・ブラム・ストーカー『ドラキュラ』
反ドラキュラ陣営は速記、タイプライター、蓄音機、電報、
写真、新聞など19世紀末に急速に発展した情報通信手段を駆使する。
この技術の進歩がどのように作品内で現れているのか
識ること、これが、本作品をあえて読もうとした動機だった。
イギリス最大の繁栄たるヴィクトリア朝の末期に書かれたことが、
実は本作品の最大のポイントであることは、
読んでいてよくわかった。
(詳細な註釈の附された水声社版で読めてよかった)
当時は、イギリスの経済成長の頂点を過ぎ、
世論が次第に保守化していた(ちょうど現在の日本のような)状況。
小説内で登場人物たちは、最新の技術や学識を駆使する。
あるいは「新しい女」やタイピストが登場する。
優生学的な思考や、性別役割分業など
イギリスの高度経済成長を支えた社会秩序が
ちらりちらりと見え隠れする。
その背景を共有しつつ反ドラキュラ陣営が
月並みに一元化された「善」に結託すること、
これを私は保守と捉えた。
技術はイギリス繁栄の文明の象徴、
情報通信技術は、そのために持ち出されたのだと思う。
聖書、そしてシェイクスピアの影響があちこちにあるが、
これは枝葉末節部分に思われる。
例えばドラキュラ城の三人の女、これは『マクベス』だが、
だからといってあまり鍵になるようなことはない。
しかし、ドラキュラとの戦いが情報戦であるとみると、
この作品は面白かった。
情報が力となるのは、集積・整理され、
複製可能なものとして京有されるときだ。
この迅速さを増す技術として、
タイプライター、カーボン紙、蓄音機、速記術、電報が
小説内では大活躍する。
鋭く示唆的で面白かったのが結末。
顛末のまとめられた文書はautoriséされていない、
しかしこれが現実であることは信じてもらうしかない、と云ってしまうのだ。
情報は特徴として参照元を持たない。
それを根本的な危うさとして指摘しているわけだ。
だから、このあらすじは嘘かもしれない。
というか、小説だから嘘なんだけど、
その虚構性が小説から、現実の複製を通じて現実に忍び込んで来るに至った
ヴァーチャルな現代を、仄めかしているような気がした。
・石井聰亙『爆裂都市 BURST CITY』
上映時間にして二時間弱。
うち半分がどつきあいの喧嘩じゃないのかというくらい、
最後のシーン、長々と繰り広げられる乱闘が
目に耳にどぎつかった。
はっきり云って気持悪くなった。
即物的すぎる。えぐい。
それが魅惑といえば、確かに魅せた。
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