10.10.10

J.M.クッツェー『マイケル・K』

クッツェーは『夷狄を待ちながら』以来。
社会集団vsその中の個、という構造が
あまりに生々しく描かれた文体を再びなぞりたくて手に取った。
この作品では、その構図はより飄々と摑みどころがないが、
終盤で全貌を突きつけられる感じだ。
無数にあるキャンプのどこにも属さず、
大地に向かいあってgardenerとして生きること、として。

この作品で際立っていたのは、何より暴力の描写。
アパルトヘイトによる内戦で疲弊する国土と、大衆の心。
『夷狄を待ちながら』では、暴力は怒りの感情豊かに表現されていたが、
それと打って変わってこうも淡々と延々と綴られては、
救いもないし、もうどうしようもなく首を竦めてやり過ごすだけ。
それは、とにもかくにも目的地へ向かうというマイケル・Kの思考回路だ。
夜間外出禁止令や警察や軍隊の間を愚直に狡猾にすり抜け、
とうとう辿り着いた大地での生活も、理想化されずに描き込まれる。
そしてその終わりを象徴するような、地雷を埋める兵士の描写が印象的だった。

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