1月8日から2日間の週末、金沢に遊んだ。その旅程のメモ。
書きたい主題は21世紀美術館。
8日午前、羽田空港から飛行機で小松空港へ飛ぶ。
そこからバスで金沢市内へ入り、武蔵ヶ辻で下車。
道脇の残雪はさほど煤汚れず、滴り続ける雪も庇にある。
近江町市場へ入ると、人通りには観光客が多く、露台には蟹が目につくところから、
観光地化した市場と知れるが、他の魚介の値は妥当といったところか。
バイ貝や加賀野菜といった土地柄も覗く。
メギスの団子汁を一杯百円で売っていたので連れとともに頂く。
癖のない白身魚で、身がぷりぷりしていた。
同じ露店売りで地酒の試飲も頂いた。
市場内を一回りしてから、食堂で昼食。
自分は刺身定食を、連れは三色丼を、食す。
近江町市場の名は、近江商人から取られたのかもしれないと憶測する。
地図を見ると、町名には「〜町」と「〜丁」の二通りが残っている。
仙台と同様、前者は町人町、後者は武家町だろう。
近江町を出ると、さっきまで出ていた陽が翳っている。
博労町を通って、丸の内の旧高峰家を観る。
金沢城跡に黒門口より入る。堀にはまだらに氷が張っていた。
公園内には雪が一面に白く、その先に遮る建物はない。
その広い中、消防隊員たちがテントのパイプを組んでいた。
翌々日の北国新聞で、出初め式だったと知る。
遥か向こう山は、おそらく戸室山、医王山。
積もった雪が尾根線に青い筋を引いていた。
公園西側を通り、発掘中の玉泉院跡を右手に、いもり坂を下る。
城壁の他の積み石にぽつんと浮かんだ正六角形の亀甲石が美しかった。
雪をはしゃぎ、道なき道に深い足跡を残したりもした。
三十間長屋のあたりは水浸しだった。
長屋の入口が鳥居の形をしているのは、理由があるんだろうか。
金沢城公園を出て香林坊のホテルに一旦荷物を預け、金沢21世紀美術館へ。
市役所前の木々も雪吊りをして、風情がある。
館内の作品の多くは体験型あるいはその中に入ることができる。
美術館の建物に入る前に地面に突き出た伝声管があるが、
入館前からして早速その作品が象徴していたように今思う。
タレル「ブルー・プラネット・スカイ」(入口には「タレルの部屋」とあった)は
天井に四角く窓の開いた空間。
四方の壁のベンチに座って空を眺めることになる。
雲が流れ、ときに鳥が飛び過ぎて、
思わぬ視覚効果があるという意味でケージの「4'33"」を思わせる。
レアンドロのプールはこの美術館一押しのようだ。
面白いのは、常に水面に波を起こしていること。
だから、水上から見る水面下の人物像と、その逆は、常に異なるわけだ。
最も印象的だった作品は、曽根裕「ホンコン・アイランド/チャイニーズ」。
石で彫られた香港の俯瞰図を取り囲んで、鮮やかな緑の植物の鉢が茂っている。
香港という人口密集地帯を人間の土地として敷衍して考え、
それをちっぽけと感じさせるような緑の繁茂に、芸術家の意図を読み取ることもできよう。
だが私は反射的に、植物たちを夜景と捉えた。
闇が街の輪郭を取り去ってから見える、美しい夜景の無限の広がり、として。
本館外にあった、高嶺格「Good House」には、
「すみか──いつの間にかパッケージ化され、カタログから選んで買わされるモノになってしまった住処を、自分の手に取り戻すことを目指します」
というコピーがついている。
どういう作品かというと、建設中の家さながらで、中に入ることができる。
壁紙が貼られる前の壁はすべて建築資材。そこに貼られた薄い壁紙だけが、
高級な木調や、ポップな子供部屋といった表情を浮かべている。
表皮を剥ぎ取られた家が如何に大量生産的であるか。
それは、どんどん建てられるマンションのチラシの高級感を剥いで実質を晒した。
気持悪いくらいだった。
他の作品も良かった。
文学もそうだが、藝術ってのは、無意識に受け容れている思考枠組みを相対化させてこそだ。
その意味で、この美術館は素晴らしかった。
午后五時頃に出てホテルにチェックインしてから食事先を思案し、
高砂というおでん屋へ行く。
六時半前だがカウンターはすでに埋まっており、
我々が着いて二十分もしないうちに全席が塞がった。
金沢ならではのバイ貝、かに面、また、はんぺんみたいな「ふかし」なる種もあった。
9日、ホテルの朝食で初めて棒茶を飲んだ。美味しかった。
生憎の雨だが、兼六園へ。真弓坂口から入園した。
風もすさび、一つの傘に二人縮こまって入っても袖が濡れた。
どの石塔も形がユニークで面白く、石塔にこんなに種類があると初めて知った。
これは失われつつある多様さかもしれない。
他にも、雁行橋も形状といい、二つの池の水位差を利用した噴水といい、
園内は随所が独創的だった。
(そして、明治初期に建てられた日本武尊の像が、
加賀藩下の栄華を新政府が差し押さえるかのように威圧的なのが厭らしい)
気候のために駆け足で回らざるを得なかったことが悔やまれる。
きっと、何度行っても新しい発見があるだろう。
蓮池門口から出て、みぞれになった雨の横殴りの下を歩く。
それでも濡れた服を乾かしたくもあって、
石川四高記念文化交流館なるところに入った。
旧制高等学校の世間離れしたバンカラ気質は、
旧浪高理科甲類出身の祖父から聞いていたが、
ストームが市電を止めるほどだとは知らなかった。
「超然主義」の標榜も真剣な悪ふざけみたいだし、
他校の陸上部に出した挑戦状の展示には、思わず笑った。
香林坊アトリオ前で穴水町が牡蠣を振る舞っていたので、頂いた。
肉厚で美味だったが、何ぶん強風と寒さが勝った。
金沢星稜大学のゼミも関わっているらしかった。
国道157号を南下して犀川を渡り、寺町の界隈にある妙立寺へ。
忍者寺の俗称のとおり、多くのからくり仕掛けがすごいとのことで、
見物はガイドツアーに付き従ってとなる。
遠目に二階建ての堂内が、複雑な四階建てとなって、
あちこちに落とし穴や隠し階段が凝らされ、
しかも窮地に陥ったときの自害部屋まで用意されている。
中央の徳川におもねる態度を見せる一方で、
百万石の外様っぷりを死ぬ気で見せつけられた心地がした。
にし茶屋街へ。一路地の小さな界隈だった。資料館を見て出る。
もと来た道を戻るときには、みぞれは雪になっていた。
グリルオーツカという街の洋食屋でハントンライスなるものを食す。
美味しかったがえらいボリュームで、こうと知っていたら大盛りは頼まなかった。
暖まったところで、残りの金沢滞在時間を過ごすため、
尾山神社と長町武家屋敷跡に行った。
門の尖塔がステンドグラスになっていて、とても変わっている。
他は平凡な神社だ。場所と敷地面積から察せられる通り旧社格は官幣社だが、
前田利家を祀っているため別格となる。
武家屋敷跡は本当に武家屋敷が連なっている。
塀や灯籠まで藁で覆っているのは、どうしてなのか、分からずじまいだった。
九谷ミュージアムは九谷焼の店になっていて、しかし種々の色鮮やかな絵柄がよかった。
本当に細やかな描きで、皿とは思えない。
また、あるいは青が際立ち、あるいは黄色が映え、
色付けに自由度があるのが良いと思った。
わかりやすく定式化していない、というのは、
伝統に埋もれ死なないという意味で、良いことだと思う。
山代温泉へ向かうバスを待つ時間で、香林坊大和で棒茶を購った。
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