17.12.08

カス純文学とプライバシー

今日、研究室で後輩と文学の話で盛り上がったが、
最近の新人の作品が十把一絡げにカスでどうしようもないね、
という意見で一致した。
芥川賞をはじめさまざまな新人賞であれこれ読んでは失望してきた自分は
筋金入りの新人カス派といえるかもしれない。
カスカス云ってる割にけっこう読んでますね、と云われたぐらいやもん。

そのカス作品の頂点には、ちっちゃーい話を優等生づらして上手くまとめる
某・山田さんがいて、最年少で塵芥川賞を獲ったゆうて、
妙に世間の注目を集めたが、
その反動で河出書房は文学的に死亡し、当人も、なんか、
夢をなんとか、という『ボヴァリー夫人』と似ても似つかない
できそこないをものしたらしいが、でも瀕死かな。
頂点がそんなで、裾野に綿矢チルドレンがいて、
その一番下にはケータイ小説なる新ジャンルがあって、
それぞれにそれぞれの技巧を凝らして小世界を構成し、
その小世界がもう外なんてみなくなったときにぐわっと開ける新境地が
ライトノベル、という、そんな、昭和軽薄体もびっくりの全体図ですわ。

はっきり云ってね、生活であった、ちょっと変な出来事、
ちょっと変な人間関係、ちょっと変なトラベル、そんなくらいのことはね、
誰もが多かれ少なかれ体験してることだから、
わざわざ、さも、自分はこんな稀少な体験してんで、すごいやろ、
何か意味あるんちゃうか、こんなこともついでに考えてみてん、…みたいな
読書感想文ならぬ日常感想文はね、金をもらっても読みたくなんかない。
時間の無駄やし。なんでそこまでして、たいしたことのないものを、
本人ではさもすげえって思うのかね。

この疑問は、いわゆるプライバシーという
非常に新しい(新しいんですよ)概念から説明できるのじゃないか。
プライバシーってのは、個人情報なわけで、
それが世間に知られるのが怖い、ていうやつですね。
個人が誰しも持ってるものがすなわち価値、という、
広義のゆとり世代(第二土曜休日世代。我々も含むんだよ)で重視された
個性が大切、の考え方とも親和性の高い考え方が、
なんたって私の体験なんだよ、すごいでしょ、聴いて聴いて、的な
いみぷーな状況に連関しているのではないか。
Googleのストリートビューで、プライバシーが、とかいうてる輩には、
ほなあなたの家や車の風景がそんなに貴重で誰もが見たがる代物なんか、と
訊いてみたい。どうせ大量生産で作られた、
どれとも似たり寄ったりのもんやろ、と。
そこから類推できる生活水準等が見られたくない、というかもしれんが、
その生活水準かて、あいかわらず一億総中流のちょっと上かちょっと下が
関の山やないかいな。
それでもこのご時世、プライバシー漏れるのはいやじゃ、いう人は、
街に出るな、道を歩くな、他人の影がみえるところで声を出すな。
ゴミ箱あさりや覗きといった低等テクニックが、案外と
情報の窃盗であるハッキングとしても有効である、というんを
どっかで読んだことがあるが、
ネットだから怖い、という奴ほどそういう現実的な防衛は
スカスカなんやろが。

プライバシー、プライバシーって鸚鵡みたいにいうてるやつってのは、
単に、不安を煽って売り込む商売の広告塔かつ営業職に成り下がってる
程度の存在、っていうことを頭の中に入れておけばいいか。

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