あらゆる社員が正社員だった時代が、「一億総中流」の題目に象徴されるように、
高度経済成長の各人の意欲と横並び意識を支えたことは有名だが、
バブル後と雇用格差のいま、そのような時代があったと、想像できない。
正社員か契約社員か派遣かバイトか。
仕事として何をするかではなく、どう雇われるかが、格差を生む。
いささか、戦前までと似ているように思う。
戦前、出身の学歴によって歴然と雇用が差別されていたことは有名。
社員が現代の正社員に当たり、雇員、傭員と続く。傭員は月給ではなく日給だった。
雇員と傭員の差はさほどないものの、
雇員と社員は大きく隔てられていたというところが、
現代の正社員と契約社員の違いに似ている気がする。
この雇用形態の違いは、主に(専らといってよい)学歴だ。
例えば、大学出身者は、最初から社員。
社員の中でも出身校で違い、帝大がトップで、続いて私大。
専門学校(その多くは戦後に大学になった)が一番下で、
ここらあたりだとスタートは社員とも限らない。
ちなみに、これらのどこに進学できたかは、
出身の(旧制)高等学校によったらしい。
現在の高校よりはるかに強い相関関係があったと思う。
高等小学校や中学出身だと、傭員からスタートで、
下の社員との給与の差は、初任給でも倍近くになった。
もちろん、その時代よりは格差は小さいのかもしれない。
だが、企業という同一組織内の格差は、
それ自体としてではなく、格差として認識が共有されることで、
はじめて問題になる。
だから、データがどうのこうのというのではない。
これは実感だ。私自身が契約さんと話をしていて思う。
しかし、そうも云っていられない。
人事系の業務の友人に聞いて知ったが、
地方公務員では下級正職員(=ヒラ)を主事という役職に任じる。
正職員であれば否応なく、契約職員の上に置かれるのだ。
これは、「正」「契約」「派遣」が、
本来の意味合いでは単に雇用形態の違いに過ぎないところに
上下関係を組み入れるという点で、露骨だという印象を受けた。
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