24.11.09

身分制再び

あらゆる社員が正社員だった時代が、「一億総中流」の題目に象徴されるように、
高度経済成長の各人の意欲と横並び意識を支えたことは有名だが、
バブル後と雇用格差のいま、そのような時代があったと、想像できない。

正社員か契約社員か派遣かバイトか。
仕事として何をするかではなく、どう雇われるかが、格差を生む。
いささか、戦前までと似ているように思う。

戦前、出身の学歴によって歴然と雇用が差別されていたことは有名。
社員が現代の正社員に当たり、雇員、傭員と続く。傭員は月給ではなく日給だった。
雇員と傭員の差はさほどないものの、
雇員と社員は大きく隔てられていたというところが、
現代の正社員と契約社員の違いに似ている気がする。

この雇用形態の違いは、主に(専らといってよい)学歴だ。
例えば、大学出身者は、最初から社員。
社員の中でも出身校で違い、帝大がトップで、続いて私大。
専門学校(その多くは戦後に大学になった)が一番下で、
ここらあたりだとスタートは社員とも限らない。
ちなみに、これらのどこに進学できたかは、
出身の(旧制)高等学校によったらしい。
現在の高校よりはるかに強い相関関係があったと思う。
高等小学校や中学出身だと、傭員からスタートで、
下の社員との給与の差は、初任給でも倍近くになった。

もちろん、その時代よりは格差は小さいのかもしれない。
だが、企業という同一組織内の格差は、
それ自体としてではなく、格差として認識が共有されることで、
はじめて問題になる。
だから、データがどうのこうのというのではない。
これは実感だ。私自身が契約さんと話をしていて思う。

しかし、そうも云っていられない。
人事系の業務の友人に聞いて知ったが、
地方公務員では下級正職員(=ヒラ)を主事という役職に任じる。
正職員であれば否応なく、契約職員の上に置かれるのだ。
これは、「正」「契約」「派遣」が、
本来の意味合いでは単に雇用形態の違いに過ぎないところに
上下関係を組み入れるという点で、露骨だという印象を受けた。

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