12.1.11

スチュアート・ダイベック『僕はマゼランと旅した』

シカゴの汚い掃き溜めのような街をめぐっての、
短篇から中篇を織り交ぜた連作。
どんなに汚く治安の悪い地域でも、
そこの人々の物語が豊饒で生き生きとしていれば文学はある、
そう感じさせられずにはいられなかった。
(柴田元幸のこなれた邦訳も、間違いなく一役買っている)

多くは、その街に生まれ育ったポーランド移民二世ペリー・カツェクの一人称で、
小学校に入る前、小学校、高校卒業時、そして引越し後、と
次第に成長してものの見え方も変わってゆきつつ、短篇が連なる。
読み進めてゆくにつれその構成が見事そのものであることに気づく。
幼少期はとにかくしゃべりたくてたまらないおしゃべりな男の子で、
高校では女の子の話や若気の至りらしい武勇伝と、エネルギッシュな感情の爆発に溢れている。
成長につれ、過去はノスタルジックな色合いを帯びてストーリーに夕の花を添えてゆく。
次第に物語が一本の前後関係に纏め上げられてゆきつつも、
一つ一つの短篇はそのときどきの主題をめぐってコント調に作り上げられている。
例えば「ブルー・ボーイ」はブルー・ボーイを軸とした小学校期の話だし、
「僕たちはしなかった」はまるで、リフレインと脚韻の効いた散文詩だった。

消火栓のせいで水浸しになった道路がいくつかのストーリーに現れ、
物語感の不思議な交差をなしていた。

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