7.12.09

川端康成「雪国」/文学フリマの感想と「ゼロ世代」

・川端康成「雪国」

遠い中学二年のときに読んだきり、通して読んだのは久しぶり。
『掌の小説』にもあるような、少ない言葉であまりに多くを言外に語る、
これこそ詩だ、と思う。

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昨日、大田区蒲田での文学フリマに行った。
そういう催しがあることは朧げに知っていて、
この直近の実施を知ったのがほんの二、三日前。
かつては秋葉原だったらしいが、郊外に移って今は蒲田らしい。
京急で二駅で行ける近さならと、腰を上げた。

元々の目的は、「ジュール・ヴェルヌ活用法」というタイトルの
奥泉光のトークイベント。
文学、いや藝術一般って、固よりすべて二次創作、
あるいは、引用の集合体、だから、
それをあえて意図的な手法ということをどう捉えているのか
聞ければ、と思った。
チケットが先着順で、のんびりと着いてもうないだろう、と
思っていたが、意外にも残っていて、ありがたかった。

ただ、開始の午后過ぎまでそこにいるのがしんどいような
そんな場違い感を、ずっと抱いた。
どっぷり浸かった文学部の雰囲気、とでもいおうか。
絵ではなく文章だから、ブースを廻っても意味はない。
しぜん、見本誌の部屋でひたすら立ち読みをすることになる。

大学名の入ったサークルでの作品は、たいていはひどい。
ちょっと刺激的な単語を即物的に転がすだけで満足していたりする。
一橋大学文芸部のだったか、冒頭の小説をぱらぱらと斜め読みしたとき、
実直に語っている真摯さは、素朴に良かった。
小説はほとんど見なくて、評論を中心に漁ったが、
東京学芸大学のものは群を抜いていた。
…って、ほとんどOBやないかーい。でも、いいものはいい。
アマチュアのもので思わず買ったものは、これだけ。
あと、NR系の「社会評論」は、大西巨人の対談など
資料としての重みがあったので、ひとまず買ってみた。

行ってみての感想。
文学の最先端。というか、文学の草の根運動の最先端を覗けたのは面白かった。
「ゼロ世代」という云い方、これを知ったのは一つの収穫だったと思う。
阿部和重や中原昌也など文芸誌を活動主体にしている
J-POP世代を90年世代として、
その次の文学として、舞城王太郎、西尾維新、など、
どっちかというと『ファウスト』系で活躍している作家たちの世代。
90年世代までの文学は価値観の破壊、
 ゼロ世代は崩壊した価値観から立つ新しい語り

という、どっかで読んだ図式は、言い得て妙だと思った。
(石川淳の「焼跡のイエス」みたいだけど)
でも、そうなんだろうか。
確かに、ゼロ世代の文学って、
規制の価値観・倫理観にはほぼ立脚していない。
していたとしても、非常に狭く、として厚く閉ざされた世界だ。
だから、その小世界が妄想的に社会へと
拡張認識されて、その名もセカイ系だったり、
小世界がその価値観・倫理観・世界観を共有しないまま現代社会を揶揄する
「りすか」みたいなのだったりするわけです。

なんとなく上のようにまとめていて思ったのは、
舞城とか西尾とか佐藤友哉とか円城塔の文学って、
即物的でありかつイコン的で、
「ヨハネの黙示録」とか「ダニエル書」の黙示文学じみている。
供儀や打擲、セックスなどで物語を彩って、
即物のテクスチャー(織物)として社会を編み込む。
徹底的に二の次に置かれるけどゲマインシャフトが結局は暗示される。
この彩りの目眩、即物の生々しさがいわゆる「ゼロ世代」の
いまだ名のない一文芸運動なんじゃないか、と思う。
「内向の世代」との類似が、どこかで指摘されていたが、
そこまでちっちゃくはない。
世界を書いてるから、意外と大きい。

行き着く先は、じゃあ何なんだろう。
ピンチョンが『V.』『重力の虹』『ヴァインランド』の
一連の今世紀を書いたように
西尾維新がフォークナー的な野心に燃えたら、
かなり面白いことになりそうではあるけど。

まぁ、こういうことを考えた。
というのは嘘で、これはただ筆が進んで今書けただけ。
そのときはただ漠然と、同時代の存在を少し頼もしく思っていた。
だって、綿矢りさと羽田圭介だけでは
淋しすぎて死んでしまうだろうから。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

サークルの出す本なんて大抵は即物的なんじゃないの。本気で文学やってる奴なんて一握りだと思うがね。

あと俺には言ってることの半分以下しか理解できないけどもゼロ世代といわれる今の作家たちが作り出した彼らの文学はサイコの大塚が「キャラクター小説の作り方」って本でいうキャラクター小説とは違うもんなのかい。舞城は読んだこと無いからわからんが西尾の作品はキャラクターで成り立つような気がするんよ。

ほんでゼロ世代以降の作家たちは何がしかの影響をそこから受けてその後の文学を形成していくんじゃないの。

それがどんな文学になるかなんて文学素人の儂には想像もつかないが、読んでて何か感じることができればいいと思うのです。

素人でした。