22.5.10

ドン・デリーロ『コズモポリス』

SF映画を観ているような感覚だった。
違うのは、SFがハイテクを背景として無自覚にハイテクを礼讃するのに対し、
ハイテクを背景とすることでハイテクを相対化することなく吟味していること。
ハイテクに対して身体性が描かれるが、ハイテクはすでに生活に埋め込まれているため、
二項対立の一方として相対化できない。

金融市場経済の数字ゲームに思考を侵されるあまり、
万物が記号じみて捉えられた記述となる。
基軸通貨がネズミとなり、
椅子の部品としての脚という名称に疑問を感じ、
非対称を怖れる。

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