読書日記としての雑誌連載が元とは、誰も思うまい。
電車やバスの旅の感想から連想して、申し訳程度に新刊本が紹介されるだけだ。
だから、タイトルどおりの本として読む。
22の経路を辿りながら回顧や考証をし、たいていの回ではそばを喰う。
読み物としてあっという間に読めて、面白かった。
団地に生まれ育った筆者らしく、西武新宿線に好意的だ。
堤清二=辻井喬の進歩性と、不破哲三なども住んだひばりケ丘が重ねられ、
団地に住んだ人々が団地を共産圏的にユートピア的に捉えていたろうと回顧される。
古い古い60-70年代の記憶だ。
敗戦色に彩られて迷走する1940年代前半が
40年前の日露戦争の栄光に思いを馳せるくらい古い。
藤森照信『建築史的モンダイ』の概略(p.138-139)は興味深かった。
宗教建築は基本的に縦長になるが、
東アジアでは堂宇だけは住宅洋式に倣って横長である、という指摘。
確かに、例はすぐにでも思い浮かぶ。
寺社の参道、奥の院、前方後円墳、謁見ルート、…。
どれも縦長で、奥に神々しく控えるものがある。
日光の回で、幕末の尊王の気運が14代将軍の頃から発露があったとあり驚かされた。
徳川家は大行列を組んで上洛しすることで、天皇に対する優位を示していた。
家光の頃、将軍家は籠の中で姿を見せないことで畏敬されたというが、
家茂は積極的に姿をさらしたのだという。明らかに人気の凋落だろう。
また、日光には明治期から御用邸があって、
今は記念公園となっているらしい。
日光が徳川家だけでなく天皇家にも関わりがあるとは知らなかった。
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