23.3.10

フランソワ・オゾン『8人の女たち』、コレット『シェリ』

・フランソワ・オゾン『8人の女たち』

事件という事態が、これまで隠していた事実を次々に明らかにしてゆくストーリー。
仮面同士の付き合いに過ぎなかった日常を示唆する。
うわべだけだったからこその円満な日常が
どんどん毀れて、お互いに信じられなくなる。

オゾンは家族を役付けとして捉えていて、
それを演じるのをやめたときの、
頬が痙攣するような不条理な笑いを見せつける。
それが非常に徹底的で、姉妹、親子はもちろん、
使用人とメイドの関係までも断たせるほど。
作用は解放にも働き、だからみな女性になる。綺麗に。

ふと、『12人の優しい日本人』を思わせた。
変に思ったが、共通点としては、
・一つの事件を検証して話が進む。
・常に同じ場が舞台。
・複数が形勢関係を揺らがせつつ動く。
などなど。題名の構造もなんとなく似ている。


・コレット『シェリ』

la vie parisienneを彩る物欲の目眩と、
それに似て破天荒に遊び狂うパリ社交界と。
初め、その駆け引きが、物欲じみてあからさまな気がして(現代よりははるかに繊細だけど)、
心地よい、しかし気取った印象を受けていた。
心象と視覚と、この二つの描写について、
コンスタン『アドルフ』は内が外を完全に優越しているとすれば、
『シェリ』は外が内を率いている、そう思っていた。

終盤の急展開は驚いた。
散りばめられた物欲の目眩が一気に洗い流され、心理小説だった。
文章は繊細ながら、大胆にも本筋を突く。
恋の名言集、あるいは恋の散文詩とも感じた。

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