3.6.08

五月の旅行記5 グラナダ

21日

このホテルはもう宿泊しないので、荷物をまとめて階段を下りる。
受付のおじさんに荷物を預かってもらえないか訊くと、
勿論、と快い返事をもらった。
というわけで、朝の光まぶしいグラナダを揚々と歩いてグランヴィアへ。
アルハンブラ宮殿の入場時間は13時半ということだが、
庭園などあると聞いていたので、早速向かうことに。
途中、タバに入って日本へ送る封筒を見せ、0.78€の切手を買う。
貼付してからポストに投函、しかしPAR AVIONの記載を忘れ、
もしや船便で数ヶ月揺られて届くのではないかと、
いささか不安にもなる。

カフェでチョコレートの菓子パンを購入、齧りつつ宮殿への道を上る。
土産屋が数件続いてから、工事現場をすり抜けると森になっている。
その先にアルハンブラ宮殿が図体を構えているようだ。
道に建てられた地図には、受付は先、とあったが、
左手に森がひらけて大きく古い煉瓦作りの門が口を開けていては、
引き寄せられざるを得ないというのが人情。
その上を観光客が歩いている門をくぐる。
宮殿のある丘を下りるようにして、崩れて砂利だらけになった道があり、
ところどころにひび割れもあるがまっすぐで強固な壁が続き、
その生真面目さを笑うように木や草がいっぱいに茂り、
小さな滝やせせらぎまでができていた。
杜甫の「城春にして草木深し」とはこんなだろうか、と感じつつ
丘を下りると、アルバイシン地区の丘との谷に出た。

谷沿いに歩くと、博物館があったので入ってみる。
EU圏内の住居者は無料ということなので、
フランスの滞在許可証を見せたところ、首を傾げつつチケットを切ってくれた。
何のことはない、考古学的な出土品を展示してあるのだった。
興味深かったのは、中世前のキリスト教からイスラム化を経るあたり。
紀元8世紀に西ゴート王国からウマイヤ朝へと明け渡された痕跡は、
装飾が幾何学模様へと移行するさまにも現れ、
宗教の心性を垣間見ることができたように思われる。
小さな博物館は、一時間もしないで観ることができた。
中庭から臨む空とアルハンブラ宮殿は綺麗で、
この宮殿はスペインの乾燥した気候にあってこそ、と思った。
雲がちで四季それぞれの濃い日本にあっては、
強い違和感を覚えさせずにはいられまい。

再び同じ上り坂を通って、今度はアルハンブラ宮殿の受付へ。
昨日にした予約をチケットに印字する機械でチケットを引き出す。
地図に従い、道を少し戻ってアルハンブラ宮殿の入り口へ。
まだ我々の入場時刻ではないので、自由に入れるカルロス5世宮殿へ。
外観は四角い普通の建築物なのに、内部はローマ風の円形の中庭、
という変わった建物で、内部には博物館があった。
さまざまなアラベスクの施された器具や装飾が展示され、
目玉としては、最近復元されたらしいライオンの石像があった。
痛んで細部が剥がれたからか、もともとそんなデザインだからか、
つるんとしていてかわいらしかった。

ついでにやっていた現代美術の小企画展を歩いてから、
13時半が近づいてきたため宮殿内部入り口に並ぶ。
少し遅れてようやく列が進み、我々がチケットを出すと、
なぜかバーコード読み取り機が異音を発した。
係員が、あぁ、というような表情をし、チケットに印刷された日付を指差した。
あろうことか、ひと月先の6月21日のチケットだったので、
ネットでのミスかと同情してくれた係員も
中に入れてはくれず、もう一度、受付への道のりを歩くことに。
とりあえず売り場でチケットを買い直し、
案内の係員にどうすれば払い戻してもらえるか訊くが、
名札にあるフランスの国旗がフランス語OKを示しているにもかかわらず
大した意思疎通ができずに、英語でようやく伝えると、
どうしようもない、と梨の礫。
安くなかった予約チケットがゴミになるのは惜しいと、
どこか買い取ってくれるチケットショップのようなところはないかと訊くと、
そんなものはないが個人で売るなら勝手にしてくれ、と云う。
同じくフランスのナンシーから来ていた夫婦は、
自分たちも別の不具合で二枚チケットを買う羽目になった、と云ってきた。
ここの仕組みは融通が利かない上に解りにくい、と。

Generalifeという庭園があり、最終入場が14時というので、急いでいった。
綴りから勝手にジェネラルライフとか云っていたが、
ヘネラリーフェと読むのが正しいらしい。
植え込みが平らに刈り込まれていたり、
かなり手は加えられているものの、
それでもまばゆい日光に映える草花がどこまでも咲き誇り、
低木からにゅっと木が突き出ていたりと、完全に人工的というわけではなく、
ほどよく整えられた庭園、という感じで、
ヴェルサイユの庭園より遥かにこちらのほうが好み。
人工的な噴水や道は名脇役として、草の美しさを際立たせている。
薔薇の花はどれも大きくて妖艶しく、
木によって微妙に違う緑色が同時に風に揺すられるさまも美しい。
アセキアの中庭に入る手前で、日本人の女性に声をかけられ、
ここから宮殿内部入り口への近道はないかと尋ねられた。
係員がフランス語ができたので訊いたが、ないとの返事。
足が少し悪いということだったので、あの距離を定刻通り戻れたのかいまだ気になる。
アセキアの中庭に入ると、草花と噴水が競演しているようだった。
建物にはアラビア文字の装飾が緻密に施されていて、
相当な技術力を物語っていた。灌漑技術にしてもそうで、
糸杉の散歩道にある階段では、手すりを涼しげに水が流れていた。

昼食をとれなかった15時前、酒場で軽食を取ることにした。
宮殿を出てまた同じ道を下りてゆく途中、
フランス人高校生たちが排水溝を取り巻いて騒いでいた。
覗いてみると、魚がはねている。
ほどなく、どこからか来たおっさんがその魚を掴んで、
どこかに行ってしまった。
それでまたはしゃぐ高校生たちを見て、
高校生独特のノリに国境は関係ないと実感した。

下り道を間違えたせいで変な路地を下ることになったが、
ほどなく街の中心部にたどり着いた上、
何の変哲もない古い住宅にもアラビア語の装飾を見つけられた。
酒場を探して歩きながら、フラメンコの衣装を身につけた
小さな女の子が散見されることに気づく。
何か行事でもあるのかと思いながら、
見つけた酒場でスペイン風オムレツを食す。
予想外にパンも出てきたので、空腹は充分に満ちた。
街をうろつき、入場時刻まで時間があるので、
友人はその待ち人に葉書をものし、自分は本のワークシートを進めた。
切手を買うためタバに行ったが、もう閉まっていたらしい。
六時頃、三度目の上り坂を疲れた足で歩き、
列に並んで待つこと十数分、今度こそ宮殿内の見学が始まった。

イスラム建築の珠玉の一つに数えられるのはうべなるかなだった。
壁一面のみならず、天井にも精密な幾何学の彫り物が施され、
そんな部屋がいくつも続いてゆく。
残念ながらあの有名なライオンの中庭は修復中だったが、
数学的なきめ細かい象形美の世界は、
キリスト教のイコン的な美に長らく浸っていた自分にとって、
異形に包まれたような感覚だった。
人間味からはどこまでも隔離された無機質な世界だが、
それでいて美しいと感じるのは、不思議な感触だった。
ただ、息が詰まるようでもあった。
廊下からアルバイシン地区を見渡すと、その緊張は緩むようだった。
人間性の徹底排除された美しさ、これもまた聖への一経路なのかもしれない。
(聖は遍在するにしても、聖の表現についてはそうではないと考える。
 要は、日常の排除であれば何でもよいのかもしれない。
 美とはその窮まった形であり、一点にではなく、
 日常を中心とする同心円の円周に起原があるのだろうか)

街に下り、昨日うろついて見つけた、
ムニュ6.50€という格安のレストランへ歩いていると、
いくつかの場所で大きな祭壇のようなものを組み立てていた。
レストランは、格安とはいえワイン1グラスつきで、
料理もそこそこいけたし、そこそこ満腹になった。

午前3時に出発するバスを思えばいくらでも時間はあるが、
レストランを出て、ぶらぶらとホテルに戻ろうと歩いた。
友人が祭壇の警備員に何のためのものか問うと、聖体祭ということだった。
ほかの広場では舞台ができていて歌と踊りを披露していたし、
街はイルミネーションで飾られたり若者が集団ではしゃいでいたりと、
お祭りの雰囲気が伝わってきた。
ホテルに戻って受付のおじさんに詳しく訊くと、
一年で一番大きな祭りの前夜祭が今日だということで、
荷物はまだ置いていていいから行ってみてはどうかという。
いずれにせよ今晩はシャワーを浴びられないので
濡れたタオルで体を拭き、粗末な代用とした。

バスターミナル近くのバーでタパスをつまみながらバスを待つ、
という計画をどう変更するか友人ともめ、
バスターミナルへと向かうバスがなくなることを一番危惧していたのだが、
そう遅くなることはないと、前夜祭に行ってみることにした。
受付のおじさんが地図で示した方向に足を進めたが、
浮き足立った市民たちは逆方向へと急いでいるように見えた。
また同じ広場で、前夜祭の行われる場所を訊くと、
レンフェ駅の近くということらしく、バスの番号を教わってきた。
駅からホテルはもう戻ってこられないので、
ホテルに荷物を取りにいった。
しかしどうも自分は腑に落ちず、
レンフェ駅からバスターミナルへ無事行けるかもわからず、
駅付近とて前夜祭開催地がどこかもわからないのでは、
どうも不安で行けない、と考えていた。
しかも、教わった二つの番号のうち一つは
明らかに駅に行かないことに気づき、
もう一度受付のおじさんに訊くと、
駅ではなくバスターミナル附近ということだった。
それなら、とバスターミナル行きの路線バスに乗り、
同じように前夜祭へ行くのであろうグループに続いて下車すると、
道には人の流れができていた。

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