物語内物語という技巧を多用するオースター作品でも、
四重という本作は凄まじい。
瀕死の病から生還した小説家シドニー・オアが小説を書き始める第一層。
その小説のストーリー。さらにそこでモチーフにされる第三層目
(これが『オラクル・ナイト』という題の出自だ)。
そして、次第に明らかになる未来軸が四つ目だ。
この絡みあいというより、その全体の指向と解釈が変容するというのが、
本作の最大の面白みだった。
だから、ポルトガル製の青いノートを解釈しても、
登場人物の役割と象徴を物語内に当て込んでも、あまり意味はない。
この構成的な作品を解釈するのであれば、その構成のプロトタイプを見出すべき。
ストーリーの内容ではなく、ストーリーの変容とリズムを。
そう、まさに音楽的なのだ。「形式」的といってもよい。
主題の変容はソナタ形式的だし、語りの自由度は狂詩曲的だ。
『幻影の書』と同じように、問題とされるのは時間軸だ。
物語を時系列ではなく位相の多重性で語ることで、
物語は初めて時間軸の不可逆性に対抗できる。
位相には回想や予想といった思考上の時空越えも含まれるが、
それを拡張し、一つの物語そのものを閉じ込めてその要約を抽出する。
これが濃密なストーリー性と面白さの原点であり、オースターの文体だろう。
とにかく多くの情報がリアリティとしてつぎ込まれ、
どれが伏線となって再び立ち現れるかなんてわからない。
私の好きなプロコフィエフのピアノ協奏曲第三番の
第一楽章の序盤のクラリネットのように、
突然現れて消え、突然現れてまたたく間に座を占める。
オースターの書き口はテンポがよく、即興語りのようですらある。
退屈な描写が延々と続くより先に、行為と心的描写と会話が
楔のように次々と打ち込まれ、問題は解決され提起されながら、
大きな物語が知らぬ間に構成されているのだ。
飽きさせない。嘆息が尽きない。
0 件のコメント:
コメントを投稿