でももう夜なので、ヨーロッパでは明日の朝刊掲載でしょうね。
元記事はこちら(写真もあるよ)↓
http://www.lemonde.fr/ameriques/article/2008/12/02/les-regret-de-george-w-bush-apres-huit-ans-a-la-maison-blanche_1125777_3222.html
ちょっと長めの記事ですが、オチが非常に笑えるので、訳すことにした。
全部を翻訳するには50分ほどかかった。いい息抜きにはなったけど。
黙読なら10分でいいのに。新たに日本語に文字起こしするような感覚。
後悔──ホワイトハウスで八年を過ごして
ジョージ・W・ブッシュがすでに回顧録に着手したという情報はまだホワイトハウスから出されていない。ABCで12月1日月曜日に放映されたインタビューでブッシュは、就任時には「戦争の準備」をしていなかった、イラクでのアメリカの情報の間違いが任期の八年で最も大きな悔いとして残っている、と言い切った。「言い換えれば、『私に投票してほしい、私には攻撃に直面する可能性がある』と云いながら自分を売り込んでいたのではない。言い換えれば、私は戦争を早めたのではない」そう自分を正当化しつつ、「テロに対する世界戦争」を宣言するに至った9.11テロの、まったく予期しえない性質を援用した。
全任期での最大の後悔は、明らかに、イラク情勢の情報が大間違いだったこと」と続けた。その反面、「大量破壊兵器はサダム・フセインをやっつける言い訳の一つだ、と云って、多くの人がその評判を危険に晒した」と云って、大量破壊兵器について語った。大量破壊兵器は、サダム・フセインが保持しているとして彼の政治が告発し、2003年に意義の唱えられることとなった戦争を支持するための議論の大きな一要因であった。ブッシュ氏は、サダム・フセインがそのような兵器を持っていないと知っていて戦争をしたのではないかという質問は、答えずにやりすごした。「そんな質問に興味はない。それに答えたら過去の撤回になってしまうし、私にはできないことだ」と云い、あらためてこう強調した。サダム・フセインがそのような兵器を持っているという情報を信頼していたのは、自分一人だけではない、と。
在イラク兵士を帰還させることと、世論や指導者階級の一部からの圧力に対してそのように屈することを、拒否したということは、主な議題の一つだった。ブッシュ氏は繰り返し、最も自分に欠けていたといえばアメリカ軍の最高指揮官たることだ、と云い、しかしながら、戦死した兵士たちの家族に会いもした、なぜなら、その会合は「本当にあなたたちにいろいろな感情を抱かせる」。「最高慰問者(大統領のこと)たる人は常に、慰める人であるということに尽きる」と彼は云った。
ホワイトハウスでの最後の数週間に経済危機に対して対策をもって行動する義務下にあり、1930年代ような「大恐慌」の再来の恐怖を退けねばならない、と自身について語った。約75億ドルというアメリカ経済振興の様々な対策の総額(アメリカのGDPの50%にあたる)におびえているかと尋ねられたために、彼はこう答えた。「私が恐れていたのは何もしないことだった。そうすれば大規模な経済崩壊が惹き起こされ、世界恐慌時よりさらにひどい不況下にあると考えられたことだろう」。
ブッシュ氏が望むことはアメリカ国民が自分を「政治に魂を売らず、きっと困難な決断を下し、そして原理原則を放さずにそれらを遂行した」人物と見なしてくれることであると述べた。「私は面を上げて大統領職を退く」と、確信に満ちて語ったブッシュ氏は、バラク・オバマに地位を明け渡すまで二ヶ月を切った現在、支持率の最低記録を更新した。
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