海の原風景はおそらく泉州の海水浴場で、まだ関西空港のない頃だった。
塩辛いとか底がどこまでも深くなる、といった印象を、
幼い頃はなぜか持っていたように思う。
常にプールと較べては怖がっていたのはなぜだろう。
波が小さな体には、相対的に大きかったからなのか、
あるいは、海イコール海水浴としか思わなかったからか。
自分にとって海とはながらく、瀬戸内海だった。
あるときは宮崎だったり伊勢だったりしたけれど、
それは旅行の晴れた凪の海だったので、あまり瀬戸内海と違わない。
日本海は鳥取砂丘から眺めて、水平線の先までべったりした薄汚い碧だった。
どこかしら期待はずれだった。
大阪を離れてから、海は飛行機から見下ろす無地となった。
雲がなくて陽が射すと、波が細かく海面に立っていた。
波とわかるまで、細かくどこまでも地にへばりつく街と思っていた。
この大阪を離れる景色に始まり、長い北の一人暮らしだったように思う。
帰阪の空路は、何度すぎたかわからない。
見下ろす景色が知多半島から紀伊の山の連なりへと変わるときの海は、
人懐っこい故郷大阪の近づきだった。
あるいは時に倦んで、どこまでも東へ行った先の防砂林の向こうに開けた、
仙台平野の果ての海岸に沿った荒波。
砂まみれの潮風とともに、全身で海を視た。
西ヨーロッパで始まった一年限りの生活で、
最初に見た海はストックホルムだった。
ガムラスタンの王宮から見下ろす、雨より静かな海と、
市庁舎の中庭から港への、歩けそうなくらい穏やかな入り江。
そしてバルセロナの(丁度二年ほど前になる)、
黒々として潮の匂わない地中海。
五月、ジブラルタル海峡を越えるフェリーから見下ろす海の色は
硝酸銅の結晶を砕いたような色だった。
今は、横浜にいる。
みなとみらいというträumereiのような音の賑々しい再開発地区より、
相模湾の惚けた海の沿岸に住みたい。
あるいは高知のような。
中上健次の長篇『奇蹟』は、湾をクエの顎に譬えるところから始まる。
穏やかで遠浅な、しかし浜の後背に奥深い山の聳える血の濃い土地。
相模湾も土佐湾も、思えば似た形だ。
山を削った新興住宅地に育った生き様からは遥かに遠い。
だから惹かれるのかもしれないけれど。
1 件のコメント:
ヨーロッパの海ってなんか冒険の匂いがぷんぷんするな。
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