20.12.08

井上章一『狂気と王権』

感想メモ。精神医学も政治神学の婢女なのだろうか。

難波大助の事件が特に興味深かった。
天皇と精神病という二つの異形が、それぞれに我を通す。
狂人として葬り去ろうとする検察と、その減刑を拒絶する一貫した精神。
小川平吉「私は今度の不敬漢はねがわくば狂人であればよいと思うが」云々という、
社会からの退場という意味での巧妙な論理として働く。
昭和天皇が太平洋戦争開戦の決定時に
旧皇室典範第十九条の定める摂政設置とともに排除される可能性を感じていたなら、
難波大助と昭和天皇を襲うのは全く同じ論理がである。
事務次官襲撃事件の小泉容疑者を、
理解できないという理由で精神鑑定に回すという強引さが酷似する。

精神病者を反権力から排除しようとする警察側と、
逆に、共同体外という立場故か共同体中心者を異様に尊敬する当該者の実態。
権力側の恐れも所詮はビビリの他者排除か。

相馬事件が、本人不在で次々と展開してゆくさまが、面白かった。
『競売ナンバー49の叫び』のパラノイアック、あるいは
デュラスが対象のまわりを描くことで対象を書くような。

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