11.8.10

エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ『南仏ロマンの謝肉祭(カルナヴァル) 叛乱の想像力』

原題は « Le Carnaval de Romans de la Chandeleur au Mercredi des Cendre 1579-1580 »。
1580年、ロマン・シュル・イゼール(Romans-sur-Isère, Dauphiné)の
謝肉祭で、都市手工業者と農民、新教徒過激派が叛乱を起こした。
この事件は謝肉祭というハレの文法に則って行われたことで、
フランス中世社会史的には有名。
おこりの特殊な構造と、日常空間と祝祭空間がどのように溶け合っていたのか、
それを知るために手に取ったこの本は、全700ページほどもある大著だった。

地理、身分、宗教、貧富、職業などが
複雑に積み重なり絡み合った位相として、叛乱は惹き起こされる。

叛乱への前過程・背景として大きく章を割いているのは、
所得や身分ごとの人口比とその納税額。
新興貴族階級の免税特権批判と第三身分の負担軽減を求める声は
かなり強まっていた。
1579年のカトリーヌ・ド・メディシス巡察時、
民衆派弁護士ド・ブールによって陳述書が直訴されていたことからも伺える。
税の負担や特権に関するだけでも、
不在地主の納税という都市-農村の対立、
人的課税を批判しローマ法的な物的課税を求める
第三身分の声(貴族・聖職者-民衆の対立)、
同じドーフィネ地方内でも貴族の免税特権のない都市の存在などの位相がある。
17世紀に入っても、民衆派の論客たちの主張が
身分制批判ではないというところが興味深かった。
むしろ、身分制を擁護したうえで、序爵を買ったような新興貴族への批判や、
貴族という身分が本来果たすべき役割を問うような批判だった。
アリストテレス的調和論、プトレマイオス的世界観がよく表れている。

エドモンド・リーチなどによれば、祝祭は
日常から祝祭への突入(仮面舞踏会など)、
逆転や周縁の強調(死の踊り、無礼講、など)、
日常への再統合(偽王の処刑など)の三位相に分類される。
反体制側の動きは第二相的で、体制側は第三相的に動いた。
動乱とその封じ込めのどちらも露骨に政治的だが、
祝祭に重ねられている以上、
諸事項に込められた意味はきわめて祝祭的に多重に解釈される。
例えば、手工業者の守護聖人ブレーズの祝日に叛乱は起き、
ブランルという踊りが踊られる。
足に鈴をつけることで教会(鐘)の権威を地に落とし、
また、死や脱聖化を意味する。

とはいえむしろ、この叛乱は心性にどうこうというより、
この祝祭によって緊張関係が頂点に達したことで、
祝祭のコードが体よく利用された、かなり政治的な事件だっただけ、
という気もする(首領部はけっこう冷めている)。
もっとも、謝肉祭そのものが、見方によっては政治的・反動的なのだが。
だから物語展開は大江健三郎『万延元年のフットボール』とよく似た心地がした。

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