31.10.10

ペドロ・アルモドバル『ボルベール〈帰郷〉』、塚本晋也『六月の蛇』

ペドロ・アルモドバル『ボルベール〈帰郷〉』

例えば死んだパコの処分や叔母の葬儀など劇的なはずの場面も、
あっさり起こっては疲れた日常に紛れるように受容される、
そんな感じに描かれて、なかなかとりとめがないように感じた。
過去にばかり拘泥しているストーリー展開だし。
主題がいくつもあるのにどこに主眼を置けばよいか分からない交響曲のよう。
最後に母親の口から明かされる代々の因縁に、
一つずつの出来事が渦を巻いて呑み込まれる。
それも救いとはいかず、どこへ向かうのかよくわからない。
観客に任される、というよりは、その圧倒と余韻を楽しんだ。

登場する女性たちのなかでずば抜けて綺麗かつ化粧の濃い
ペネロペ・クルス演じるライムンダが、
初めから終わりまでずっと自己中心的に動き回るが、
最後は母親と出会って家族とともに落ち着くという、
映像的にはそんな感じだった。


塚本晋也『六月の蛇』

久しぶりに観た塚本晋也だった。
都会と暴力、というより(それもあるけど)、
『VITAL』みたいな執念を感じた。
青一色の暗い舞台と、陰に縁取られた人物のアップと、雨と湿度。
レンズが至るところに在る、という謂いは凡庸でも、
それが本性と人格を剥ぎ取ってとんでもないところへもってゆく
ストーリーが、まぁ気持悪かった。
♀部がベースで♂部が展開、両者の変な合一が虚妄、になるんだろうか。
妻とストーカーと夫と、三者が袋小路で織りなす場面は
印象的だっただけでなく、象徴的だった。
カメラのレンズはただ映す。
だが被写体の仮面どころか本性まで剥ぎ取ろうとするストーカーと、
自らがまるで妄想するレンズそのものになってしまう夫と。

30.10.10

セルジュ・ブルギニヨン『シベールの日曜日』、磯田道史『武士の家計簿』

セルジュ・ブルギニヨン『シベールの日曜日』

原題はCybèle ou les dimanches de ville d'Avray。
記憶喪失の奥に兵士として少女を撃ち殺した葛藤を抱えたピエールが、
寄宿学校に捨てられたシベールに惹かれたのは、
記憶に疼くものがあったからだろう。
シベール役のパトリシア・ゴッジの
容姿と仕草のかわいらしさが光る作品でありつも、
カメラワークが繊細で詩的だったのが印象的。
「寄宿学校のベッドで作り物の青い石が肩に触れたときに
 ピエール(Pierre=石)のキスを感じた」というシベールの独白も、
曇ったガラス越しに池を眺めるピエールの眼差しも、
Cybèleの名が明されたときすぐさま同音のsi belleに変じ
その美しい風景がクリスマスの夜にすぐに消えてしまうはかなさも。
池のほとりのカフェで暖炉の火に照らされる陰翳の美しさは白黒とは思えない。


磯田道史『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』

加賀藩の御算用者の猪山家がどのように取り立てられ、
廃藩置県を経て海軍省官僚として身を立てたかが時系列をもって開陳される過程が、
たいへん史料考証的で面白かった。

21.10.10

福永信『星座から見た地球』

A、B、C、Dの四人の小話が一段落ずつ、順繰りに延々と続く。
シャボン玉やバスの話、病院での奇妙な冒険譚、出会い、別れ、生、死、…。
そのときどきで、AはさっきのAと別の子(猫?)だし、
時間軸を遡ったり、あっちこっちでエピソード同士が重なったり翳めたりする。

ストーリーはない。いや、無数にある。
風景の点描からあぶり出されるような淡い物語のかずかずだ。
大きな一本のストーリーとしての小説を予想すると、見事に裏切られる。
なんか、ふっと暖かい。
大人のわからないところで、子供や猫や、まだ産まれていない胎児や、雰囲気が、
そっとことの成り行きを見守りつつくすくす笑っているような。

20.10.10

ポール・オースター『幻影の書』

無声映画で活躍し忘れられた役者ヘルター・マンの失われた一代記があり、
導入と狂言回しには語り手の悲劇と復活がある。
死後に伝記を出版するという執拗なまでに完璧で逆説的な手法が
シャトーブリアンとアルマと語り手デイヴィッドの三重奏で綴られ、
その連関と気づきが物語をどんどん明らかにしてゆく、
この冒険感はたまらなかった。
その中で語られるメタな物語の精巧さ(特に映画の描写)が美しい。

三重奏になっているのは、すでに失われかけたものを捉えて記述する流れ。
過去と折り合いをつけるべく図り、行為するなかで、
次第に芽生える未来が、最後にはっきりと記述される下りは、
じつに淡々としているが、力強い。

私的メモ。
改めて、文体について考えた。
説明においては思考し、行動においては先回りしする文体、とでも云おうか。
この体験をさせられたのは、3年ほど前に読んだサラマーゴ以来。

12.10.10

福永信『アクロバット前夜90°』

福永信の第一短篇集。
もっともこちらは「90°版」で、元は特徴的なヨコ組。
文章が改行されずにページを跨いで延々と一行目を走り、
その果てでようやく二行目に、…というもの。

福永信の短篇はどれも不思議だ。
物語が進行しているのに、記述は表面をなぞるばかりで、
意味や背景や思考は語られない。
そして語りはときに符牒や暗示を孕むが、
それがどういった意味と因果を持つのかは、やっぱりわからない。
わけのわからないまま物語であるというだけの理由で
物語を抱えて、語る言葉を駆け抜けてゆく感覚。

書き下ろし短篇「五郎の五年間」は措いて、
ほかのどれもテーマとしては、擬態と偵察だろう。
そしてそれが、ある一者の立ち位置から書き始められるものの、
結局はほかの無数に紛れ、惑わされるようにしてわからなくなる。
文体自体がそうという、なんとも煙に巻かれたような読後感だ。

10.10.10

J.M.クッツェー『マイケル・K』

クッツェーは『夷狄を待ちながら』以来。
社会集団vsその中の個、という構造が
あまりに生々しく描かれた文体を再びなぞりたくて手に取った。
この作品では、その構図はより飄々と摑みどころがないが、
終盤で全貌を突きつけられる感じだ。
無数にあるキャンプのどこにも属さず、
大地に向かいあってgardenerとして生きること、として。

この作品で際立っていたのは、何より暴力の描写。
アパルトヘイトによる内戦で疲弊する国土と、大衆の心。
『夷狄を待ちながら』では、暴力は怒りの感情豊かに表現されていたが、
それと打って変わってこうも淡々と延々と綴られては、
救いもないし、もうどうしようもなく首を竦めてやり過ごすだけ。
それは、とにもかくにも目的地へ向かうというマイケル・Kの思考回路だ。
夜間外出禁止令や警察や軍隊の間を愚直に狡猾にすり抜け、
とうとう辿り着いた大地での生活も、理想化されずに描き込まれる。
そしてその終わりを象徴するような、地雷を埋める兵士の描写が印象的だった。

8.10.10

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

幸せな学校生活が、喜怒哀楽を伴うエピソードの羅列として綴られてゆく。
小説舞台の仕組みに行を費やすなんてことはない。
暮らす学校やコテージの描写、そこに満ちた会話や考えが、
ときに明らかにときに暗に、照らし出してゆく形。

その徹底でありながら、一つのSF的な世界が描かれているのだ。
SFはその世界の精度や問題を投げかける、
だがそれが小説である限り、その状況をどう懸命に生きるかだ。

世界を描く方法の中で一番やわらかい、と感じた。
徹頭徹尾が経験だから、頭ではなく心で追体験する。
制度への"人道的"疑問ではなく、ていねいに記憶された細部から、
そして、それを奪われてゆく淡々としたストーリーから、考えさせられる。
表題ともなっているNever let me goのシーンは、泣きたくなる。

5.10.10

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

米川正夫訳で読んだ。
このすさまじくも暖かい長篇を読み了るまで、一ヶ月もかかった。
今日、残る1/6ほどを一思いに読み切った。
主題は幾つも挙げられよう。
ロシアの精神性や庶民性、教育論、父と子の関係、冤罪、
そしてドストエフスキーという作家の主題である魂の救済…。
ひとまずここでは、自分の気づいた点だけ感想代わりにメモしておく。

記述(著者の視点というべきか)が非常に記者的だということが気になった。
文体と片づける以上のものがあるように思えてならない。
ドミートリイの行動を逐一追って記述が展開されるだけでなく、
検事側と弁護士側、そして大衆がそれぞれその流れをなぞる、
その行為そのものが野家啓一ふうにいえば「物語の再構成」になるからだ。
そして、そうして取りこぼされた事実のために、あってはならない冤罪が生じる。
これが一点。

そして、最後に殺される「父親」フョードルという、ある種の諸悪の根源に、
ドストエフスキーはなぜ自分の名を冠したのだろうか、という疑問。
物語の末尾で子供たちの挿話では、
半気狂いの両親と友人たちに見送られながらイリューシャが弔われる。
これは、弁護士の弁論で主張される教育論とも共鳴するし、
カラマーゾフ親子の悲劇的結末の裏返しにもなっている。
親から子へ、さらにその子へ、と連鎖する悲劇の頂点にいるからということでなのか。
もちろん、ありきたりな名前だからそんな疑問は愚かしい、といえようけれど。

2.10.10

九月の旅:釜山、ソウル、函館、室蘭、札幌

9月は旅ばかりしていた気がする。
中旬に釜山とソウル。一週間後に函館、室蘭、札幌。



○釜山、ソウル

韓国は出張りだが、私事としても楽しめた。
釜山は中心地ではなく郊外のリゾート地のようなところに少しだけいた。
広安大橋に沿ったビーチで、のんびりビールを飲んだぐらい。
ソウルは驚くほどの大都市で、東京より巨大かもしれない印象だった。
看板の犇めく小道、といったアジア的風景は、都心にはほとんど残っていない。
ハングルのわからない自分にとって、
街の風景は意味を介さずにただ高層ビルが建ち並び、
イルミネーションが輝き、賑わう。
漢字と仮名のわからない外国人にとって、東京はこんな感じだろう。
無国籍的で、人と車だけが多く、ときに過剰なほど整備されている。
コンビニが多く、マンションと商店が入り雑じり、
電線が張り巡らされている、といった街並は、日本と違わない。

それでも、違うところもあちこちにある。
まず、建築物の高さ規制が異なるためだろう、
おしなべて街のビルは20階ぐらいある。
また、90年代にICT化に国力を挙げた結果として、
地下鉄や店舗の標示はすべて大きな液晶画面だったりする。
公共交通機関の磁気カード化は日本より早かったし、
車輌内の冷房が効き過ぎていれば、
車掌に云うのではなく携帯メールで本社に伝えることで
すぐに対応してもらえるという。

ちなみに、ソウル地下鉄の磁気カード導入は、
現大統領李明博がソウル市長時代に進めた。
大統領にソウル市長経験者が多いのは、
票の集中という意味で一極集中の弊害だろう。
SKYを頂点とする学歴、日本占領中に完全に確立された学制のなごりで、
旧京城帝国大学のソウル大学校は、今なお学歴の頂点にある。
内申点が大学受験にまでものをいうため、
ボランティア活動などの実績はアルバイトに代行されることさえあるらしい。
現代やロッテやLGといった財閥の支配する社会では、
経済活動はすべて財閥が担うため、
メセナは望ましいもの以上に、格差是正としてなくてはならない。
また、ごく最近に民法が改正されるまでは、同じ名字の氏族同士では
たとえはるか遠い親戚であっても結婚はできなかったらしい。
日本以上に厳しい家制度が色濃く残っているのだ。
これらのことは、通訳と話して初めて知ったことだ。
日本文化が全面解禁されて10年も経たないとは。
首都の賑わいと地方の疲弊の格差は日本以上だが、
アジア的な一極集中型経済成長のためか、
日本と同様の格差の端緒なのかはわからない。

世界遺産の宗廟に赴いた。
チマチョゴリを着たガイドが日本語で随所を解説してくれる。
一見すると日本と変わらない歴史的建造物も、
池の四角や木々の配置が陰陽道に基づいていたりして、違いがある。
また、三一独立運動の起こった都心の公園なども観た。



○函館、室蘭、札幌

朝の五時前に起き、早朝便に自転車ごと乗って八時に来函。
トラピスチヌ修道院を見物してから、海岸線に沿って市内へ向かう。
五稜郭には箱館奉行所が復元されていて、観光客も多かった。
ストラスブールの博物館で観た
古い星状形の城壁(三重ほどもあったが)を思い出した。
それに較べれば五稜郭はやはり簡素で、国衙と呼ぶのがふさわしい印象。
北海道教育大学函館校へ迂回してから、路面電車に沿って旧市街へ。
途中、吉田商店で食べたスープカレーは非常に美味だった。

箱館山の脇を抜けて立待岬へ。
晴れていて、下北半島も津軽半島も見えた。
波の風と照り返しが心地よく、いつまでもいたかった。
箱館山の山道を伝って市街地へ戻る途中、
木々の隙間から俯瞰する景色は、綺麗だった。
陸繋島の上にという函館の立地が、一目瞭然。

元町の教会を見物し、西の海岸にある寺も見た。
函館八幡宮、函館護国神社を含めてむしろ寺院に興味があったのは、
江戸から明治の時代に平定した土地が
どのように日本に組み入れられたかを知る重要な史跡だからだ。
予想通り、各宗派の寺や八幡宮は松前藩時代(あるいはそれ以前)からある。
そして、中央集権的な東本願寺や護国神社は、教会とともに明治期に現れた。
古い寺が、旧市街地から続く西海岸沿いからみた郊外に建ち、
外国人居留地として開発された元町に新しい寺と教会が並ぶ、
というコントラストが、この歴史を裏打ちしているように思えた。

函館市文学館の石川啄木の詳細な解説は、なかなか見所があった。
明治の文学者らしくジャーナリスティックな正義感が貫かれていた。
旧イギリス領事館の中には、見所はなかった。

翌朝、函館本線の特急にて輪行した。
東室蘭駅からバス風の一両編成に乗って、室蘭駅に到着。
がらんとした旧駅舎で観光地図を得て、
白鳥大橋のあたりから少し丘を登る。
大黒島へ伸びた防波堤、大橋や風力発電、その向こう岸の工場が、
海とともに一つの景色に入っていて、綺麗だった。
丘には団地、家々がゆとりを持って立ち並ぶ。
緑と空が暖かい。夏も終わる。

市街地に戻ってカレーラーメンなるものを食べたのち、再び海岸線へ。
室蘭の外海の海岸線は、どこも崖になっている。
崖に挟まれた電信海岸は入り江のように湾曲していて、
中上健次『奇蹟』の冒頭の描写を思い出させた。
近くの本町神社は倒潰していた。

道路に沿って地球岬へ。
海岸線の地名はチャラツナイ、トッカリショなど、アイヌ神話の宝庫だ。
チケプというアイヌ地名に由来する地球岬は、
観光客と観光オブジェの多い興醒めなところだったが、
それでも眺望の感動には代えられない。
東室蘭へ向かう道道に沿って走る。海側はススキ野原になっていて、
崖の岩肌の落ち込む下が海岸だ。
人はいない、風がたえず耳に鳴るのみ。殺伐としている。
次第に、一戸建ての団地が道路沿いに見える。
見下ろすと、巨大な工場が煙を吐いている。
室蘭は観光客が来るとはいえ、あくまで新日鐵の街だ。
事前の観光下調べでは情報不足だったし、
宿泊施設も少なかった、その理由を見た気がした。
平地は建物も煤けて見える。
そのために、宅地は山を上ったのかもしれない。

東室蘭に着いた。団地がちの街には、何もない。
印象深かった長嶋有の『猛スピードで母は』の舞台は、
室蘭駅周辺ではなくこちらだろう、と直感した。
夕食の場所を探すのに苦労し、結局は地元民で賑わう廻転寿司に落ち着いた。
掛け値なしに旨かった。
ただし、あまりに何もないあまり、朝は朝食場所に苦労することになる。


都市間高速バスに乗って、札幌へ。
移動途中は雨天だったが、到着直前に陽が射した。
札幌ではつてを借り、北大恵迪寮に二泊させてもらう。
手土産として酒を買い込んだ。
寮の屋上に上がると、パノプティコン的な配置がよくわかる。
また、札幌のビル群が一望できた。

知人の寮部屋の人たちとともにラーメンを食した後、自転車で出発。
大通公園を西へ走って、円山公園と北海道神宮を見物。
さらに道行きを進め、宮の森ジャンプ台を見上げてから、帰寮。
晩は、寮生が共用棟で寮歌を歌う"寮歌勉(りょかべん)"や、
週に一度、自治会によって振る舞われる"スペシャル"に、
奇しくも行き当たることができた。
手土産に一箱持って行ったサッポロクラシックに、大いに盛り上がった。
自治寮同士、交流があるようだ。
東北大学の自治寮の云々も、詳しい人は知っていた。

札幌二日目。モエレ沼公園に赴く。
イサム・ノグチ設計の幾何学的な庭園だ。
圧巻という噴水は残念ながら観られなかったが、
折しも、ツール・ド・北海道なるものを実施していて、
種々のロードバイクや、さらにはリカンベントも見かけた。
綺麗な円錐形のモエレ山に登ると、
すごい強風で、人々はみな声を張っていた。
いつまでも風に身をはためかせながら佇んでいたかった。

市街地に戻り、サッポロビール博物館で雨に降り籠められた。
雨後、道いっぱいに広がった水たまりの照り返しに、
わずかも目を開けていられなかった。
次に行った中島公園にて陽が暮れた。

夕は、留学仲間で札幌にUターン就職した友人に三年ぶりに会った。
夕食をとりつつお互いに近況を報告しあい、楽しかった。
帰寮すると、部屋員の多くが出ていて、
昨日とは打って変わった静かな夜だった。
夕食は食べたものの、エッセンは頂いた。

旅行最終日。
札幌駅前で、往路と同じようにリアディレイラーを外して
スポークに固定し、折り畳んで輪行袋に入れて肩から提げた。
空港内で食べたモスバーガーの地域限定メニューのザンギバーガーは、
帰浜後にさっそく横浜駅西口のモスバーガーで幟を見かけ、落胆した。


夏の終わりの四泊五日の道南の旅は、これで終了。
天気予報を見ながら最後まで決しかねた輪行は、結局して正解だった。
また、飛行機の預け荷物としても、車体に傷はつかなかったし、
自転車が足となることで、函館と室蘭の二市では主な名所史跡はほぼ網羅できた。
また、室蘭の海岸沿いのサイクリングは、本当に心地よかった。

長嶋有「タンノイのエジンバラ」

短篇。ごく普通の日常めいた短篇。
『猛スピードで母は』のような、垣間見える人間の様々、
みたいなのを期待していたが、
そんな大きなところへ行き着く前に終わった。