28.6.10

鈴木博之『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』

東京のいくつかのまとまった土地の由縁を語る、というもの。
所有者や利用の変遷を時系列に沿って云々すれば、
その土地を透かして時代そのものの流れがおのずと垣間見える。
読み物としてはなかなか面白かったし、
やはり東京は千代田城=皇居あっての物種なんだな、と思った。
バルトの云ったような、空洞を持つ東京像だ。

だからといって、ことさらちょっとした名所を取り立てて、
やれ強い土地だの弱い土地だの、ゲニウス・ロキだのとあげつらうのは、
正直云ってどうかと思った。
「こんな素晴らしい由緒ある土地を自分は歩いているんだ!」という
貴種流離譚の亜種のような、御上に跪いて喜ぶ凡人のような根性が
垣間見えた気がして、なんかちょっと珍奇な心地がした。

時代を経ている限り、何にでも由縁はある。
だからといって、それを必要以上に尊ぶような真似事を始めれば、
あらゆるものに縁起のタグを貼付けなければならないし、
本来自由であるはずの行く末を雁字搦めにしかねない。
そうして附属物に覆われた世界をまともに見るために、
やがて「現象そのものへ!」とフッサールみたいなことを叫ばなければいけなくなる。
まぁ、人の目というものは、何かを知覚しているようで
実は何もまともに視ていないということの一事例か。

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