短いかもしれないが、
フランス滞在時から少しずつ準備していたので、
関わった期間は意外と長い。
悪くない評価を受け、進学しないのを言外に惜しまれてしまったので、
初めて進学しない選択をわずかに悔やんだ。
とはいえ、進学するなら別の分野に進んだであろう。
フェルナン・ブローデル『交換のはたらき』はやはりおもしろい。
世界は一つなのだなとつくづく思ったのは、
17世紀には日本が鎖国をしていたにもかかわらず
銀と銅の循環においては強い影響力を持っていたと知ってから。
フレーゲのコペルニクス的転回は、言語学だけではなく
国家観についてもなされなければならないだろう。
新しいパソコンを衝動買いした。
論文にかかずった自分へのご褒美という言い訳の許で。
LinuxであるUbuntuというOSなのだが、Windowsより使いやすい。
自分にとっては、サブでしかないこのパソコンには
軽さと頑丈さと、あと個人的なこだわりであるフォントの自由度があれば
ほかは別に構わないので、
総量0.9kg、SSD搭載、Linux特有のカスタマイズ性は、
もってこいなのである。
帰省の際にも、これ一つだけを持って帰ろうかなぁ…。
集中してやり始めてからは短いかもしれないが、
フランス滞在時から少しずつ準備していたので、
関わった期間は意外と長い。
悪くない評価を受け、進学しないのを言外に惜しまれてしまったので、
初めて進学しない選択をわずかに悔やんだ。
とはいえ、進学するなら別の分野に進んだであろう。
フェルナン・ブローデル『交換のはたらき』はやはりおもしろい。
世界は一つなのだなとつくづく思ったのは、
17世紀には日本が鎖国をしていたにもかかわらず
銀と銅の循環においては強い影響力を持っていたと知ってから。
フレーゲのコペルニクス的転回は、言語学だけではなく
国家観についてもなされなければならないだろう。
新しいパソコンを衝動買いした。
論文にかかずった自分へのご褒美という言い訳の許で。
LinuxであるUbuntuというOSなのだが、Windowsより使いやすい。
自分にとっては、サブでしかないこのパソコンには
軽さと頑丈さと、あと個人的なこだわりであるフォントの自由度があれば
ほかは別に構わないので、
総量0.9kg、SSD搭載、Linux特有のカスタマイズ性は、
もってこいなのである。
帰省の際にも、これ一つだけを持って帰ろうかなぁ…。
2.12.08
ブッシュにインタビュー(ル・モンド12/2付の記事の邦訳全文)
でももう夜なので、ヨーロッパでは明日の朝刊掲載でしょうね。
元記事はこちら(写真もあるよ)↓
http://www.lemonde.fr/ameriques/article/2008/12/02/les-regret-de-george-w-bush-apres-huit-ans-a-la-maison-blanche_1125777_3222.html
ちょっと長めの記事ですが、オチが非常に笑えるので、訳すことにした。
全部を翻訳するには50分ほどかかった。いい息抜きにはなったけど。
黙読なら10分でいいのに。新たに日本語に文字起こしするような感覚。
後悔──ホワイトハウスで八年を過ごして
ジョージ・W・ブッシュがすでに回顧録に着手したという情報はまだホワイトハウスから出されていない。ABCで12月1日月曜日に放映されたインタビューでブッシュは、就任時には「戦争の準備」をしていなかった、イラクでのアメリカの情報の間違いが任期の八年で最も大きな悔いとして残っている、と言い切った。「言い換えれば、『私に投票してほしい、私には攻撃に直面する可能性がある』と云いながら自分を売り込んでいたのではない。言い換えれば、私は戦争を早めたのではない」そう自分を正当化しつつ、「テロに対する世界戦争」を宣言するに至った9.11テロの、まったく予期しえない性質を援用した。
全任期での最大の後悔は、明らかに、イラク情勢の情報が大間違いだったこと」と続けた。その反面、「大量破壊兵器はサダム・フセインをやっつける言い訳の一つだ、と云って、多くの人がその評判を危険に晒した」と云って、大量破壊兵器について語った。大量破壊兵器は、サダム・フセインが保持しているとして彼の政治が告発し、2003年に意義の唱えられることとなった戦争を支持するための議論の大きな一要因であった。ブッシュ氏は、サダム・フセインがそのような兵器を持っていないと知っていて戦争をしたのではないかという質問は、答えずにやりすごした。「そんな質問に興味はない。それに答えたら過去の撤回になってしまうし、私にはできないことだ」と云い、あらためてこう強調した。サダム・フセインがそのような兵器を持っているという情報を信頼していたのは、自分一人だけではない、と。
在イラク兵士を帰還させることと、世論や指導者階級の一部からの圧力に対してそのように屈することを、拒否したということは、主な議題の一つだった。ブッシュ氏は繰り返し、最も自分に欠けていたといえばアメリカ軍の最高指揮官たることだ、と云い、しかしながら、戦死した兵士たちの家族に会いもした、なぜなら、その会合は「本当にあなたたちにいろいろな感情を抱かせる」。「最高慰問者(大統領のこと)たる人は常に、慰める人であるということに尽きる」と彼は云った。
ホワイトハウスでの最後の数週間に経済危機に対して対策をもって行動する義務下にあり、1930年代ような「大恐慌」の再来の恐怖を退けねばならない、と自身について語った。約75億ドルというアメリカ経済振興の様々な対策の総額(アメリカのGDPの50%にあたる)におびえているかと尋ねられたために、彼はこう答えた。「私が恐れていたのは何もしないことだった。そうすれば大規模な経済崩壊が惹き起こされ、世界恐慌時よりさらにひどい不況下にあると考えられたことだろう」。
ブッシュ氏が望むことはアメリカ国民が自分を「政治に魂を売らず、きっと困難な決断を下し、そして原理原則を放さずにそれらを遂行した」人物と見なしてくれることであると述べた。「私は面を上げて大統領職を退く」と、確信に満ちて語ったブッシュ氏は、バラク・オバマに地位を明け渡すまで二ヶ月を切った現在、支持率の最低記録を更新した。
1.12.08
忙しいねん
論文書かんならんくて忙しいのに昨日映画観てもうたわ。
『それでもボクはやってない』っていう、いろいろと腹の立つ映画。
ええ映画やねんけど、ね。観たらわかるわいな。
それだけやのうて、フェルナン・ブローデルの『交換のはたらき』もおもろい。
社会史っておもろいのう、自分が高校のときにこういう面白さに出会ってたら、
どないなってたやろ、そっちの方面に進んだかもしれへんし、
いやいや文学が何より、てんで、変わらんかったかもしれへん。
歴史の面白さに気づいたんは大学二年あたりんときやしね。
しかも文科生にもかかわらず経済学史経由という意味の分からへんルートで。
せやったら、高校んときもう少しおつむが進んどったら経済科生やったんやろか。
その兆候はあったから、知り合いにやたらと経済学部薦めたりはしたけど。
一年前も忙しかったような気がするけど、確かIIEFで修了試験やったな。
もうあれから一年か、なんでこんなに時間が過ぎてるのに、
そのわりに自分の中に残るもんが多なくて、ああ時の経つのんは速いなぁ、て
嘯かなあかんねやろか。
でも二年ぶりに日本で年越しができる。
年越し蕎麦は流石に無理やったけど、「かなえ」で戴いたお寿司を食べれたんや。
フランスではまだ2006年、日本ではもう2007年になっとった。
新年はきっと波乱の年になることは間違いない、お互い一生懸命にやろうかないか、
そう云うてワイン空けて呑んで、サルコジ大統領の挨拶をテレビで観ながら。
元旦には何食うたかとか訊かんといて。
マクドや、シャンゼリゼでハンバーガー四つか五つか喰うとったわ。
もう一年やぞ。でも、まだやることはあるんや。
もちろん、年が明けても、やらなあかんことは実質あんま変わらへんねやろなぁ。
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