・ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』
移動の軸線に気を配って書いたという作者自身のあとがきからもわかるが、
とにかく放浪彷徨、移動が多い。
主人公H・Hが旧世界からの移民だし、
二度の結婚を経てロリータとのボヘミアン生活もそう。
旧世界では移動はその土地々々の意味を帯び過ぎてしまう。
新世界の未開の荒野だからこそ、
移動はノスタルジックな単なる空虚さに荒ぶのだ。
ニンフェット崇拝がいつの間にかロリータ固執に変じるのは
やはりH・Hが過去のみを向いた人間だからだろう。
それが物語、云い換えればアイデンティティとなる。
だから、物語はいつの間にかわずか三日という綻びを来して
現実と虚構の区別が曖昧になっても、なお終局を求めて走る。
・平野啓一郎『顔のない裸体たち』
読み物としては面白いけれど、題材といい人物のつくりといい、
当世もっともらしくて当たり障りがないと思った。
観念で物語を執拗に引っぱった感じ。
それゆえ描写は澱まず蛇行せずに粗筋をなぞってゆくし、
あまり印象に残る場面がない。
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