11.2.11

J.M.クッツェー『恥辱』

教え子と関係を持ったために破滅した元教授の物語、ではなかった。
そのなりゆきは全体の1/3ほどで、残るはすべてもがくような苦悩。
追われるように街を出て娘の経営する田舎の農園へ行き、
そこでの血の論理を納得できないまま、非寛容に身を任せて破滅してゆく。
脱せない堂々巡りが思索するような閉塞、自虐の文体が、
タイトルそのままに"恥辱"だ。

文学と女に情熱があり、俯瞰するような批評眼が逆に頑な態度を生む。
その周囲との軋轢で、みるみるうちに堕落してゆく。
そして最後は、犬を安楽死させる仕事に束の間の安住を見出だす。

田舎の一地方でヒッピー的な農園生活を営む
娘のルーシーをめぐる顛末が興味深かった。
アパルトヘイト撤廃前後の混乱した南アフリカで、
治安の秩序は警察権ではなくムラ社会的な血縁関係で保たれる。
先祖帰りのように農園生活に入ったルーシーが、
そのような後見のないまま、突然の掠奪とレイプに現実を見せつけられ、
やがては子を孕んだまま欲しない血縁関係で生き延びようとする。
やがて全体像が見えてくる"反近代的な"論理には、読んでいて救いがない。

クッツェーの文体はさらっとして、
それでいて描写されるのはおよそ理不尽な暴力や圧力だ。
あまりに恩情を欠いた展開の徹底性は、
暴力と隣り合わせの国の乾いた風土、そしてクッツェーの鋭い批判精神だ。

0 件のコメント: