欲望の街、秋葉原に初めて行った。
なぜ欲望なのかは、現在ポール・ヴィリリオを読んでいるので、
のちのち詳しく書くだろう。
ここでは雑感を。
・音ゲー
友人が華麗に披露してくれた音ゲーを見ながら、漠然と、
カイヨワの遊びの四分類
(アゴン=競争、アレア=偶然、ミミクリ=模倣、イリンクス=目眩)
の、どれに当たるか考えた。
提示される形式にできるかぎり似せてインプットを操作する。
よって、ミミクリだろう。
第一義的にはアゴンではない。
点数化という乱暴な一元化システムを実装すれば、
ほぼあらゆる遊びに競争を導入できる。
逆にいえば、現代はあらゆる事象がアゴン的だ。
受験も人事考課もゲームも、多様であるはずの容姿や性格も
偏差値、点数、ランキング、等の下で
競争にさらされ、一本化されてしまう。
リズムを第五として提唱する人もいる
(ナムコ株式会社・岩谷徹)
が、そこまでカイヨワの分類が脆弱と思えないし、
この四分類は五感とは何の関係もないのに
聴覚だけ取り出すのはおかしい。
・オタク文化の形式と受容
オタク文化が「サブ」カルチャーなのは、
現実の下位にオタク文化があるという意味で、正しい。
(ハイ・カルチャーが正統、というのは違う。
オタク文化はハイ・カルチャーの下位にはない)
オタク文化は現実に対する巨大なミミクリであるから、
現実を意識せずにはオタク文化は存在し得ない
(オタク文化は「リア充」を意識せずにはいられない)。
しかし、現実とヴァーチャルのこの上下関係は
必ずしも固定的ではなく、クーロン力のように、
どちらがどちらを引いているとも云い難い状況である。
西洋文化はかつて、東洋をオリエンタリズムとして
初めは瞠目され、受容した。
これと同じような同化が近く行われるだろう。
オタク文化は、現実での生き方の一手法として認められ、
気にも留められない一文化と化すだろう。
常に新たな差異が作られ、同化される。これは一般論だ。
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