22.3.09

青山真治『サッド・ヴァケイション』/再会/「人道的施設」アウシュヴィッツ

le 22 fév. 青山真治『サッド・ヴァケイション』

これ、中上健次? 主人公の名前、健次やし。
でも、中上よりも、女、という螺旋軸があって、
それがまたはっきりと「無限カノン」的な感じ。
北九州だから、港湾都市ということで、
神戸や函館みたいな荒さがあるのは、
前に文學界か何かで、対談してたのを見たような。


le 23 fév. 再会のさわり

久しぶりに会うには時間が短すぎた。
次の帰阪ではもっと得るものも多かろう。


le 24 fév.アウシュヴィッツは人道施設だった。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090319/189540/
ナチスの遵法性、経済政策としての人種政策、がテーマ。
アイヒマン実験など心理学サイドからよく云われる、
ナチスの残虐性が万人に起こりうることが、
非常によく示されていることに、瞠目した。
ナチスとは国家の暴走、
最高決定機関としての国家の暴走なのだな、と思った。
大西巨人が『神聖喜劇』で見せた「責任阻却の論理」が
これと同質であると考えるとき、
決して国家の暴走は他山の石ではない。
もちろん、国家の本質が変わっていない以上、
現代でも最重要問題として思考されなければならない。

そして、日本。
官僚制と中央集権が、当時のナチスに非常に似通っている。
ナチスは、現状打破のヒーローとして
当時のドイツに生を受けたが、
行政の根幹がすでに硬直していたために
国民の願うような情況の急変とはならなかったのではないか。
進歩には、漸進的なものしか実にならないのだ。
現在の日本のような、政治と国民生活がまるで乖離している状態は、
そのような「救世主」に暴走を許す下地であるから、
非常に危ない。
小泉人気、ヒトラー人気はその意味で同質である。
以上のことはもちろんすでに云われていることで、
『ブリュメール18日』に詳細に検討されている。

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