無声映画で活躍し忘れられた役者ヘルター・マンの失われた一代記があり、
導入と狂言回しには語り手の悲劇と復活がある。
死後に伝記を出版するという執拗なまでに完璧で逆説的な手法が
シャトーブリアンとアルマと語り手デイヴィッドの三重奏で綴られ、
その連関と気づきが物語をどんどん明らかにしてゆく、
この冒険感はたまらなかった。
その中で語られるメタな物語の精巧さ(特に映画の描写)が美しい。
三重奏になっているのは、すでに失われかけたものを捉えて記述する流れ。
過去と折り合いをつけるべく図り、行為するなかで、
次第に芽生える未来が、最後にはっきりと記述される下りは、
じつに淡々としているが、力強い。
私的メモ。
改めて、文体について考えた。
説明においては思考し、行動においては先回りしする文体、とでも云おうか。
この体験をさせられたのは、3年ほど前に読んだサラマーゴ以来。
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