20.12.10

ポール・ヴァレリー『精神の危機』

岩波文庫版で、表題作のほか15の評論を編む。
あるものは講演だし、あるものは答辞だが、
どれも同じく«ヨーロッパ精神の危機»を扱っている。
それは第一次大戦に端を発する、
科学・技術の暴力的な二面性の発見、
ヨーロッパ的な理性の崩落、
ナショナリズム意識の萌芽、だ。

「『精神』の政策」という一篇が面白かった。
内容や論点はH.D.ソローの文明批判に近い。
が、「精神」という多義的な一語を軸に、
その多義性に呑み込まれないでうまく議論を立ち回らせる流れは
読んでいて心地よく、これぞ評論文学と嘆息するものだった。
鋭いのは、古代から現代にいたるまで、
文明の基盤はあくまで「信用」であるという指摘。
それを紙に象徴させ、紙が世界から消えたときの大混乱を仮定する下りがある。
情報伝達やマスメディア、書物、そして
経済活動や金融決済までもが電子化された現在でいうと、
すべてのネットワークが遮断されたとする思考実験のようなものだ。
この脆さが社会の精神的性格だ、とヴァレリーはいう。
そして、絶対的基盤が交換という経済活動の俎上に乗り、
相対的なものへ推移してしまうことが、ヴァレリーのいう危機だ。
だからこそ、ヨーロッパ的という絶対点に縋った。

「精神の危機」はタイトルからすぐさま、
フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機』を連想する。
書かれた頃合いも両大戦間期という同時期の論文だ。そして内容も近い。
こちらは主に自然科学における絶対点の喪失の話だけれど、
人文科学と自然科学が哲学を接点として
このように歩みを同じくしていると云うのはおもしろい。

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