『モデラート・カンタービレ』を下敷きにしたような構成と思ったが、
それは表面の一部だった。
原爆に生を奪われた長崎を自らの死場所と重ねた郊外の主婦の物語。
その再生の過程が、現在形で語られる物語を含めたいくつもの譬喩を経る。
アメリカ映画のハッピーエンドとは違う、心底からの再生だ。
短い文章、濃い独白と洞察に支えられた、素晴らしい作品だった。
青年がアダムに、そして(皮膚炎から)ヨブに比せられ、
さらに娼婦ソーニャに、生を奪われた長崎に、比せられる。
女にとっての兄が、解し難い。
キリスト教・ロシア正教に非常に共感を示しつつ反論を暗示しているような気が、
非常に淡く、そして不確実ながら、感じられた。
でもそれは、なんというか、反動を内包しない世界観があり得ないからなのか、
そんな一般論ではなく何か深い意味があるのか、よくわからない。
ただ、そう感じたメモとして、記しておく。
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