プルーストに大いに影響を与えたというくらいだから、
読感と詩的さはとてもよく似ている。
記憶と現実の間を彷徨する感覚は、藝術そのもの。
日本の私小説に似ている気がしたが、背景があまりに違う。
私小説は明治による近代的自我の発露で、
どっちかっちゅーと屈折ギリシャ、という感じ。ゴシック?
で、ネルヴァルはロマン主義といわれるけど、
……そんなのどうでもいいか。とにかく、散文詩という感覚。
人生を謳歌しているようではあるが、健康的ではない。
ロートレアモン卿「マルドロールの歌」は、中途抛棄。
キリスト教的な善悪二元論のアンチテーゼ側の残照という感じ。
バタイユほどにぎらついた毒の強さはわかるけど、
そこまで悪を強調されると鼻白んでしまう。
あまりに悪を自称するので、
マルドロールってのはMal drôleなのではないかと思ったが、
Maldororが実際だった。
同窓会補記。
教師は、生徒を惹きつけた人以外は
生徒の同窓会に参加しない方が身のためだと思う。
大多数の教師はその特権的な立場だけで生徒を抑えつけていたわけで、
知性が優れているとも、統治に長けているとも限らないのだから、
教師-生徒の軛を外れた会合に、旧い地位だけで出没されたところで
アルカイックな存在がうごめいているように生徒には見えるだけだし、
ともすれば、教師職の拠り所である専門分野で
「出藍の誉」と自らの劣勢を喰らうかもしれないのだから。
残念ながら、そのような教師しか、一昨日の会にはいなかった。
過去に自分を惹きつけた先生たちはいたが、会うことは能わなかった。
29.12.08
ビューヒナー「レンツ」/同窓たち
ゲオルグ・ビューヒナー「レンツ」読了。
すべてが退屈。自分の存在が重荷。
19世紀前半、サルトル『嘔吐』よりも前の実存主義者の短篇、
二年前ほどから知ってはいたが、
読んだのは、そして、驚かされたのは、初めて。
人間を演じることがもうできなくなったのだろうか。
この世に喜びはありはしない。
いとしい人はあんなに遠くだ。
この歌詞が彼に衝撃を与えた。この節回しを聞いてまるで破局が訪れたようだった。
----------
高校の同窓会があった。
見てくれが変わっていても中身が変わっていない者、
見てくれも中身も変わっていない者、がほとんどだった。
それが高校の同窓会の特性かもしれない。
文学や藝術を話し合う相手の不在が、
高校時の自分にとって最大の不遇だった。
それは変わらないようだったが、H大のN学専修の子と、
演劇について少し話した。
芽は育ちかけているのかもしれないと思ったが、
あまりにも遅すぎる。
S田さん、Oポンさんに、丸くなったと云われた。
もっと刺々しかった、と。
興味のない他人とあえて波風の立った関係を築くのが億劫で
なあなあに接して終えることを私がおぼえたために、
そのように外見が見えるのだとしたら、それはありうることだ。
そして、実際は、彼女たちの指摘とは正反対に、
もっと冷たく刺々しくなった、と云えるのかもしれない。
四月より同県の住人となる生物学の未来の研究者と
薄かった関わりをつくり直すことができた。
あまり他の収穫のなかった会合だったので、
参加の意義はこの一点あるだけで重畳といえよう。
中立進化説が思考停止的であるという異見、
文化発達に結びつけられそうなランアウェイの概念など、
専門的な話を聞くことができておもしろかった。
生物も文学も、物語を繋げる使命でできている。
レンツのように解脱して、それを抛擲する可能性もある。
今日は中学の一友人と再会した。
彼は、見てくれは変わっていなくても中身が変わっていた。
実存の問題が、彼の中では後退していた。
すべてが退屈。自分の存在が重荷。
19世紀前半、サルトル『嘔吐』よりも前の実存主義者の短篇、
二年前ほどから知ってはいたが、
読んだのは、そして、驚かされたのは、初めて。
人間を演じることがもうできなくなったのだろうか。
この世に喜びはありはしない。
いとしい人はあんなに遠くだ。
この歌詞が彼に衝撃を与えた。この節回しを聞いてまるで破局が訪れたようだった。
----------
高校の同窓会があった。
見てくれが変わっていても中身が変わっていない者、
見てくれも中身も変わっていない者、がほとんどだった。
それが高校の同窓会の特性かもしれない。
文学や藝術を話し合う相手の不在が、
高校時の自分にとって最大の不遇だった。
それは変わらないようだったが、H大のN学専修の子と、
演劇について少し話した。
芽は育ちかけているのかもしれないと思ったが、
あまりにも遅すぎる。
S田さん、Oポンさんに、丸くなったと云われた。
もっと刺々しかった、と。
興味のない他人とあえて波風の立った関係を築くのが億劫で
なあなあに接して終えることを私がおぼえたために、
そのように外見が見えるのだとしたら、それはありうることだ。
そして、実際は、彼女たちの指摘とは正反対に、
もっと冷たく刺々しくなった、と云えるのかもしれない。
四月より同県の住人となる生物学の未来の研究者と
薄かった関わりをつくり直すことができた。
あまり他の収穫のなかった会合だったので、
参加の意義はこの一点あるだけで重畳といえよう。
中立進化説が思考停止的であるという異見、
文化発達に結びつけられそうなランアウェイの概念など、
専門的な話を聞くことができておもしろかった。
生物も文学も、物語を繋げる使命でできている。
レンツのように解脱して、それを抛擲する可能性もある。
今日は中学の一友人と再会した。
彼は、見てくれは変わっていなくても中身が変わっていた。
実存の問題が、彼の中では後退していた。
22.12.08
論文脱稿!
J'ai fini ma mémoire sur « Rhinocéros » d'Eugène Ionesco !
Ce qui me permet de rentrer à Ôsaka sans rien devoir dur !
20.12.08
井上章一『狂気と王権』
感想メモ。精神医学も政治神学の婢女なのだろうか。
難波大助の事件が特に興味深かった。
天皇と精神病という二つの異形が、それぞれに我を通す。
狂人として葬り去ろうとする検察と、その減刑を拒絶する一貫した精神。
小川平吉「私は今度の不敬漢はねがわくば狂人であればよいと思うが」云々という、
社会からの退場という意味での巧妙な論理として働く。
昭和天皇が太平洋戦争開戦の決定時に
旧皇室典範第十九条の定める摂政設置とともに排除される可能性を感じていたなら、
難波大助と昭和天皇を襲うのは全く同じ論理がである。
事務次官襲撃事件の小泉容疑者を、
理解できないという理由で精神鑑定に回すという強引さが酷似する。
精神病者を反権力から排除しようとする警察側と、
逆に、共同体外という立場故か共同体中心者を異様に尊敬する当該者の実態。
権力側の恐れも所詮はビビリの他者排除か。
相馬事件が、本人不在で次々と展開してゆくさまが、面白かった。
『競売ナンバー49の叫び』のパラノイアック、あるいは
デュラスが対象のまわりを描くことで対象を書くような。
17.12.08
カス純文学とプライバシー
今日、研究室で後輩と文学の話で盛り上がったが、
最近の新人の作品が十把一絡げにカスでどうしようもないね、
という意見で一致した。
芥川賞をはじめさまざまな新人賞であれこれ読んでは失望してきた自分は
筋金入りの新人カス派といえるかもしれない。
カスカス云ってる割にけっこう読んでますね、と云われたぐらいやもん。
そのカス作品の頂点には、ちっちゃーい話を優等生づらして上手くまとめる
某・山田さんがいて、最年少で塵芥川賞を獲ったゆうて、
妙に世間の注目を集めたが、
その反動で河出書房は文学的に死亡し、当人も、なんか、
夢をなんとか、という『ボヴァリー夫人』と似ても似つかない
できそこないをものしたらしいが、でも瀕死かな。
頂点がそんなで、裾野に綿矢チルドレンがいて、
その一番下にはケータイ小説なる新ジャンルがあって、
それぞれにそれぞれの技巧を凝らして小世界を構成し、
その小世界がもう外なんてみなくなったときにぐわっと開ける新境地が
ライトノベル、という、そんな、昭和軽薄体もびっくりの全体図ですわ。
はっきり云ってね、生活であった、ちょっと変な出来事、
ちょっと変な人間関係、ちょっと変なトラベル、そんなくらいのことはね、
誰もが多かれ少なかれ体験してることだから、
わざわざ、さも、自分はこんな稀少な体験してんで、すごいやろ、
何か意味あるんちゃうか、こんなこともついでに考えてみてん、…みたいな
読書感想文ならぬ日常感想文はね、金をもらっても読みたくなんかない。
時間の無駄やし。なんでそこまでして、たいしたことのないものを、
本人ではさもすげえって思うのかね。
この疑問は、いわゆるプライバシーという
非常に新しい(新しいんですよ)概念から説明できるのじゃないか。
プライバシーってのは、個人情報なわけで、
それが世間に知られるのが怖い、ていうやつですね。
個人が誰しも持ってるものがすなわち価値、という、
広義のゆとり世代(第二土曜休日世代。我々も含むんだよ)で重視された
個性が大切、の考え方とも親和性の高い考え方が、
なんたって私の体験なんだよ、すごいでしょ、聴いて聴いて、的な
いみぷーな状況に連関しているのではないか。
Googleのストリートビューで、プライバシーが、とかいうてる輩には、
ほなあなたの家や車の風景がそんなに貴重で誰もが見たがる代物なんか、と
訊いてみたい。どうせ大量生産で作られた、
どれとも似たり寄ったりのもんやろ、と。
そこから類推できる生活水準等が見られたくない、というかもしれんが、
その生活水準かて、あいかわらず一億総中流のちょっと上かちょっと下が
関の山やないかいな。
それでもこのご時世、プライバシー漏れるのはいやじゃ、いう人は、
街に出るな、道を歩くな、他人の影がみえるところで声を出すな。
ゴミ箱あさりや覗きといった低等テクニックが、案外と
情報の窃盗であるハッキングとしても有効である、というんを
どっかで読んだことがあるが、
ネットだから怖い、という奴ほどそういう現実的な防衛は
スカスカなんやろが。
プライバシー、プライバシーって鸚鵡みたいにいうてるやつってのは、
単に、不安を煽って売り込む商売の広告塔かつ営業職に成り下がってる
程度の存在、っていうことを頭の中に入れておけばいいか。
最近の新人の作品が十把一絡げにカスでどうしようもないね、
という意見で一致した。
芥川賞をはじめさまざまな新人賞であれこれ読んでは失望してきた自分は
筋金入りの新人カス派といえるかもしれない。
カスカス云ってる割にけっこう読んでますね、と云われたぐらいやもん。
そのカス作品の頂点には、ちっちゃーい話を優等生づらして上手くまとめる
某・山田さんがいて、最年少で塵芥川賞を獲ったゆうて、
妙に世間の注目を集めたが、
その反動で河出書房は文学的に死亡し、当人も、なんか、
夢をなんとか、という『ボヴァリー夫人』と似ても似つかない
できそこないをものしたらしいが、でも瀕死かな。
頂点がそんなで、裾野に綿矢チルドレンがいて、
その一番下にはケータイ小説なる新ジャンルがあって、
それぞれにそれぞれの技巧を凝らして小世界を構成し、
その小世界がもう外なんてみなくなったときにぐわっと開ける新境地が
ライトノベル、という、そんな、昭和軽薄体もびっくりの全体図ですわ。
はっきり云ってね、生活であった、ちょっと変な出来事、
ちょっと変な人間関係、ちょっと変なトラベル、そんなくらいのことはね、
誰もが多かれ少なかれ体験してることだから、
わざわざ、さも、自分はこんな稀少な体験してんで、すごいやろ、
何か意味あるんちゃうか、こんなこともついでに考えてみてん、…みたいな
読書感想文ならぬ日常感想文はね、金をもらっても読みたくなんかない。
時間の無駄やし。なんでそこまでして、たいしたことのないものを、
本人ではさもすげえって思うのかね。
この疑問は、いわゆるプライバシーという
非常に新しい(新しいんですよ)概念から説明できるのじゃないか。
プライバシーってのは、個人情報なわけで、
それが世間に知られるのが怖い、ていうやつですね。
個人が誰しも持ってるものがすなわち価値、という、
広義のゆとり世代(第二土曜休日世代。我々も含むんだよ)で重視された
個性が大切、の考え方とも親和性の高い考え方が、
なんたって私の体験なんだよ、すごいでしょ、聴いて聴いて、的な
いみぷーな状況に連関しているのではないか。
Googleのストリートビューで、プライバシーが、とかいうてる輩には、
ほなあなたの家や車の風景がそんなに貴重で誰もが見たがる代物なんか、と
訊いてみたい。どうせ大量生産で作られた、
どれとも似たり寄ったりのもんやろ、と。
そこから類推できる生活水準等が見られたくない、というかもしれんが、
その生活水準かて、あいかわらず一億総中流のちょっと上かちょっと下が
関の山やないかいな。
それでもこのご時世、プライバシー漏れるのはいやじゃ、いう人は、
街に出るな、道を歩くな、他人の影がみえるところで声を出すな。
ゴミ箱あさりや覗きといった低等テクニックが、案外と
情報の窃盗であるハッキングとしても有効である、というんを
どっかで読んだことがあるが、
ネットだから怖い、という奴ほどそういう現実的な防衛は
スカスカなんやろが。
プライバシー、プライバシーって鸚鵡みたいにいうてるやつってのは、
単に、不安を煽って売り込む商売の広告塔かつ営業職に成り下がってる
程度の存在、っていうことを頭の中に入れておけばいいか。
16.12.08
一息
論文の発表も終わり、最終調整を主に仕上げに入った。
集中してやり始めてからは短いかもしれないが、
フランス滞在時から少しずつ準備していたので、
関わった期間は意外と長い。
悪くない評価を受け、進学しないのを言外に惜しまれてしまったので、
初めて進学しない選択をわずかに悔やんだ。
とはいえ、進学するなら別の分野に進んだであろう。
フェルナン・ブローデル『交換のはたらき』はやはりおもしろい。
世界は一つなのだなとつくづく思ったのは、
17世紀には日本が鎖国をしていたにもかかわらず
銀と銅の循環においては強い影響力を持っていたと知ってから。
フレーゲのコペルニクス的転回は、言語学だけではなく
国家観についてもなされなければならないだろう。
新しいパソコンを衝動買いした。
論文にかかずった自分へのご褒美という言い訳の許で。
LinuxであるUbuntuというOSなのだが、Windowsより使いやすい。
自分にとっては、サブでしかないこのパソコンには
軽さと頑丈さと、あと個人的なこだわりであるフォントの自由度があれば
ほかは別に構わないので、
総量0.9kg、SSD搭載、Linux特有のカスタマイズ性は、
もってこいなのである。
帰省の際にも、これ一つだけを持って帰ろうかなぁ…。
集中してやり始めてからは短いかもしれないが、
フランス滞在時から少しずつ準備していたので、
関わった期間は意外と長い。
悪くない評価を受け、進学しないのを言外に惜しまれてしまったので、
初めて進学しない選択をわずかに悔やんだ。
とはいえ、進学するなら別の分野に進んだであろう。
フェルナン・ブローデル『交換のはたらき』はやはりおもしろい。
世界は一つなのだなとつくづく思ったのは、
17世紀には日本が鎖国をしていたにもかかわらず
銀と銅の循環においては強い影響力を持っていたと知ってから。
フレーゲのコペルニクス的転回は、言語学だけではなく
国家観についてもなされなければならないだろう。
新しいパソコンを衝動買いした。
論文にかかずった自分へのご褒美という言い訳の許で。
LinuxであるUbuntuというOSなのだが、Windowsより使いやすい。
自分にとっては、サブでしかないこのパソコンには
軽さと頑丈さと、あと個人的なこだわりであるフォントの自由度があれば
ほかは別に構わないので、
総量0.9kg、SSD搭載、Linux特有のカスタマイズ性は、
もってこいなのである。
帰省の際にも、これ一つだけを持って帰ろうかなぁ…。
2.12.08
ブッシュにインタビュー(ル・モンド12/2付の記事の邦訳全文)
でももう夜なので、ヨーロッパでは明日の朝刊掲載でしょうね。
元記事はこちら(写真もあるよ)↓
http://www.lemonde.fr/ameriques/article/2008/12/02/les-regret-de-george-w-bush-apres-huit-ans-a-la-maison-blanche_1125777_3222.html
ちょっと長めの記事ですが、オチが非常に笑えるので、訳すことにした。
全部を翻訳するには50分ほどかかった。いい息抜きにはなったけど。
黙読なら10分でいいのに。新たに日本語に文字起こしするような感覚。
後悔──ホワイトハウスで八年を過ごして
ジョージ・W・ブッシュがすでに回顧録に着手したという情報はまだホワイトハウスから出されていない。ABCで12月1日月曜日に放映されたインタビューでブッシュは、就任時には「戦争の準備」をしていなかった、イラクでのアメリカの情報の間違いが任期の八年で最も大きな悔いとして残っている、と言い切った。「言い換えれば、『私に投票してほしい、私には攻撃に直面する可能性がある』と云いながら自分を売り込んでいたのではない。言い換えれば、私は戦争を早めたのではない」そう自分を正当化しつつ、「テロに対する世界戦争」を宣言するに至った9.11テロの、まったく予期しえない性質を援用した。
全任期での最大の後悔は、明らかに、イラク情勢の情報が大間違いだったこと」と続けた。その反面、「大量破壊兵器はサダム・フセインをやっつける言い訳の一つだ、と云って、多くの人がその評判を危険に晒した」と云って、大量破壊兵器について語った。大量破壊兵器は、サダム・フセインが保持しているとして彼の政治が告発し、2003年に意義の唱えられることとなった戦争を支持するための議論の大きな一要因であった。ブッシュ氏は、サダム・フセインがそのような兵器を持っていないと知っていて戦争をしたのではないかという質問は、答えずにやりすごした。「そんな質問に興味はない。それに答えたら過去の撤回になってしまうし、私にはできないことだ」と云い、あらためてこう強調した。サダム・フセインがそのような兵器を持っているという情報を信頼していたのは、自分一人だけではない、と。
在イラク兵士を帰還させることと、世論や指導者階級の一部からの圧力に対してそのように屈することを、拒否したということは、主な議題の一つだった。ブッシュ氏は繰り返し、最も自分に欠けていたといえばアメリカ軍の最高指揮官たることだ、と云い、しかしながら、戦死した兵士たちの家族に会いもした、なぜなら、その会合は「本当にあなたたちにいろいろな感情を抱かせる」。「最高慰問者(大統領のこと)たる人は常に、慰める人であるということに尽きる」と彼は云った。
ホワイトハウスでの最後の数週間に経済危機に対して対策をもって行動する義務下にあり、1930年代ような「大恐慌」の再来の恐怖を退けねばならない、と自身について語った。約75億ドルというアメリカ経済振興の様々な対策の総額(アメリカのGDPの50%にあたる)におびえているかと尋ねられたために、彼はこう答えた。「私が恐れていたのは何もしないことだった。そうすれば大規模な経済崩壊が惹き起こされ、世界恐慌時よりさらにひどい不況下にあると考えられたことだろう」。
ブッシュ氏が望むことはアメリカ国民が自分を「政治に魂を売らず、きっと困難な決断を下し、そして原理原則を放さずにそれらを遂行した」人物と見なしてくれることであると述べた。「私は面を上げて大統領職を退く」と、確信に満ちて語ったブッシュ氏は、バラク・オバマに地位を明け渡すまで二ヶ月を切った現在、支持率の最低記録を更新した。
1.12.08
忙しいねん
論文書かんならんくて忙しいのに昨日映画観てもうたわ。
『それでもボクはやってない』っていう、いろいろと腹の立つ映画。
ええ映画やねんけど、ね。観たらわかるわいな。
それだけやのうて、フェルナン・ブローデルの『交換のはたらき』もおもろい。
社会史っておもろいのう、自分が高校のときにこういう面白さに出会ってたら、
どないなってたやろ、そっちの方面に進んだかもしれへんし、
いやいや文学が何より、てんで、変わらんかったかもしれへん。
歴史の面白さに気づいたんは大学二年あたりんときやしね。
しかも文科生にもかかわらず経済学史経由という意味の分からへんルートで。
せやったら、高校んときもう少しおつむが進んどったら経済科生やったんやろか。
その兆候はあったから、知り合いにやたらと経済学部薦めたりはしたけど。
一年前も忙しかったような気がするけど、確かIIEFで修了試験やったな。
もうあれから一年か、なんでこんなに時間が過ぎてるのに、
そのわりに自分の中に残るもんが多なくて、ああ時の経つのんは速いなぁ、て
嘯かなあかんねやろか。
でも二年ぶりに日本で年越しができる。
年越し蕎麦は流石に無理やったけど、「かなえ」で戴いたお寿司を食べれたんや。
フランスではまだ2006年、日本ではもう2007年になっとった。
新年はきっと波乱の年になることは間違いない、お互い一生懸命にやろうかないか、
そう云うてワイン空けて呑んで、サルコジ大統領の挨拶をテレビで観ながら。
元旦には何食うたかとか訊かんといて。
マクドや、シャンゼリゼでハンバーガー四つか五つか喰うとったわ。
もう一年やぞ。でも、まだやることはあるんや。
もちろん、年が明けても、やらなあかんことは実質あんま変わらへんねやろなぁ。
22.11.08
川上未映子『乳と卵』
芥川賞受賞作を読むなんてかなり久しぶりに感じる。
評判は聞いていたが、読んでみると大変よかった。
これぞ芥川賞やろ。
こういう才能が見えてる作品っていいよね。
« On ne naît pas femme, on le devient. » という、
Beauvoirの言葉を、読みながら真っ先に思い浮かべた。
男も女も読めば良いと思う。
文章のリズム感もミュージシャンならではだな、と。
併録の『あなたたちの恋愛は溺死』はちょっと残念だったが、
タイトルは、例えば本谷有希子みたいなやつにパイ投げのようにぶつけたい。
17.11.08
『マネーの経済学』
日経文庫。経済の諸トピックスに関する概説。
以下、興味深く感じた内容のメモランダム。
貨幣は、交換と分業を誘発する。
日用品を貨幣で入手できることにより生産に専念でき、
また、拡大生産のため、分業化が進む。
紙幣としての機能を持つ預かり証は、十三世紀北イタリアに存在した。
このとき、預かり証は現在と違い匿名性がないため、
貸し手の信用度を知るための資金経路の情報を両替商に齎した→与信審査の機能
「銀行業務はカネにかかわることではなく情報にかかわることだ」
(元シティバンク会長ウォルター・リストン)
ハイエクの貨幣発行権民営化論。
貨幣発行権に政治的中立性を求めた。
十九世紀半ばまでのスコットランドでは貨幣発行権は非国有。
la Fed設立まではアメリカには中央銀行(役)は存在せず、
民間銀行による紙幣の林立があった(価値裏付けは州への債券の預託)。
地域通貨。中央集権に凝り固まった日本経済の閉塞打破に有効な対策。
1932年にオーストリアのヴェルグルでデフレ対策に導入された地域通貨は、
減価貨幣(スタンプ貨幣とも)により成果を上げた。
ゲゼルによって提唱された減価貨幣は、時間の経過とともに価値が減少するというもの。
ケインズ『一般理論』でも解説されている。
13.11.08
近代の超克についての私見 建築、藝術、学問、倫理
私の帰国後、近代の超克をめぐる思考が、
エディパ・マースの周囲にぽつぽつと
私設郵便制度が見え隠れするかのように
現れては消えていった。
それは、柄谷行人の『終焉をめぐって』であり、
故郷で出会ったK先生の云った庄司薫であり、
ここ十年以上続く実感なき好景気と実感ある不景気の羅列であり、
さっきページを開いた磯崎新の『建築の解体 一九六八年の建築情況』
である。
近代の始まりがデカルトとヘーゲルなら、
その終焉はダーウィニズムの否定と中立進化説の出現になるのかなぁ。
その時期と大学紛争の時期が重なるのは、偶然にしてはちょっとなぁ、って。
近代って何なのかも分からないが、
「近代」世界システム、という某書名が示すようなもの、
やはりヘーゲルとダーウィン的、そしてマルクス的な世界観なのではないか。
さて、近代が終わって、もう祭りの後、みたいになってしまって、
築き上げられてきた学問もデザインも倫理も
あっという間に崩壊して、いや「解体」されて、
「近代を超克」してしまったいわゆる先進国は、
ひたすら途上国の追い上げと景気後退と極右に悩まされているだけの
矮小な存在に成り下がってしまって、
揚げ句の果てには経済をマッチポンプで破裂させているわけですよ。
1968年以降の「バブル建築」「複製品」で1989年の崩壊まで踊らされてきて、
それから延々と続く閉塞感が漂っているだけで何も変わっていない、
それなら情況は空白のまんまですかねぇ。
(9.11の固有名じゃなくて)同時多発テロという一般名を考えるなら、
第一次大戦も第二次大戦も大学紛争もそうだったのかもしれない。
いや、むしろ、
第一次大戦→大正デモクラシー→ファシズム
∽
第二次大戦→大学紛争→??
という位置づけなのなら、このままいくと本当に、
20xx年なのに「1984年」、みたいなことになるのか?
ファシズムの機能が、思考停止・鰯の頭崇拝、という
ある種の思考浄化装置であるならば、これは現実的な危機だ。
誰か、うまいことガス抜きしてくれー。
11.11.08
2008年のアル・ゴア
EMINEMのMoshを聴いた。
これ聴くたびに、生々しい単語単語だけがぽつぽつと耳に残って、
悲痛な叫び声のような歌声と混じって、なぜか泣きたくなるんだよね。
そして、ブッシュかゴアかを分けた2004年大統領選の文脈と
マケインかオバマかを分けた2008年大統領選の文脈が、
状況はさほど変わらないはずなのにあまりに違っていることに驚いた。
そして、どちらをとっても宗教対決であるという変わらぬ事実にも気づいた。
2004年は、宗教右派v.s.反戦良識派だった。
論点の主眼はイラク戦争の是非であって、
そのためにEMINEMはMoshで
内政充実とでっちあげ戦争反対を表明したが、
正義教へと変異したWASPキリスト教にとっては、
何よりもまずイラクという悪への恐怖感に、
そして石油利権と経済効果、市場開拓という魅力に駆り立てられて、
環境論者ゴアではなくて資本家・保守派のブッシュが選ばれた。
イラク戦争を進めたことを除けば、
ブッシュが大して何もしなかったことに注目すべきだ。
アメリカの宗教右派は単なる保守論者である以上、
ブッシュは看板的存在で充分なのだ。
2008年は、変革派v.s.保守派だった。
最大の論点としての経済は、右派の安泰さの巣窟であるために、
経済政策への期待はもちろん変革側に向けられる。
そして何より、今回の大統領選の実質的な内容のなさ。
閉塞感という漠然としたものの存在が、
オバマ勝利への最大の論点ではなかったか。
アメリカ大統領候補者初の女性か黒人か、という
民主党内戦を広告として最大限に活かしたオバマは、
彼自身が出自と生い立ちから見ても華々しきコスモポリタンだ。
対抗馬はというと、軍人上がりの上院議員という、これまでの大統領候補の典型。
これではもうイメージだけで勝敗は見え隠れしていると云えなくもない。
オバマが多用した表現として、change、主語にweを使う、というところが、
ただただ漠然と変革感、閉塞打破を示しているのである。
だが、それは悪いことではない。
政治家として最悪なのは政治家という型にはまることであって、
例えばフランスではベルナール・クシュネル、ジョゼ・ボヴェ、
アメリカではアル・ゴア、のような
活動家でもあり政治家、という良識派が日本にはいないのだから、
ブッシュやマケインの生き写しとしての麻生太郎が
なし崩しに政権を担っているのも、仕方がないのかもしれない。
だが、先ほど示したように、要はイメージであって(政治は神学なのだから)、
オバマはそれをうまく示したから勝利した。
代わりがいないからしょうがなく麻生、というのは最低の判断だ。
誰もがオバマのように戦略に長けているわけではないから、
きちんと自分で候補者を、候補者の公約や活動を見て、
少しでもマシなのを選ばなければいけないと思う。
日本での良識派政治家の不在について。
緑の党、のような環境政党が日本にはない、という事実からもわかるし、
そもそも政治に良識派が必要とされた試しがないから、
死刑存続も高すぎる学費もトービン税導入も議論されない
(死刑と学費については、どちらとも国連から是正勧告を受けている)。
アメリカの場合、弱小政党としての緑の党とは別に、
民主党が多少だがその役割を持っていることが、主にゴアの事例からわかる。
政治が国民を疎外していることが、良識派不在の最大要素だから、
このまま公明自民党(支持基盤から、あえてそう呼ぼう)を与党にし続けると、
日本は閉塞感を払拭できないまま、先進国の表舞台から消えるだろう。
そういう国は、過去にいくらでもあるのだから、その道を行くはたやすい。
これ聴くたびに、生々しい単語単語だけがぽつぽつと耳に残って、
悲痛な叫び声のような歌声と混じって、なぜか泣きたくなるんだよね。
そして、ブッシュかゴアかを分けた2004年大統領選の文脈と
マケインかオバマかを分けた2008年大統領選の文脈が、
状況はさほど変わらないはずなのにあまりに違っていることに驚いた。
そして、どちらをとっても宗教対決であるという変わらぬ事実にも気づいた。
2004年は、宗教右派v.s.反戦良識派だった。
論点の主眼はイラク戦争の是非であって、
そのためにEMINEMはMoshで
内政充実とでっちあげ戦争反対を表明したが、
正義教へと変異したWASPキリスト教にとっては、
何よりもまずイラクという悪への恐怖感に、
そして石油利権と経済効果、市場開拓という魅力に駆り立てられて、
環境論者ゴアではなくて資本家・保守派のブッシュが選ばれた。
イラク戦争を進めたことを除けば、
ブッシュが大して何もしなかったことに注目すべきだ。
アメリカの宗教右派は単なる保守論者である以上、
ブッシュは看板的存在で充分なのだ。
2008年は、変革派v.s.保守派だった。
最大の論点としての経済は、右派の安泰さの巣窟であるために、
経済政策への期待はもちろん変革側に向けられる。
そして何より、今回の大統領選の実質的な内容のなさ。
閉塞感という漠然としたものの存在が、
オバマ勝利への最大の論点ではなかったか。
アメリカ大統領候補者初の女性か黒人か、という
民主党内戦を広告として最大限に活かしたオバマは、
彼自身が出自と生い立ちから見ても華々しきコスモポリタンだ。
対抗馬はというと、軍人上がりの上院議員という、これまでの大統領候補の典型。
これではもうイメージだけで勝敗は見え隠れしていると云えなくもない。
オバマが多用した表現として、change、主語にweを使う、というところが、
ただただ漠然と変革感、閉塞打破を示しているのである。
だが、それは悪いことではない。
政治家として最悪なのは政治家という型にはまることであって、
例えばフランスではベルナール・クシュネル、ジョゼ・ボヴェ、
アメリカではアル・ゴア、のような
活動家でもあり政治家、という良識派が日本にはいないのだから、
ブッシュやマケインの生き写しとしての麻生太郎が
なし崩しに政権を担っているのも、仕方がないのかもしれない。
だが、先ほど示したように、要はイメージであって(政治は神学なのだから)、
オバマはそれをうまく示したから勝利した。
代わりがいないからしょうがなく麻生、というのは最低の判断だ。
誰もがオバマのように戦略に長けているわけではないから、
きちんと自分で候補者を、候補者の公約や活動を見て、
少しでもマシなのを選ばなければいけないと思う。
日本での良識派政治家の不在について。
緑の党、のような環境政党が日本にはない、という事実からもわかるし、
そもそも政治に良識派が必要とされた試しがないから、
死刑存続も高すぎる学費もトービン税導入も議論されない
(死刑と学費については、どちらとも国連から是正勧告を受けている)。
アメリカの場合、弱小政党としての緑の党とは別に、
民主党が多少だがその役割を持っていることが、主にゴアの事例からわかる。
政治が国民を疎外していることが、良識派不在の最大要素だから、
このまま公明自民党(支持基盤から、あえてそう呼ぼう)を与党にし続けると、
日本は閉塞感を払拭できないまま、先進国の表舞台から消えるだろう。
そういう国は、過去にいくらでもあるのだから、その道を行くはたやすい。
10.11.08
「デパートを発明した夫婦」「『蟹工船』では文学は復活しない」
講談社現代新書、文學界2008年11月号の対談。
前者。鹿島茂っていう口のずれた顔が特徴的なフランス文学者の本。
まぁ、ブシコーっていう人がパリ左岸のボン・マルシェを
いかに創立し、大百貨店に育て上げたか、というお話。
現代の小売業のみならず企業の雇用形態が、ブシコーによって発明され、
それが現代とほぼ同型を保っているというのがすごい。
私の留学中ボン・マルシェとの関係はと云うと、
帰国の飛行機に乗る前日にぶらっと立ち寄って
お土産のリクエストのあった紅茶を買ったぐらいだ。
その後、ほど遠からぬ場所で日本人カップルにボン・マルシェの場所を訊かれ、
あのでかい白い建物がそうです、と答えたのを憶えている。
後者。文学がかつてほどの隆盛を失って久しい、という現実を再確認。
タイトルほど『蟹工船』は関係ない。
編集者がブームにあやかろうとして銘打っただけだろう。
現実を描く全く新しい物語が書かれたわけでもないという現状は、
「プロレタリア文学」という告発兼プロパガンダが
文学という形式をとった過去と比しても、
やはり文学の衰退の一つであることは間違いない。
ところで、その文學界の裏表紙をめくったところにエッセイが載っていて、
源氏物語千周年の馬鹿騒ぎを揶揄していた。
肯首しつつ読んだ。読んだ、っつーほど長くないけど。
まぁ、はっきりと年代も分からないのに、
大体千年だろうって云って祭り上げて、
でもほとんどの人が読んでもないし持ってもないし内容もあんまり知らん、てんじゃ、
そのトンマさは皇紀二千六百年とかわんないね。
7.11.08
『ボヌール・デ・ダム百貨店』
読了。この厚い小説を一気に読んだのは、久しぶりだ。
勝ち組、負け組、という嫌いな表現が似合うお話。
最後に勝負を制するのは、その両方を渡り歩いたシンデレラなのだけれど。
その意味でハッピーエンドなのだが、その裏で悲劇の数々があまりに多く渦巻いていて、
やがてはそのシンデレラも足を引っ張られるのではないか、と
ストーリーの今後も勘ぐってしまうような、薄っぺらいハッピーエンド。
経済学の根底意識には、資源の希少性と欲求の底なしの対立があるが、
消費産業が社会を呑み込んでゆく瞬間を捉えていて、面白かった。
もっとつまんない一般的な云い方をすれば、パラダイムがぐるっと回転する瞬間。
舞台はパリのオペラと証取を結ぶ通り。
今年のちょうど元日、コンコルドからマドレーヌ、オペラ、パリ証券取引所まで
延々と歩いたことがあるが、百貨店なんてなかった。
だから、サン=ラザール駅を降りてちょっと歩いたところの百貨店、ということで
オスマン通り沿いのプランタンかと思って読んでいた。
そうではなくて、すでに潰れた百貨店がモデルになっているらしい。
でも、あの静かな通り、BNPパリバの本店なんかがある今や高級住宅街で、
雰囲気もなんとなく分かっているので、とても楽しめた。
ジュヌヴィエーヴの葬列の向かうブランシュ通りなんて、
あぁ、あの細い坂を上っていったのか、とこっちまで悲しくなった。
実名登場のボン・マルシェが懐かしい。セーヴル・バビロン駅を降りてすぐです。
デパートという消費のスペクタクルのめくるめく描写が綺麗だし、楽しい。
色遣いの巧みさはすごい。特に終盤。
あとね、人が多すぎる。四千人以上の従業員、一日七万人の来客。
もちろんすべて描かないけれど、その人いきれ、おしゃべりの喧しさ、飛び交う噂、
買い物好きたちのすさまじい虚栄心、などなど。圧倒される。
サブリミナル
ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』を読んでいる。
昨夜、ある店の前を通りかかった女性が、「私、お惣菜食べたい」と云ったので、
私にはその意味が全く分からなかった。
麻婆豆腐を食べたいというのなら、あの味が好きなのだな、というようにわかるが、
惣菜という食べ物を箸なりでつまんで咀嚼する、というのがあまりにシュールで、
何が云いたいのだろう、と思った。
売るほうは、買う側の論理なんてどうでもいいのである。
昨夜、ある店の前を通りかかった女性が、「私、お惣菜食べたい」と云ったので、
私にはその意味が全く分からなかった。
麻婆豆腐を食べたいというのなら、あの味が好きなのだな、というようにわかるが、
惣菜という食べ物を箸なりでつまんで咀嚼する、というのがあまりにシュールで、
何が云いたいのだろう、と思った。
売るほうは、買う側の論理なんてどうでもいいのである。
4.11.08
『藤原氏千年』『女装と日本人』
どちらも講談社現代新書。
前者。
藤原氏という新興にして繁栄の極みを体験した一氏族とその周囲を描く歴史の要約で、
こういう切り口の日本政治史も一つの形かと思った。
部族、氏族そして一族(=家)という三者の相違、歴史的発生過程が、
自分にとっては勉強になった。
後者。
前半は、日本文化における両性具有的存在の偏在を学ぶ。
多神教っぽくて面白かった。やはり、異端はすなわち宗教である、なんて。
後半は、戦後のゲイ、ニューハーフ、女装の文化を、著者の体験に基づき
非常に詳しく開陳してくれた。
これは大変に面白い本だった。
3.11.08
たこ焼き@大学祭 à la 町田康
普通の祭りなら、普段街でなかなかお目にかかれないような
テキ屋の方々が屋台の軒を連ねて、しかも、
大阪焼きとかいう大阪で一度も見たことがないような
食品までもが売ってある。
そして、子供が、あれ買うてぇなこれ買うてぇな、つって親におねだり、
しかし親はしらんぷりをしてりんご飴をひたすら舐めている、なんていう、
あぁ、世も末じゃ、嘆かわしいことが往々にして起きるのであって、
私はそんな社会の衰退・頽廃みたいな現実を見たくないからひたすら蟄居。
しかし、大学祭となれば事情は少しく異なる。
というのも、大学祭はテキ屋のショバ配分などを
学生の有志集団が取り仕切っているのであり、
さほどどころかいささかもこわもてではない。
テキ屋の方も、おっさんおばはんではなく、
まだその予備軍、すなわち学生なのであるから、
殺伐とした雰囲気はないのである。
ほな、ちょっくら、てな軽いノリ・感じで、私は会場へと足を運んだ。
舞い散る紙吹雪、天女の宴、あぁ、極楽じゃ。
なんてことは全然なくて、狭い四方を取り囲む屋台。
その隅に設えられた舞台では、
珍奇な風体を晒した愚連隊が意味をなさない罵声を浴びせるといった
バンド活動とやらをやって、往来の人々に喧嘩をけしかけていた。私は驚愕した。
小さな子供もいるのに、こんなに心の荒れすさんだ集団を見せつけるとは、
大学祭本来の暖かさ・手作り感は
私の知らぬ間に時代の彼方に流れ去ってしまっていたのである。
ここは身を引き締めて、ちょっとの油断も見せてはならぬ。
って、ずずずいと会場に足を踏み入れた。
と、看板を手に妙な恰好で会場を徘徊する連中。
それも、一人や二人ではない。
一瞥するだけで、視界の中にはざっと二十人以上も、
そのような輩が紛れ込むのである。
これは常人の気をおかしくしちゃおうという戦術か、と私は身構えた。
すると、それらの例外なく手にしている看板には、
やきそば200円也、とか、シャカシャカポテト100円也、というような文言。
なるほど。彼ら彼女らはちょっとイッちゃってるとか、そういうのではなくて、
乱立している屋台の広告として少しでも売り上げに貢献せんという無私の志しを胸に、
身を粉にして働いているのである。
確かに、日常には単なる駐車場でしかない場所に、
突如として二十も三十もの飯屋ができているのだから、
供給が需要を大きく上回っているということは一目瞭然。
客よりも客引きのほうが多いのではないかしらん、という体たらくである。
ははぁん、と私は考えた。
この状態であればほどなくして、値段は需給のバランスが落ち着くに相違ない。
実際、広告がかくも多く闊歩しているのだから、
やきそばはそのうち10円也ぐらいにまで下がるだろう。
そうしたらすかさず買うたろやないか。よっしゃあ。
ってんで、自分は店先を睨みつけ、臨戦態勢に入ったのである。
すると、この緊張にも関わらず、一人の男が近づいてきて、
たこ焼きいかがですかー、などと間抜けなことを訊きくさる。
いやしくも一触即発の状態にあるというのに、何がたこ焼きか。空気読め、空気。
しかし、と私は思い直した。
彼は数ある広告塔の一人だが、至って普通な恰好をしている。
これではさほど人の気を惹き付けられぬだろう。
彼のせいでたこ焼きが売れなければ、店はまるで儲からなかろう。
儲からないだけならまだしも、これで大幅に赤字が出て、
その店を切り盛りしていた学生全員が路頭に迷い、
公園暮らしになってしまったらどうなるか。
その際、自分がなぜ、あの日あの時あの場所でたこ焼きを
彼の店から買ってやらなかったのだ、と責められたら、
言い訳も何もたったものではないのである。
じゃあお前も家なき子じゃ! ひぃぃぃ! それは困る。
私には、ぬくぬくと炬燵に入って蜜柑をほおばるための家がぜひとも必要なのである。
蜜柑、蜜柑! とぶつぶつつぶやいてたこ焼き売り子に怪しまれながら、
私はたこ焼きを購った。だが、待つこと数分、
焼きたてのたこ焼きの入った容器を手渡されてから、私は後悔した。
何を隠そう、私の出身はたこ焼き王国大阪なのである。
そして、仙台のたこ焼きは異様なほどにタコが小さく、
あるいは入っていないときすらある、と、
それこそ耳にタコができるほど聞かされて育ってきた、
そんな秘められた過去が私にはある。
このたこ焼きがそんな粗悪品だったらどないしよう。
そんなことなら、炬燵で蜜柑をあきらめてでも
たこ焼きを買わなければ良かった、と悔やみ続けるに違いない。
ええい、ままよ、と、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、
私は爪楊枝を引っ掴んでたこ焼きを一個口の中に放り込んだ。
とろける生地の中に、タコは
ちゃんとした許容される大きさにカットされて収まっていた。
いや、これはまだまだ七個のうちの一個、
もしかしたら今のだけが辺りで他が全滅かもしれない。
ゲーマーの連打もびっくりの早技で、
私は口の中にたこ焼きを放り込んでは咀嚼していった。
結局、タコはすべてにちゃんと入っていた。
しかも、すべて平らげてしまってから、
さわやかな食後感が私をふんわりと包み込んでいた。
あぁ、私は疑心暗鬼にすべてのたこ焼きを費やしてしまった。
容器にはもうたこ焼きはない。
カラスがギャーギャーと鳴いていた。
むなしくなった私は、その場で少し踊った。うくく。
2.11.08
『世界文学を読みほどく スタンダールからピンチョンまで』『都市ヨコハマをつくる 実践的まちづくり手法』
前者は池澤夏樹の講義録。
ピンチョンを読んだ後で、ちょっとその解説を欲したため。
池澤さんは独特の読感を味わわせてくれる貴重な作家で、
『スティル・ライフ』みたいな詩のような綺麗な小説を書ける一方、
ちゃんとそんな空気を保ちながらも『マシアス・ギリの失脚』のような
小国一代記みたいなのもあるという、稀有な存在だが、
この本に、大変な勉強家でもあるという事実をはっきりと突きつけられた。
いやぁ、すごい。やっぱり作家の力量って、なんだかんだ云っても
結局は読書量と(大江健三郎的な意味での)想像力だな、と思った。
後者は、横浜市の都市計画に関わった人物の手になる中公新書。
空襲と米軍接収に荒廃した横浜市を復興させヨコハマにまでした経緯を
たった一冊の短い新書にまとめているものだから、
本当は交渉に疲弊して難航に難航したであろう物語が
サルでも分かる単純なプロジェクトX群にでっち上げられているところが
ちょっと滑稽だが、内容は勉強になる。
長期計画は、ビジョンの先をも見越して立てられなければならない、
そんな実例を山のようにあげられては、圧倒されるほかない。
(衛星都市、海港という)東京のの補完機能の一つにすぎないはずの横浜が、
どうして千葉や埼玉や東京中西部の無数の市町村のような
無個性な住宅地に成り下がらずにいられたのか、
これを省察することは、街並が「無秩序」で「汚い」とされる国の一市民として
必要なことなのかもしれないから。
とまぁ、清らかな志に聞こえるかもしれぬが、
その実は、延々と政治力学の駆け引き、駆け引き、駆け引きだった、という
どんでん返しなんだけれどもね。
31.10.08
大学祭
大学祭のそばの建物の中にいると、
歪んだ楽器演奏が聞こえてきて、
それはまるで、ジョン・レノンの«名曲»であるRevolution 9のようだ。
Revolution 9の再生後6:50経ってからが、近代前・非西洋を彷彿とさせて、好きだ。
革命としての大学祭。
大学祭は何を祀っているのか?
まぁおそらく、福澤諭吉が幼少期にそこらへんで拾った木切れだろう。
29.10.08
『競売ナンバー49の叫び』
これはすごい。掛け値なしにすごい。
名詞と譬喩とストーリーがすべて共鳴して、
見えざるカズー笛協奏曲を奏でている。
でも、奏でられる対象がすっぽりと抜け落ちている。
暗示だけを中心に置きながら、最後まで登場しない。
こう書くとゴドーみたいだけどね。
あ、そうか。ベケットか。
でも、見えないものを書く、ということでデュラスを思い浮かべていた。
ただ、しんどかった。
もう一度読んで解題を試みてみたいのと同じくらい強く、
もう読みたくないという気持ちがある。
27.10.08
歴史小説の誕生
【神話的歴史】
ウィリアム・フォークナー→中上健次、ガブリエル・ガルシア=マルケス
【多重的円環的歴史】
ジェームズ・ジョイス→大江健三郎
【意味充満(歴史)】※歴史は方法論的枠組み
ウンベルト・エーコ→トマス・ピンチョン
【上の三つの複合 あるいは 上の三つへの分化以前】
神話
考察:
分化は、かつてより遥かに多様化した社会を捉えるための想像力的手法か。
注意すべきは、神話の頃は、自然科学は社会科学を内包し、あるいは、
内包されるほどに小さな問題対象であり、
美術や文学や評論ほかすべての藝術は、自然科学の極めてまじめな手法だった。
考察:
歴史は、その一過性ゆえに真偽を判断する決定的な判断基準を提供するが、
その真偽の形成は偶然や気まぐれに拠る。
22.10.08
『闇の子供たち』、ジョット
ともに昨日のメモ。
ドキュメンタリー(風)はやはり即物性なのか。
だが、人間模様も彩られるのはやはり映画(フィクション)か。
衝撃すぎるのは事実だ。
ジョットの美術展に行った。
ルネサンスの緒を開いたとされるが、抜けきらない中世美術との折衷が面白い。
どのようにしてジョット(とその時代)が中世から逃れようともがいたかが
けっこうありありと見えてくる。
まず、先進性から挙げると、
立体感、遠近法へのあからさまな科学的態度。
近世までの画家と科学者を同一視するマクルーハンを思い出した。
人物の表情もかなり豊かで、よく観察して描かれた、
つまり、イコンとしての前例踏襲に走らない意思がわかる。
次に、中世の残滓は、もっとも感じたのは、画面構成。
あるいは、象徴の継承(幼児キリストの手に持つ鶸など)。
これらの硬直化こそが、実は中世だったりする。
人は何から先に前例と前例ととり、何を見逃す(あるいは二の足を踏む)のか、
これを気づくヒントになった。
21.10.08
大江健三郎『万延元年のフットボール』
大江健三郎『万延元年のフットボール』を、ここ三日ほどで読了。
あまりに作品の世界が大きくて重厚なので、嘆息するしかない。
万延元年、敗戦、安保闘争の現代、それぞれが愛媛の小さな山村で絡みあい、
共鳴しあい、新しい歴史をも動かしてゆく。
想像力とは何か、歴史とは何か。
歴史とは、時間軸的に過去を固定されている以上どうしても硬直してしまった、
想像力の残滓である、というような印象を持った。
なお、この作品が自分にとってそれ自体としても非常に面白いのだけれども、
村上春樹のイメージ群のネタ元でもあるので、
『1973年のピンボール』を主に、「鼠」「井戸」「羊」などの意味が
ほどけてゆくところが多々あって、種明かしをされているようで楽しめた。
村上春樹が好きだからといって大江健三郎(や庄司薫も?)を読まずに
卒論などのテーマにするというのは、アホだ、と思った。
『競売ナンバー49の叫び』は目下の読書中ではある。
意味の連なりが、あまりに「ブンガク星」の優等生、という感じ。
どうなんだろうねぇ、もちろんそれはピンチョンの文体であって、
別の作品全体の意図もあるんだけれども。
林京子『祭りの場』を読み始めた。
実は高校生のときに読んでいたが、ほぼ忘れてしまっている。
淡々と、ユーモアさえ絡めて原爆体験を語る、
その乾いた口調が逆に背中に張りつく。
8.10.08
ライトノベルへの提言2、『城』
前回、友人に指摘された事項に対して。
ライトノベルは結局、文学とは無関係である可能性が高い。
理由の第一に、ライトノベルは、文学へのアンチテーゼとしてではなく、
ファンタジー小説の中でもある種の静的な雰囲気を持つ作品への
根強いファンの出現と、それへの出版社の対応によっている、という出自がある。
ライトノベルの世界観が単にその特徴であるというだけではなく
レゾンデートルですらある、という事実は、私にとっても発見だった。
文学ほか藝術一般の目的である表現の解放は、ライトノベルにはあたらない。
つまり、理由の第二として、ライトノベルはむしろ読者にとって眠りのような快楽を
提供することを最大目的としている、ということがある。
大塚英志は、ライトノベルを商業的にも適った文学ジャンルと捉えたが、
(彼はライトノベルに文学性を付加しようと試みさえした)
その誤解のために、ライトノベルは大塚英志を離れていった。
ライトノベルは、つまり、クラシック=前衛音楽に対応する軽音楽のようなもので、
それ自体で独立したジャンルであると考えられるべきだ。
しかし、ライトノベルへの私の苦言は、現代の文学の閉塞感へも直接繋がる、
いや、そもそもは、現代の文学が閉塞しているがために
ライトノベルにまで作品群が連続してしまったという問題意識による。
例えば、各種の文学新人賞、特に文藝賞(と群像新人文学賞)の堕落は目を覆うものがある。
芥川賞にしても、阿部和重は『アメリカの夜』で受賞すべきだった。
後に受賞したとはいえ、十年の間が空き、しかも『ニッポニアニッポン』のような
優れた作品をも、銓衡委員は怠慢にも見逃し続けた。
福永真、青木淳悟などはまだ候補にも挙がっていないのではないか。
新人賞にこだわるのは、この三、四十年の間に、
同人誌という新人作家デビュー経路がほぼ断たれたからに他ならない。
近況。
カフカ『城』を読了。
それでも人は働き続ける、黒井千次の小説のように。
学歴やら自己PRやらをいくら身につけて就職して
雀の涙の給金をもらったところで、
働くということはやはり、『枯木灘』で秋幸の労働が
何度も何度も描かれるような、実感があってこそなのだろう。
さて、カフカが云うように、人間の住む世界の主体は、
個人ではなく、社会である。
言語の基本単位が単語ではなく文である、と指摘したフレーゲの
コペルニクス的転回を思い起こさせる指摘だ。
ではなぜ現代社会では個人やら個性やらが尊重されるのかって?
そのほうが経済効果だからにすぎない。
さて、社会の複雑系的様相を考えて、
次に読み始める作品は、トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』。
『城』では副次的だった「陰謀」という問題が、ここでは主題となる。
2.10.08
記号の戯れ あるいは、ライトノベルへの提言
ライトノベルの現状と問題点
ライトノベルは単なる記号の戯れにすぎない。
ライトノベルにおいて好まれる記号は、以下のとおり:
しらけ(冷め)、暴力、(非対称の対義語としての)対称性、閉鎖空間、非=没我。
これらの複合がライトノベルの本質であり、
ライトノベルとして読まれる全作品の形態であると考える。
登場人物は常に冷静で、行為は常に正しい。
対称性は、他者不在とも換言で着る。
登場人物はみなそれぞれの領分を持ち、「空気が読めている」。
たとえ他者が登場しようとも、
ライトノベルは単なる記号の戯れにすぎない。
ライトノベルにおいて好まれる記号は、以下のとおり:
しらけ(冷め)、暴力、(非対称の対義語としての)対称性、閉鎖空間、非=没我。
これらの複合がライトノベルの本質であり、
ライトノベルとして読まれる全作品の形態であると考える。
登場人物は常に冷静で、行為は常に正しい。
対称性は、他者不在とも換言で着る。
登場人物はみなそれぞれの領分を持ち、「空気が読めている」。
たとえ他者が登場しようとも、
それは非対称的な他者として作品に深みを持たせることはなく、
対称性として、分かりやすく言うなら「悪」として、
作品世界の裏返しとして取り込まれるためのものである。
これらは、主人公が作品内で特権的地位を与えられているからだ。
全登場人物は、主人公を軸として周囲におかれている。
主軸である主人公は、その絶対性ゆえに内省・自己批判を必要としない。
これらを成り立たせているのが、作品世界という閉鎖空間だ。
ライトノベルにおける暴力とは、読者サービスのための不要な装飾品である。
かっこつけとしての白けも同様で、本来は不要だが、
主人公を頂点とする作品世界の絶対性に支えられ、
読んでいて心地よい全能性を強調するために、付与されるのであろう。
記号の戯れである所以は、この主人公を頂点とする絶対性である。
主人公に属するあらゆるものは、吟味されることを免れて正しいとされる。
一方、物語とは、何かを問題にして語るというプロセスであるが、
作品世界内ですべての価値判断が済んでいる状態では、何をも問題化できない。
よって、記号は終始、形を変えずに戯れ続けざるを得ないのだ。
ライトノベルはいかに文学性を獲得するか
ライトノベルが文学性を確保するためにはいかにすべきか。
ライトノベルは、最初に挙げた諸要素によって満たされるので、
基本的には文学との関連はない。
しかし、文学の指向をライトノベルに適用すればいいのではないかと私は考える。
それは、模倣と破壊である。
ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』は、
対称性として、分かりやすく言うなら「悪」として、
作品世界の裏返しとして取り込まれるためのものである。
これらは、主人公が作品内で特権的地位を与えられているからだ。
全登場人物は、主人公を軸として周囲におかれている。
主軸である主人公は、その絶対性ゆえに内省・自己批判を必要としない。
これらを成り立たせているのが、作品世界という閉鎖空間だ。
ライトノベルにおける暴力とは、読者サービスのための不要な装飾品である。
かっこつけとしての白けも同様で、本来は不要だが、
主人公を頂点とする作品世界の絶対性に支えられ、
読んでいて心地よい全能性を強調するために、付与されるのであろう。
記号の戯れである所以は、この主人公を頂点とする絶対性である。
主人公に属するあらゆるものは、吟味されることを免れて正しいとされる。
一方、物語とは、何かを問題にして語るというプロセスであるが、
作品世界内ですべての価値判断が済んでいる状態では、何をも問題化できない。
よって、記号は終始、形を変えずに戯れ続けざるを得ないのだ。
ライトノベルはいかに文学性を獲得するか
ライトノベルが文学性を確保するためにはいかにすべきか。
ライトノベルは、最初に挙げた諸要素によって満たされるので、
基本的には文学との関連はない。
しかし、文学の指向をライトノベルに適用すればいいのではないかと私は考える。
それは、模倣と破壊である。
ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』は、
騎士道文学を模倣することによって、それを内部から破壊することに成功した。
ライトノベルの行く末は、二通り考えられる。
一つ目は、ライトノベルの形態が変容した場合。
これは、私が上に挙げて予想したような文学性獲得や、
あるいは、非常に斬新な手法によって、ライトノベルが現在の枠組みを捨てた場合。
ライトノベルは止揚することで、延命されることになる。
ただし、それが読者に受け入れられるか否かは全くの別問題。
二つ目は、ライトノベルが変容しなかった場合。
ライトノベルは、絶対的自我に支えられた、非常に現代的潮流にあったジャンルなので、
大部分の漫画のように、時代を越えられぬまま、時の忘却に遭うだろう。
黙示文学、騎士道文学、私小説、などのように、
文学史にのみその名を留めることになる。
ライトノベルからみて文学とは何か
ライトノベルを反面教師として、文学の可能性を考えることは有用である。
文章によるという形態、商業性、時代性などは共通しているからだ。
しかし、これは今後の課題としたい。
-----------------------
私の云いたいことを要約すると、こうだ:
『キノの旅』がつまらなすぎる。
16.9.08
就職(petit annonce de mon boulot)
内々定をもらいました。
来年度から横浜に勤めます。
J'ai gagné une embauche dans une université à Yokohama.
J'y travaille à partir d'avril 2009 en tant qu'administrateur.
来年度から横浜に勤めます。
J'ai gagné une embauche dans une université à Yokohama.
J'y travaille à partir d'avril 2009 en tant qu'administrateur.
14.9.08
音楽
「音楽」という二文字を見て真っ先に浮かぶのは、
同名の題の三島由紀夫の小説。未読ながら。

おめでとうございます!
先輩の同居人のバンド « dry as dust » がCDデビュー。
仙台でも大きなスペースをとって売り出されていた。
けっこう激しい、ということで、確かにそうだが、
ヴォーカルの周囲で賑やかに鳴っているはずの楽器が、
中心で伸びる声の細さ・鋭さに搦みつくように、どれも影を帯びていて、
これが独特の味を出しているように思われる。
一度聴いただけではわかりにくいが噛み締めていると分かってくるような、
一筋縄にいかない味があるのだ。
>nagiさん
『神曲』は手許に置いておいて何気なく繰りたいと思うような、数少ない本ですよね。
もっと年若い自分に出会えていればよかったと惜しませる本でした。
ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』と、フランツ・カフカ『城』を平行させて読んでいる。
前者は、思考実験のような作風で、イヨネスコ『犀』やカフカ『変身』の一統に入る。
つまり、A=Bという事実(=固定観念)をあえて否定し、それを出発点としてひたすら引っぱってゆく書き方だ。
どのA=Bを題材に採るか、そして、どのように展開させてゆくかが、作家の力量となるのだろうが、
この作品の面白いところは、多重の二項対立が現出するところ。
イヨネスコ『犀』ならば、動物/人間という対立軸に、
野生/理性、無秩序/秩序などの対立は副次的なものとして収斂される。
カフカ『変身』も、人間/虫に、日常/タブー、生/死が含まれている。
だが『白の闇』では、視力の有/無という、作品の出発点とは別個に、
権力/群衆、個/集団、倫理/欲望などが現れるのだ。
これが面白いので、すらすら読めてしまう。
(あるいは、ジョイス『オデッセイ』のような、英雄なき現代社会の小説なのかもしれないと思ったが、
それはちょっと違うようだ)
同名の題の三島由紀夫の小説。未読ながら。
おめでとうございます!
先輩の同居人のバンド « dry as dust » がCDデビュー。
仙台でも大きなスペースをとって売り出されていた。
けっこう激しい、ということで、確かにそうだが、
ヴォーカルの周囲で賑やかに鳴っているはずの楽器が、
中心で伸びる声の細さ・鋭さに搦みつくように、どれも影を帯びていて、
これが独特の味を出しているように思われる。
一度聴いただけではわかりにくいが噛み締めていると分かってくるような、
一筋縄にいかない味があるのだ。
>nagiさん
『神曲』は手許に置いておいて何気なく繰りたいと思うような、数少ない本ですよね。
もっと年若い自分に出会えていればよかったと惜しませる本でした。
ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』と、フランツ・カフカ『城』を平行させて読んでいる。
前者は、思考実験のような作風で、イヨネスコ『犀』やカフカ『変身』の一統に入る。
つまり、A=Bという事実(=固定観念)をあえて否定し、それを出発点としてひたすら引っぱってゆく書き方だ。
どのA=Bを題材に採るか、そして、どのように展開させてゆくかが、作家の力量となるのだろうが、
この作品の面白いところは、多重の二項対立が現出するところ。
イヨネスコ『犀』ならば、動物/人間という対立軸に、
野生/理性、無秩序/秩序などの対立は副次的なものとして収斂される。
カフカ『変身』も、人間/虫に、日常/タブー、生/死が含まれている。
だが『白の闇』では、視力の有/無という、作品の出発点とは別個に、
権力/群衆、個/集団、倫理/欲望などが現れるのだ。
これが面白いので、すらすら読めてしまう。
(あるいは、ジョイス『オデッセイ』のような、英雄なき現代社会の小説なのかもしれないと思ったが、
それはちょっと違うようだ)
3.9.08
Divina Commedia
ダンテの『神曲』を読了した。
その逞しい筆力、圧倒された。
あそこまで力強く端正な文章、構成。
ルネサンスは、すでにここで萌芽している。
主に、いわばあの世の社会見学のように自分には読めた。
腐敗した聖職者たちや、イタリアを混沌たらしめる政治家たちを、
ダンテは敢えて地獄に配し、しかも煉獄や天国においても、教会の堕落を糾弾させる。
13世紀にして後の宗教改革の下準備となったとも云われる所以である。
ともかく、それを措いても、この一大叙事詩は読むに値する。
寿岳文章の訳も、詳細な註釈も、素晴らしかった。
日本語で読めるこの時代に感謝したい。
ダンテ本人は、折角ラテン語ではなくイタリア語で書いたのに、と反駁するであろうが。
その逞しい筆力、圧倒された。
あそこまで力強く端正な文章、構成。
ルネサンスは、すでにここで萌芽している。
主に、いわばあの世の社会見学のように自分には読めた。
腐敗した聖職者たちや、イタリアを混沌たらしめる政治家たちを、
ダンテは敢えて地獄に配し、しかも煉獄や天国においても、教会の堕落を糾弾させる。
13世紀にして後の宗教改革の下準備となったとも云われる所以である。
ともかく、それを措いても、この一大叙事詩は読むに値する。
寿岳文章の訳も、詳細な註釈も、素晴らしかった。
日本語で読めるこの時代に感謝したい。
ダンテ本人は、折角ラテン語ではなくイタリア語で書いたのに、と反駁するであろうが。
27.8.08
狭き門より入れ/この門はお前のためのものだった
今日は移動時間がだいたい11時間ほどあったので、
しんどかったものの、休憩を入れつつもゆっくり読書することができた。
以下の二冊を、最初から最後まで読了できるほどだった。
○アンドレ・ジッド『狭き門』
コンスタンやラディゲみたいな恋する心理小説の類いかと思いきや、
主題がキリスト教となると、書かれ方が似ていようと趣はだいぶ変わる。
価値観の擦り合わせというか……部外者はあまり大きなことは云えん。
○フランツ・カフカ『審判』
もちろん粗筋は知っていた。
あるサラリーマンがいわれもなく逮捕され、なのに拘束もされずに日常生活が続く。
そんな中で、よくわからないまま裁判が行われ、「犬のように」殺される……。
でも、読んでみて、これは単に官僚主義批判ではないし、そうは書かれていない。
もしそうなら、例えばなぜ裁判所とスラムが同一とされているのか。
最後に主人公が気づくように、容疑が非同調ということなのであれば、
スラムの連中だって誰だって裁判官として、「彼はKYだ!」と死刑にできる。
第一次世界大戦前期に書かれたという背景を考えれば、この全体主義性はもっと血腥くなろうが、
だがしかし、巨大な機構としての全体主義なのにムラ、ここらへんが総力戦の精神というか、
アホナショナリズムの排他性というか、そのようなことを考えながら読んでいた。
もちろん機構は法治主義であってもいいし、資本主義であっても、軍備であってもいい。
裁判は生活のすぐそばに、当たり前のように根づいている。のに、その実態は誰も知らない。
気がつけば、そんなものだらけだ。
コンビニも、テレビも、郵便も、我々には末端しか見えておらず、
裏でどんなことがされているかも漠然としかわかっていないのだ。
……そういえば、『未来世紀ブラジル』って、まさに『審判』っぽいな。
しんどかったものの、休憩を入れつつもゆっくり読書することができた。
以下の二冊を、最初から最後まで読了できるほどだった。
○アンドレ・ジッド『狭き門』
コンスタンやラディゲみたいな恋する心理小説の類いかと思いきや、
主題がキリスト教となると、書かれ方が似ていようと趣はだいぶ変わる。
価値観の擦り合わせというか……部外者はあまり大きなことは云えん。
○フランツ・カフカ『審判』
もちろん粗筋は知っていた。
あるサラリーマンがいわれもなく逮捕され、なのに拘束もされずに日常生活が続く。
そんな中で、よくわからないまま裁判が行われ、「犬のように」殺される……。
でも、読んでみて、これは単に官僚主義批判ではないし、そうは書かれていない。
もしそうなら、例えばなぜ裁判所とスラムが同一とされているのか。
最後に主人公が気づくように、容疑が非同調ということなのであれば、
スラムの連中だって誰だって裁判官として、「彼はKYだ!」と死刑にできる。
第一次世界大戦前期に書かれたという背景を考えれば、この全体主義性はもっと血腥くなろうが、
だがしかし、巨大な機構としての全体主義なのにムラ、ここらへんが総力戦の精神というか、
アホナショナリズムの排他性というか、そのようなことを考えながら読んでいた。
もちろん機構は法治主義であってもいいし、資本主義であっても、軍備であってもいい。
裁判は生活のすぐそばに、当たり前のように根づいている。のに、その実態は誰も知らない。
気がつけば、そんなものだらけだ。
コンビニも、テレビも、郵便も、我々には末端しか見えておらず、
裏でどんなことがされているかも漠然としかわかっていないのだ。
……そういえば、『未来世紀ブラジル』って、まさに『審判』っぽいな。
24.8.08
18, (20), 21, 45
三年半ぶりに、高校のときの先生にお会いした。
高三の折り、柄谷行人を読んでいたら一言アドバイスをくれ、
修了間近になると授業で、人生についての講義のようなことをして下さった先生である。
人生講義とはいっても、全く堅苦しくなくて、
ニザンやヘミングウェイや内田樹を引きながら
哲学的な雑談だったわけだけれども、
Genius lociの話は、大阪を離れることになっていた自分にとって、
個別に聞かされているように感じるくらい特別な内容だったし、
18歳だった自分にとって「私は二十歳だった」話は、
現在21の自分からしても、je ne laisserais personne le direである。
なにより重畳なのは、自分にとって時間=歴史の吹きだまりのような地で
先生に再会できたことだった。
その地にいる人々の表情、話し振り、立ち居振る舞いは、
なぜか自分にとって、昔も今も変わりない。
そんな「路地」のような場所で、しかもその「路地」はマンションに再開発され、
自分も外国帰りで、そんな断絶の後に、ふと、先生と出会ったのだった。
本の話だった。本を巡る、先生の人生だった。
(C'était une histoire autour des livres : son histoire autour de ses livres.)
先生の話は、どれも興味深かった。
高木仁三郎、鳥飼哲、山田稔、浅田彰、庄司薫、いろいろな人物名が取り巻きとして出てきて、
オリュウノオバの語りではなく、スライド式の本棚に収まりきらない蔵書に織り込まれた、
多種多様でありつつ一本に繋がった話だった。
「これがこの話と繋がるんだけど、」と先生が何度も口にしていたのは、
つまり、そういうことだったのだ。
先生からのアドバイス。
本には、入手した場所(書店)と日付を記しておくこと。
脳裡をよぎったのは、青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』だった。
日付を附された無数の書物が、その日付によって連なり、円環してゆく。
物語は繰り返す、まさに、先生と自分が久しぶりに出会い、語り合うように。
(もちろん、「物語」と「人生」は、ここでは同義 «histoire» だ)
高三の折り、柄谷行人を読んでいたら一言アドバイスをくれ、
修了間近になると授業で、人生についての講義のようなことをして下さった先生である。
人生講義とはいっても、全く堅苦しくなくて、
ニザンやヘミングウェイや内田樹を引きながら
哲学的な雑談だったわけだけれども、
Genius lociの話は、大阪を離れることになっていた自分にとって、
個別に聞かされているように感じるくらい特別な内容だったし、
18歳だった自分にとって「私は二十歳だった」話は、
現在21の自分からしても、je ne laisserais personne le direである。
なにより重畳なのは、自分にとって時間=歴史の吹きだまりのような地で
先生に再会できたことだった。
その地にいる人々の表情、話し振り、立ち居振る舞いは、
なぜか自分にとって、昔も今も変わりない。
そんな「路地」のような場所で、しかもその「路地」はマンションに再開発され、
自分も外国帰りで、そんな断絶の後に、ふと、先生と出会ったのだった。
本の話だった。本を巡る、先生の人生だった。
(C'était une histoire autour des livres : son histoire autour de ses livres.)
先生の話は、どれも興味深かった。
高木仁三郎、鳥飼哲、山田稔、浅田彰、庄司薫、いろいろな人物名が取り巻きとして出てきて、
オリュウノオバの語りではなく、スライド式の本棚に収まりきらない蔵書に織り込まれた、
多種多様でありつつ一本に繋がった話だった。
「これがこの話と繋がるんだけど、」と先生が何度も口にしていたのは、
つまり、そういうことだったのだ。
先生からのアドバイス。
本には、入手した場所(書店)と日付を記しておくこと。
脳裡をよぎったのは、青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』だった。
日付を附された無数の書物が、その日付によって連なり、円環してゆく。
物語は繰り返す、まさに、先生と自分が久しぶりに出会い、語り合うように。
(もちろん、「物語」と「人生」は、ここでは同義 «histoire» だ)
23.8.08
声
voix
voie
(je/tu/il/elle) voie(s)
どれも同じ発音だけれど、声、道、視る、……好きな短篇映画を思い出した。
声について。
声が聞きたいからSkypeをして声を聴く。
この距離は声しか届かないし、それも電気信号にコード化され、解読されたものだが、
いつもより優しく聞こえるのは、自我の発露だろう。
あるいは、それは再発見だ。
初対面の人に、まったく関西なまりがありませんね、と感心(?)された。
横浜での出来事。
私見では、横浜弁と東京弁はえらく違う。
東京はべらんめえ調、横浜はそれにぼかしを加えたようで、より柔らかい。
比較すると、両者とも東北弁との何かしらの共通項があり、両者とも関西弁とは異質だ。
西日本と東日本、広葉樹林帯と針葉樹林帯で決定的な差異がある、
この網野善彦の説に初めて触れた何年前かの初夏、衝撃的だった。
消えた自分の大阪弁は、帰阪して数日経ったいまではもう無意識なものになったけれども、
それは、記憶の奥にある外套。ニコライ・ゴーゴリ。後藤明生。
« Très bien. »を「トレ・ビアン」というのがフランスなら、マルセイユはフランスではない。
寧ろ、フランスって何?
南仏はイタリアっぽい、あるいはスペインっぽい。フランスじゃない。
アルザスはドイツすぎる。フランスじゃない。
ブルターニュ? ブリテンじゃないか。フランスじゃない。
フランスじゃない、フランスじゃない、……。
何が残る? ──Rien.
「フランス」をあらゆる名詞に置き換えるまでもなく、気づいたこと。
形容詞とはステレオタイプである。
深夜、一日の重力にとうとう耐えられないその声を
俺は静かに揺さぶって、なでる。
voie
(je/tu/il/elle) voie(s)
どれも同じ発音だけれど、声、道、視る、……好きな短篇映画を思い出した。
声について。
声が聞きたいからSkypeをして声を聴く。
この距離は声しか届かないし、それも電気信号にコード化され、解読されたものだが、
いつもより優しく聞こえるのは、自我の発露だろう。
あるいは、それは再発見だ。
初対面の人に、まったく関西なまりがありませんね、と感心(?)された。
横浜での出来事。
私見では、横浜弁と東京弁はえらく違う。
東京はべらんめえ調、横浜はそれにぼかしを加えたようで、より柔らかい。
比較すると、両者とも東北弁との何かしらの共通項があり、両者とも関西弁とは異質だ。
西日本と東日本、広葉樹林帯と針葉樹林帯で決定的な差異がある、
この網野善彦の説に初めて触れた何年前かの初夏、衝撃的だった。
消えた自分の大阪弁は、帰阪して数日経ったいまではもう無意識なものになったけれども、
それは、記憶の奥にある外套。ニコライ・ゴーゴリ。後藤明生。
« Très bien. »を「トレ・ビアン」というのがフランスなら、マルセイユはフランスではない。
寧ろ、フランスって何?
南仏はイタリアっぽい、あるいはスペインっぽい。フランスじゃない。
アルザスはドイツすぎる。フランスじゃない。
ブルターニュ? ブリテンじゃないか。フランスじゃない。
フランスじゃない、フランスじゃない、……。
何が残る? ──Rien.
「フランス」をあらゆる名詞に置き換えるまでもなく、気づいたこと。
形容詞とはステレオタイプである。
深夜、一日の重力にとうとう耐えられないその声を
俺は静かに揺さぶって、なでる。
17.8.08
ダンテ『神曲』煉獄篇第10歌第123〜125行
おお高慢の基督者よ、
倦みつかれ、
みじめな境涯に沈淪しながら、
心眼に疾するにより、
意気揚々とあとじさりするものよ
(寿岳文章訳)
(煉獄山第一冠、高慢者の域)
倦みつかれ、
みじめな境涯に沈淪しながら、
心眼に疾するにより、
意気揚々とあとじさりするものよ
(寿岳文章訳)
(煉獄山第一冠、高慢者の域)
10.8.08
内向2
黒井千次『時間』。
タイトルがえらく哲学的にごろんと横たわっているものだから
長らく躊躇してきた作品だが、そんなんではなかった。
人がどのように課長になるのかを描き、どのように社会が作られているのかを知り、
どのように時代が流れてゆくのかを理解できる、という非常に精巧な短篇。
かくありたい。
『マルコムX自伝』は、ここ数週間でゆっくりと読んで、昨日読了。
自伝って、本を読む愉しさの最も現れるジャンルに思われる。
特に、彼のような激動の人生を歩んで死んだ人間の自伝は、
小説でもあり評論でもあり人生訓でもあり哲学書でもあり冒険譚でもある。
人と社会と歴史のそれぞれがどっぷりと浸っているから、
どんな人文書のジャンルだと云っても過言ではないくらい。
これは必読かもしれない……。
さて、そんなことを云っているうちに、
待ち人がローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の1/3を読破した模様。
どうして、夏目漱石『吾輩は猫である』のネタ本になったりと、
日本文学にもかくも影響を与えた本が
ちょっとコアな文学マニアしか知らないのかがわからない。
さて、自分は次に何を読もうか。
タイトルがえらく哲学的にごろんと横たわっているものだから
長らく躊躇してきた作品だが、そんなんではなかった。
人がどのように課長になるのかを描き、どのように社会が作られているのかを知り、
どのように時代が流れてゆくのかを理解できる、という非常に精巧な短篇。
かくありたい。
『マルコムX自伝』は、ここ数週間でゆっくりと読んで、昨日読了。
自伝って、本を読む愉しさの最も現れるジャンルに思われる。
特に、彼のような激動の人生を歩んで死んだ人間の自伝は、
小説でもあり評論でもあり人生訓でもあり哲学書でもあり冒険譚でもある。
人と社会と歴史のそれぞれがどっぷりと浸っているから、
どんな人文書のジャンルだと云っても過言ではないくらい。
これは必読かもしれない……。
さて、そんなことを云っているうちに、
待ち人がローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の1/3を読破した模様。
どうして、夏目漱石『吾輩は猫である』のネタ本になったりと、
日本文学にもかくも影響を与えた本が
ちょっとコアな文学マニアしか知らないのかがわからない。
さて、自分は次に何を読もうか。
7.8.08
内向
「内向の世代」。
誰もが知っているとおり「第三の新人」に続く作家たちをいう言葉だが、
あまり結びつきは強くなかったらしい。
後藤明生『挟み撃ち』を読んだ。
ゴーゴリの『外套』に肉付けしたようであり、また別の作品でもある。
どんな人間も個性なんて申し訳程度にも持ち合わせてなんかいない。
誰にでもあるような、或はちょっとだけ珍しいかもしれない出来事・出会いの羅列の中で
自ら勝手に組み立てた一貫性のことを、烏滸がましくも人は個性などと呼び、
先天的なものであると勘違いしつつ、生きているだけなのだ。
うすうすわかっているけれど、こんなにはっきり飄々と宣告してくれなくても良いのに。
……そんな、大変面白い小説だった。あっという間に読めてしまった。
黒井千次『聖産業週間』を読んだ。
これもまた現代的、というか、最近の文学こそかくあるべし。
なんで最近の小説はおおかたが単なる日記なのかね。
それはもういいとして、『聖産業週間』。
就活支援の場で、働くということは生きがい云々とか云っている無脳に贈りたい。
高度資本主義社会、誰独り社会の全体構造を把握している人がいない社会で、
この一個人が働く、ということが果たして何の意味を持つ?
そうそう、内向の世代の共通点は、みな作家になる前はサラリーマンだったということ。
サラリーマン作家の元祖として、経済成長期を描いてきた作家たちの問題意識が、
かなり直接的に現代にも生きているというのは、これいかに?
誰もが知っているとおり「第三の新人」に続く作家たちをいう言葉だが、
あまり結びつきは強くなかったらしい。
後藤明生『挟み撃ち』を読んだ。
ゴーゴリの『外套』に肉付けしたようであり、また別の作品でもある。
どんな人間も個性なんて申し訳程度にも持ち合わせてなんかいない。
誰にでもあるような、或はちょっとだけ珍しいかもしれない出来事・出会いの羅列の中で
自ら勝手に組み立てた一貫性のことを、烏滸がましくも人は個性などと呼び、
先天的なものであると勘違いしつつ、生きているだけなのだ。
うすうすわかっているけれど、こんなにはっきり飄々と宣告してくれなくても良いのに。
……そんな、大変面白い小説だった。あっという間に読めてしまった。
黒井千次『聖産業週間』を読んだ。
これもまた現代的、というか、最近の文学こそかくあるべし。
なんで最近の小説はおおかたが単なる日記なのかね。
それはもういいとして、『聖産業週間』。
就活支援の場で、働くということは生きがい云々とか云っている無脳に贈りたい。
高度資本主義社会、誰独り社会の全体構造を把握している人がいない社会で、
この一個人が働く、ということが果たして何の意味を持つ?
そうそう、内向の世代の共通点は、みな作家になる前はサラリーマンだったということ。
サラリーマン作家の元祖として、経済成長期を描いてきた作家たちの問題意識が、
かなり直接的に現代にも生きているというのは、これいかに?
2.8.08
西尾維新を評価しない
註。以下は単なるメモであり、まだ定まった考えではない。
実際、私は西尾維新はおろかライトノベル自体を読んだ経験は皆無だし、
初めて現在読んでいるものも、ライトノベルと文学の相違を明らめようとして
友人から借りたうちの一冊にすぎない。この小説を、仮にAとする。
この小説の特徴としては、「行動」を補助線として用いることが有用である。
文学において言葉はすなわち行動である。
行動は言葉の推論によって導かれ、次の行動=言動へと連なる。
言葉が小説の直接の構造体だからだ。
Aでは行動は決定的に無意味とされ、独白あるいは会話が特権的な位置を占める。
行動は、対話相手を変えるときの場所の移動として用いられる一手法でしかない。
行動が欠如するのと同じくして、言葉が行動へと、あるいは行動が言葉へと移行する流れが中断される。
言葉は行動を指向しない。単に発せられ、しかし現状を説明するためだけのものとしてである。
よって、無意味な言葉はブランド化して、身を固めるファッションとしてしか機能できない。
すでに思考としての言葉は、役目を終えてしまったのだ。
言葉=思考がブランドとなって身にまとわれる、つまり固定化されると、
一般的な概念・観念が言葉=思考の上位に置かれ、物語全体を覆う一神教の神となる。
それをひたすら言い換えつつ垂れ流すだけの役割でしか言葉はなくなる。
消費社会に溢れる紋切り型の切り貼りとしての文体はこれに由来するし、
また、主人公=読者は他の登場人物に出会って話を聞いても、
それは、まだ主人公=読者の知らない情報を提供してくれるだけの存在でしかないのだ。
散見される暴力は行動ではないのか、という意見は、反論にあたらない。
凝り固まった概念の入れ物でしかなくなった言葉が、
論争を不可能にしてしまったからだ。
論争はすぐに暴力となってふるわれる。
登場人物が明晰とされながらも、愚かしいほどに暴力に頼るのは、
一方ではそれが物語のメリハリとして都合がいいからではあろうが、
論争の代替物として機能しているからである。
思考が一般概念に統合されているにも拘らず、論争が存在するということはどういうことか。
論争が思考の弁証法ではなく物語の粗筋でしかないから、というのが正解となろう。
論争しようがしまいが、一般思考がある限りどちらかの誤りは決まっているのであるのだから、
暴力も論争も、単なるストーリーとしての要素でしかないのだ。
思考が統一されている以上、他者性は存在し得ない。
登場人物として主人公=読者と同年代の高校生しか出てこないのは、
高校生一般の言語=思考体系のみが物語を語り、進めることができるためで、
そんな世界では、別の言語を持つ、例えば親や教師のような人物は、
存在は示唆されながらも、草木や建物と同じように沈黙を強要されるのである。
これらの理由により、私は西尾維新を評価しない。
しかしそれは、藝術的・文学的においてであって、
例えば広告的・商業的には、その限りではないということも附記しておく。
実際、私は西尾維新はおろかライトノベル自体を読んだ経験は皆無だし、
初めて現在読んでいるものも、ライトノベルと文学の相違を明らめようとして
友人から借りたうちの一冊にすぎない。この小説を、仮にAとする。
この小説の特徴としては、「行動」を補助線として用いることが有用である。
文学において言葉はすなわち行動である。
行動は言葉の推論によって導かれ、次の行動=言動へと連なる。
言葉が小説の直接の構造体だからだ。
Aでは行動は決定的に無意味とされ、独白あるいは会話が特権的な位置を占める。
行動は、対話相手を変えるときの場所の移動として用いられる一手法でしかない。
行動が欠如するのと同じくして、言葉が行動へと、あるいは行動が言葉へと移行する流れが中断される。
言葉は行動を指向しない。単に発せられ、しかし現状を説明するためだけのものとしてである。
よって、無意味な言葉はブランド化して、身を固めるファッションとしてしか機能できない。
すでに思考としての言葉は、役目を終えてしまったのだ。
言葉=思考がブランドとなって身にまとわれる、つまり固定化されると、
一般的な概念・観念が言葉=思考の上位に置かれ、物語全体を覆う一神教の神となる。
それをひたすら言い換えつつ垂れ流すだけの役割でしか言葉はなくなる。
消費社会に溢れる紋切り型の切り貼りとしての文体はこれに由来するし、
また、主人公=読者は他の登場人物に出会って話を聞いても、
それは、まだ主人公=読者の知らない情報を提供してくれるだけの存在でしかないのだ。
散見される暴力は行動ではないのか、という意見は、反論にあたらない。
凝り固まった概念の入れ物でしかなくなった言葉が、
論争を不可能にしてしまったからだ。
論争はすぐに暴力となってふるわれる。
登場人物が明晰とされながらも、愚かしいほどに暴力に頼るのは、
一方ではそれが物語のメリハリとして都合がいいからではあろうが、
論争の代替物として機能しているからである。
思考が一般概念に統合されているにも拘らず、論争が存在するということはどういうことか。
論争が思考の弁証法ではなく物語の粗筋でしかないから、というのが正解となろう。
論争しようがしまいが、一般思考がある限りどちらかの誤りは決まっているのであるのだから、
暴力も論争も、単なるストーリーとしての要素でしかないのだ。
思考が統一されている以上、他者性は存在し得ない。
登場人物として主人公=読者と同年代の高校生しか出てこないのは、
高校生一般の言語=思考体系のみが物語を語り、進めることができるためで、
そんな世界では、別の言語を持つ、例えば親や教師のような人物は、
存在は示唆されながらも、草木や建物と同じように沈黙を強要されるのである。
これらの理由により、私は西尾維新を評価しない。
しかしそれは、藝術的・文学的においてであって、
例えば広告的・商業的には、その限りではないということも附記しておく。
22.7.08
最近読んだ本とその覚書
・ジョナサン・スウィフト『ハックルベリー・フィンの冒険』
冒険譚としてだけでも充分に面白いが、
あちこちに無邪気さを装った社会批判がちりばめられている。
あれ? ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャが登場してるんですけど……?
・宮崎学『ヤクザと日本』
やくざの近代史。自分の日本史観に風穴ぐらいは開けたかもしれない。
あまりにさらっと読めてしまい、「新書」ってこんなものだったか、と訝しんだ。
・柄谷行人『終焉をめぐって』
歴史と文学の二つについての評論集。
村上春樹の心地よい違和感について解き明かされていて、痛快だった。
村上春樹ファンよりむしろ、シンパ的アンチ(?)に読んでもらいたい。
柄谷行人の切れのあるものの見方には、常に発見がある。
・大江健三郎『芽むしり 仔撃ち』
閉じ込め合い、空気を読み合ってと、生死を賭けた気の毒なサバイバルを行なうも、
個人の生死か、それとも、集団の生死か? それは子供も大人も同じこと。
どこまで逃げてもそこは、幾重に覆い被さった蟻地獄の中。
それを独りで行けというのは、死刑宣告なんだろうか?
・大江健三郎『奇妙な仕事』
実存主義の色濃い、大江のデビュー作。
初期の大江って読むと疲れるけど、これなんかさらっとしててそのエッセンスでギトギトで、
……なんだろう、自分はどの登場人物? 全部?
冒険譚としてだけでも充分に面白いが、
あちこちに無邪気さを装った社会批判がちりばめられている。
あれ? ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャが登場してるんですけど……?
・宮崎学『ヤクザと日本』
やくざの近代史。自分の日本史観に風穴ぐらいは開けたかもしれない。
あまりにさらっと読めてしまい、「新書」ってこんなものだったか、と訝しんだ。
・柄谷行人『終焉をめぐって』
歴史と文学の二つについての評論集。
村上春樹の心地よい違和感について解き明かされていて、痛快だった。
村上春樹ファンよりむしろ、シンパ的アンチ(?)に読んでもらいたい。
柄谷行人の切れのあるものの見方には、常に発見がある。
・大江健三郎『芽むしり 仔撃ち』
閉じ込め合い、空気を読み合ってと、生死を賭けた気の毒なサバイバルを行なうも、
個人の生死か、それとも、集団の生死か? それは子供も大人も同じこと。
どこまで逃げてもそこは、幾重に覆い被さった蟻地獄の中。
それを独りで行けというのは、死刑宣告なんだろうか?
・大江健三郎『奇妙な仕事』
実存主義の色濃い、大江のデビュー作。
初期の大江って読むと疲れるけど、これなんかさらっとしててそのエッセンスでギトギトで、
……なんだろう、自分はどの登場人物? 全部?
16.7.08
無意識の単語
電気のことで、電話で頼んで15時までに来てもらえることになり、
しかし待っていても舞っていても来ずに16時になり、再度電話したら、
立ち会いは必要なかったのですでに用は済んでいた。
ドアをノックされるものだとばかり先入観で思っていたので、
「自分が知らなかったばかりに……」ということを云おうとして、
「自分の……」とまで云ってしまい、さて、どう言葉を繋ぐか?
咄嗟に口から出てきた言葉は「不明」だった。
「自分の不明のばっかりに電話で煩わせてしまい、申しわけありません」。
しかし、後で辞書を引いたところ、「不明」には「無知、愚か」という意味もあり、
先の用例は間違っていなかった、ということがわかった。
自分でも意識しないままに「不明」という言葉の別の意味を知り、
使っていた、ということになる。
前も、人と話していて、自分では意識していなかったがふと口にした単語を、
それは意味が違うのではないかと指摘され、しかし間違っていなかったことがある。
それにしてもどこから入ってきたのか、見当もつかない。
誤用されやすかったり、変わっていたりする意味、用法などなら、
日頃から気をつけているはずなのに、
これはまた言葉の、そして言葉を巡る思考・脳の不思議を感じた瞬間だった。
9.7.08
政治は宗教、哥はすさび
カール・シュミットの『政治神学』を読了したのは、確か一昨日。
専攻研究への考察と批判を深く絡めながら議論を進めるという独自の書き方に慣れるまで
少々の時間がかかったが、80ページほどもなく、あっという間に読めた。
内容として有名なのは、例外状態の決定者を主権者とする定義と、
政治は世俗化された神学、という考え方だが、
どのようにその二論が結びつくのかが、読んでみて理解できた。
上田秋成の『胆大小心録』を読んでいる。
やはり学者だが、その濫觴の頃の、というか、あるいは、あるべき姿、というか、
機知が効いていて大変に面白い。
もっとも、中央公論社の全集の収録のものだからか知らないが、
注釈は最低限、というか、古典に明るくない自分にとってはあまりに不足、
そして、濁点や半濁点は一切ない。
たまに挟まれる漢文には、訓読点はあっても送り仮名はない。
それでは、一語ずつ頭の中で溶かして理解して読んでゆかねばならず、
字面を追って少しでも走り出すと、もう意味が取れなくなる。
そういえば、似たような話として思い出すのは、
かつて録音技術が良くなかった頃は、悪い音でも熱心に聴き入っていたが、
現在の良質な録音では、却って聴き入るということをしなくなった、という話。
人は技術によって豊かにされているのではなく、吸い取られてゆくだけなのだろうか。
ここでまた思い出すのは、H.D.ソローの随筆『山の生活』にあった箴言。
「我々がレールの上を走っているのではなく、レールが我々の上を走っているのだ」
1.7.08
動きまくる
Suica(JR東日本)ではなくICOCA(JR西日本)を買おうと思っていたが、
より複雑にして広大な関東を一刀両断できるSuicaを択んだ。
そもそも、Suicaでは関西私鉄群に乗れず、ICOCAでは関東私鉄群で使えない。
関西に生活基盤のある自分にとって、
PiTaPa(西日本私鉄)と相互利用できるICOCAのほうがメリットがあると考えて、
ICOCAにしようと思っていたのだが、
関西私鉄共通プリペイドカードの「スルッとKANSAI」にあたるものが
関東にはない、ということを知ってから、Suicaの入手へと至った。
共通のプリペイドカードがないなんて、
Suica導入前は関東の人々は、乗り換えの度に
券売機で路線図とにらめっこしていたのだろうか。
俄には信じがたい。
そんなわけで、Suicaは関東全域+JR+仙台空港鉄道で利用、
大阪、関西の私鉄ではスルッとKANSAI、という
綺麗な棲み分けを自分の中で確立できた。
高校生の頃の電車通学から遠く離れて、
移動手段の主体が自転車だった時期があまりに長く続いたせいか、
時間に余裕を持たせるときの一単位が電車移動にとっては余裕ですらない。
遍在する細切れの空き時間をうまく拾えば読書が進む、という
ささやかなメリットもあるけれども。
あと、自転車や自動車は、自分で機械に働きかけて機械が動く、二人三脚的だが、
電車やバスや飛行機は、ダイヤがまずあって、
それにのこのこ出かけていって飛び乗ったあとは、運ばれてゆく荷物に化す。
移動手段として一括りにされても、自転車や自動車と、バスや電車は、
含み持つ意味が決定的に違う、ということを思った。
実は動き回っている。
大阪を出て東京に一泊してから仙台に行き二泊後に再び東京、
しかもこの移動はすべて一列四シートの長距離バスなので、
肩は凝るわ寝不足になるわで、良いことと云ったら安いということぐらいしかない。
今週末の帰仙は甘えて新幹線で帰りたいところだが、そうもいかない。
18.6.08
『これはパイプではない』/バレーボールの試合のテレビ放送
ルネ・マグリットの絵画『これはパイプではない』について書かれた
ミッシェル・フーコーの評論『これはパイプではない』を読んでの、私見。
明らかにパイプであるデッサンと、
その下に書かれた一文 « Ceci n'est pas une pipe. » と。
ルネ・マグリットによって、この二つがいかにして提示され、
矛盾しているのかを考えたとき、
フーコーは、言説と断定の合間を縫ったのだ、というような説明をしていた。
なるほど。
そもそも、なぜ、絵と文字が同時に提示されねばならないのか。
絵が文字を、文字が絵を説明することで互いに補完しあっている、とする考え方が一つ。
これをフーコーは、カリグラムを援用して説明していた。
一方、自分は、絵画『これはパイプではない』を観て、
パイプの絵と« Ceci n'est pas une pipe. »の文面との不自然な結合が
画家の積極的意志によるものと考えなかった。
カンバスを六つに仕切る枠のそれぞれの中で、卵の絵とその下に「アカシア」の字が、
靴に「月」が、帽子に「雪」、蝋燭に「天井」、コップに「雷雨」、金槌に「沙漠」
というように、敢えて絵と字が違っている、というものがあるし、
また、« Ceci continue de ne pas être une pipe. » という、
(パリ市の通り名の標示に似た)標識がパイプの絵の下にある、というものもある。
これらから、パイプに対して下の文面が後付けに思えた、
いや、むしろ、お互いに独立していたのに
外部からの圧力が、マグリットをして互いに矛盾する両者を併置させた、と自分は考えた。
言語の濫用・乱用が。
垂れ流される広告に乗って惜しげもなく使われる最上級の文句の数々、
選挙活動で次々と飛び出す、嘘か本当か分からない煽動と公約、
そして、壮麗に着飾った氾濫する言葉を存在しないが如く往来する無数の人々。
商業的にか政策的にかわからないが、すでに言霊なんて現代では死に瀕している。
だから、パイプに「パイプではない」という正反対の文句をくっつけたって
言葉も絵も逃げ出さずに、結局一つのカンバスに悠々と収まっているわけだ。
『これはパイプではない』は自分にとって、言霊の死に思えたのだ。
話しは変わって、バレーボールの試合のテレビ放送について思ったこと。
実況、カメラワーク、選手紹介などをすべて取り払って、
ネットを中心にした俯瞰図でカメラを固定し、
試合会場の映像と音声を延々と垂れ流し続ける、という放送にしてくれればいいのに。
そうすれば、上から見た選手の頭があちこちせわしなく動き回って、
ボールが行き来するだけの、単純な電子運動めいた試合風景になるだろう。
できれば、観客もいなければいい。
観客のほとんど誰もが、選手との個人的つながりなんてないのだから、
国籍が同じというだけで声を張って応援するのは不条理だ。
選手と審判と監督がいれば、試合は成り立つし、
試合は選手のためのものだ。だからスポンサーも要らない。
小中高と、クラス分けというものがあった。
四月に40人ほどの集団を、構成員の意思を無視して併存させる。
常に同じ集団で行動させ、スポーツ大会やらで集団間の競争を煽るだけで、
あ〜ら不思議、構成員はみずから集団への帰属意識を持ってくれるのだ。
クラスっていうのは、国籍のようなものだ。
17.6.08
ボルヘスとわたし、のそれぞれのこと
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短篇集『不死の人』を読了した。
『アレフ』という原題を採っていないこの白水社版の短篇集は、
定価400円という、およそ40年前に刊行されたものだから、
今では題名は「訂正」されているのかもしれない。
文学マニアにはもってこいの引用と書き口で、
例に漏れず自分も虜になって引き込まれてしまい、
読了してからすぐに図書館に行き
「バベルの図書館」で名高い『伝奇集』を借りて来た。
モロッコ入りしてから急に書くことが増えてしまっているために、
旅行記は書こうという気が起こらない。
備忘録としての価値、つまりこのブログの存在理由の大部分をのみ尊重し、
以降の旅行記はプログラミングのフローチャートのようになるかもしれない。
13.6.08
不思議の国日本、その他の雑記
帰国した。
Je suis rentré au Japon.
その上で、カルチャーショックがいくつかあったので、
少し考察してみようと思う。
Je vais maintenant vous introduire quelques chocs culturels que je sens.
なお、今回は特別編ということで、稚拙なフランス語訳も附して、
フランス語話者にも読んでもらいたい。
J'ajoute les sens pas bien en français à cet article-ci
pour que les gens qui ne comprennent pas le japonais mais le français puissent lire.
看板、アナウンスが多い Trop d'annonce
明らかに出口の場所などが分かるのに、
[出口→]という貼り紙が同じような場所に三つぐらいあるのはどうかと思う。
Il est nul qu'il y ait trois affichage d'annonce qui signifient la direction au même endroit
alors que l'on arrive à le savoir sans rien penser.
「駅構内での禁煙にご協力ください」
「お得な××カードが…」
「難波行きの急行が…」とか、云われなくても見れば分かるし。
On n'a pas besoin d'être dit : « Veuillez ne pas fumer dans la station. »
« Maintenant il y a une campagne de la carte bon marché ... »
« L'express en direction de Namba va ... »
Ça suffit de voir ce qu'il faut.
それどころか、アナウンス同時に二つかかると、聞こえなくなるでしょうが。
En plus, personne ne peut écouter deux annonce à la fois !
電車の中でも、
「次は、天下茶屋、天下茶屋です」
「堺筋線、阪急千里線、なんとか線、ほにゃらか線は乗り換えです」
「左側の扉が開きます」
「足下にご注意ください」
とか、こんなに要らない。
Dans un train aussi, c'est trop comme ça :
« Prochaine station : Tenga-chaya. Tenga-chaya. »
« Correspondance à la ligne de Sakaïsuji, de Hankyu Senri, de brabra, de brabra. »
« Les portes à gauche ouvrent. »
« Attention à la marche. »
ストラスブールのトラムだと、
「次は、鉄男、鉄男」
「この電車は、イルキルシュ・リクサンビュル行きです」
だけだけど、これで充分。
Quant au tram strasbourgeois,
« Prochaine station : Homme de Fer. »
« Destination : Illkirch Lixembuhl. »,
ces deux sont toutes, mais ça suffit.
大阪市営地下鉄の場合は、やっぱり日本式に多い上に、各駅に
「大学受験の名門、駿台大阪校へは、次が便利です」
とかいう広告が入るし。
Dans le cas du métro de la ville d'Ôsaka, ce l'est toujours à la japonaise,
sans compter que chaque station y ajoute une ou deux pubs comme
« La prochaine est accessible à l'école Sundaï à Ôsaka,
réputée pour les examens d'entrées universitaires. »
道路が細い les routes étroites
トラックですら左右のゆとりが大いにあった道路が、もうなつかしい。
Il n'existe plus autours de moi les chaussées où passe facilement le camion.
一車線一車線の通常の道路ですら、
バルセロナの一方通行の2/3ほどの細さでしかない。
La route normale japonaise à chaque sens n'a que
environ deux tiers de l'étroitesse de celle de Barcelone au sens unique.
歩道から車道に出て信号を待つなんていう芸当は、ここではできない。
Ce n'est pas possible ici qu'on attende le feu en sortant un peu du trottoir à la chaussée.
オートマばかりが普及する理由は、信号が多いからだ、と聞くが、
これも大きな要因に相違ない。
On dit que les japonais n'utilisent généralement que la voiture automatique
parce qu'il y a beaucoup de feu,
mais l'étroitesse de la route doit être une autre raison.
信号を守る respecter le feu
ヨーロッパに慣れてしまえば、
信号を守ることにおいては大阪人は子犬のようにおとなしい。
Une fois s'accoutumé à la vie européenne,
les habitants d'Ôsaka respectent sérieusement le feu.
信号が長かったり車が来なかったりすると赤信号を渡ろうと画策するのが日本だが、
フランスでは横断歩道に着いた瞬間から渡るチャンスをうかがうのが普通だ。
C'est au Japon que l'on commence de traverser la route avec le feu rouge
quand le feu rouge dure longtemps ou la voiture ne vient pas,
alors qu'en France tout le monde essaie de traverser dès qu'il arrive au passage clouté.
そんなバカ正直さを感じつつ、今日、明らかに車の来ない道路を自分は渡り、
近くに警官を見つけてひやりとした。
Aujourd'hui j'ai traversé la route où aucune voiture ne dépasse
en sentant cette politesse excessive,
et j'ai trouvé près de là des policiers qui gardaient la route.
いらっしゃいませ Bienvenue!
平日の空いているときに大型電気屋に入ると、悲惨だった。
C'était terrible quand je suis entré à un magasin où on vend les appareils électriques.
フランスで店員に挨拶されると返事をする習慣になっていたので、
すべての、いらっしゃいませ、に、あ、どうも、と返してゆくのはしんどかった。
J'ai avec peine rendu beaucoup de « Bonjour ... » à tous les « Bienvenue ! » à haut voix des vendeurs
parce que je me suis accoutumé à rendre comme ça dans les magasin en France.
ああいう無駄を削減すれば、二酸化炭素排出量は減ると思う。
A mon avis, l'émission du dyoxide de carbone va diminuer si on supprime ce gaspillage de « Bienvenue ! »
ところで、帰国後最初の読書としてずっと考えていたのが
カール・シュミット『政治神学』だったのだが、
市立図書館にないという異常事態が発生したので、
家にあった、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『不死の人』を読んでいる。
これはかなり面白い。
A propos, je supposais « La théologie politique » de Carl Schumitt
comme le promier lecture de mon retour au Japon.
Mais je lis maintenant « El Aleph » de Jorge Luis Borges
parce que il n'y avait pas ça dans les bibliothèques municipales.
Celle-là est très intéressante.
5.6.08
五月の旅行記6 グラナダ、アルヘシラス、タンジェ、フェズ
22日
着いてみると、前夜祭の正体は、単なる移動遊園地だった。
過剰な冷たい光とはしゃぐ熱気に満ちて、
会場はアトラクションの発する音と人の騒ぎあう声でかしましかった。
もっと伝統的な祭りを無意識に期待していた我々は、
期待はずれの無口のまま、そううろうろもせずに会場を出た。
午前1時。あと2時間をやりすごさねばならず、
当初の計画通りバーでタパスをということにした。
しかし場所は住宅街で夜、来た道にあったバーに落ち着いた。
だが店員はスペイン語しかできず、
メニューをと友人が指でカードの形を作ると
「トーストは朝だけだ」と莫迦にするように説明され、
後ろで飲んでいた女の子二人が下品に笑いを漏らしている。
気分の悪い店なので勝手に出てゆき、
もう一軒あったバーでサンドイッチだけ買おうと
友人は入っていったが、もう閉店という。
しまいには、マクドでだらだらしようと試みても、
酔っぱらいの学生のような集団に英語で
「閉まったよ〜ん」と云われ、
バスターミナルで深夜の2時間の過ぎるのを待つほかなくなった。
バスターミナルでは、深夜便の出発を待ってか、
何人かが座ったまま目をつぶっていた。
トイレで顔を洗い、もう一度タオルを濡らして体を拭く。
眠気はすぐにでも背後から襲ってきそうだったが、
本を読んだり友人と話したりしていると眠くはならなかった。
3時10分前、電光掲示板に表示された番号の停留所に向かったが、
なぜかバスも客もいない。
アルヘシラス行きのバスが出そうだったので運転手にチケットを見せると、
バス出口から出たところだ、という。
奇妙な話だがあと5分もないので、荷物を持って指差された方角に走った。
と、ターミナルから出て、歩道に何人かの若者がいた。
バスの影も形も見えなかったが、一人で座っている女の子に、
モロッコ行きのバスはここでいいのか訊くと、そうだ、という。
スペインとモロッコの二重国籍だと云うし、
まだ時間になっても来ないことにそわそわする様子もないから、
乗り慣れているのだろうと思い、ひとまず安心した。
別の連中はフランス語で話していて、
ほどなくして、一人を残してみな引き揚げていった。
80年代のパンクといった髪型にピアスの男で、
マラケシュへと向かう途中のボルドレだった。
たった4人でバス1台とは贅沢に乗れるのではないかと思ったが、
だいぶ待ってようやく来たバスの中は、
暗く、みな眠っているかうつむいているかで、時たま赤ん坊が泣き出す、
旅路そのものが悲嘆にくれているような雰囲気だった。
座席はみな荷物を自分の横においているせいで、
我々だけ横並びの2シートに座らねばならず、
なんだか損をしたような気分になった。
しかも友人は、寝るためにシートを倒すと後ろから理不尽な文句を云われ、
倒すことがままならなかった。
途中に寄ったトイレ休憩以外は、午前5時に下ろされるまでずっと眠っていた。
ジブラルタル海峡の港町アルヘシラスに着き、下りるよう云われたとき、
寝起きの脳はフェリーに乗り換えるとは知らずトイレ休憩と思った。
Nous sommes à Algeciras ?(アルヘシラスにいるの?)と訊きたかったのに
Nous sommes ici ? (俺らはここにいるの?)という
わけのわからない文章を口から発せさせた寝起きの脳に、
バスの運転手は優しくスペイン語で、Si. と云ってくれた。
荷物はバスの中に置いたままでよいというので、
肩掛け鞄のみ持ってバスから出た。
全然問題はなかったのだが、置きっぱなしはやはり不安ではあった。
フェリー乗り場の待合室で、起きているとも寝ているともなく待ち、
やがて運転手の配ったフェリーのチケットを手に、
税関でパスポートにスタンプを押された。
空腹を覚えたので、昨日の夕食前に買っておいたドーナツを食べる。
フェリーなんて何年ぶりのことかわからなかったが、
こうして揺られながらジブラルタル海峡を越えられるのは嬉しかった。
ユーラシアとアフリカの二つの大陸を隔てる
国境線としての海を実感したいがために、
モロッコだけだった今回の旅行での行き先に
スペインを加え、さらにそこからバスとフェリーで移動するという
金も時間もかかり面倒な手段を択んだのだ。
フェリーの中はすでに半ばモロッコだった。
一軒だけある免税店の看板も、携帯電話の広告も、
アラビア語とフランス語の併記だった。
さらに、船の奥には簡易モスクがあり、
乗客の女性の多くはスカーフで髪を隠していた。
椅子に座り、パスポートチェックの始まるのを待っていたが、
一向にその気配がないので、いくつかある待合室をうろつき、
さらには友人と甲板に出てみた。
階段を上りドアを開けると、風の吹きつける艫(とも)に出た。
ユーラシア大陸はまだそう遠くなく、逆にアフリカ大陸はまだ見えなかった。
正確にはアルヘシラスは、大西洋から地中海を閉ざすジブラルタル海峡ではなく、
そこから少し東にいった地中海に面している。
そのためだろう、二大陸間の距離はそれほど近くないし、
風は潮の香りをほとんど含まない。
海は青に濃い緑色をこっそり溶かし込んだような色をしていて、
フェリーのつくる衝撃波も白に淡い青と緑の泡となって海面に刻まれる。
アルヘシラス、タンジェ間の行き来は多いらしく、
何隻もの船が我々のフェリーと同じ向きに走っていた。
一面が海の景色を風に吹かれながら眺め、
甲板の上をあちこちうろついてから、
パスポートチェックがまだか見るために下に戻る。
しばらく始まる気配はまだなかったが、
ようやく、モロッコ側の警備らしき人の前に列ができた。
パスポートに押されたモロッコ入国のスタンプは、
「タンジェ警察」「入国」そして日付がフランス語で記され、
それとは別の3行のアラビア語のどれかが国名を示しているのだとしても、
これでは一目見てどこの国なのかわからなさそうだった。
再び甲板に出ると、向かう先に陸が見え、俄に昂揚した。
それは見る間に大きくなり、建物だらけの街が拡がっていた。
一本高く見える塔は、教会ではなくモスクのミナレットに違いなかった。
下に戻り、舳先にある営業しているのかわからないバーに行き、
入港のため碇を下ろす作業と近づいてくる街を眺めた。
やがて船が到着した。アフリカ大陸初めての一歩を踏みしめ、
ぞろぞろ列になって歩いていった。
待っているとバスが出てきて、しかしナンバープレートは
EU仕様からモロッコ仕様に替えられていた。
それに乗り、荷物の無事に安堵して席に落ち着いた。
しかし、すぐに降りるよう云われた。今度は荷物も背負ってだった。
行く先に従ってバスを乗り換えるらしかった。
フェズへはと訊くと指差したバスでは、
荷物を下のトランクに入れようと、その前に人が群がっていた。
あまりにだらだらやる上にまだ乗車できそうになかったので、
そばで小さな屋台に目一杯の商品を並べている売り子に、
袋入りのパンがいくらなのか訊いてみた。
いくつか入って30DHでスペイン水準の倍ほどは安かったが、
ディルハムをユーロで払う場合は、
だいたい11DH=1€のところを便宜上10DH=1€で計算されてしまい、
明らかに損になると聞いていたで、
まだディルハムをもっていない身としては、買いたくなかった。
荷物を載せるおじさん達と乗客がまだ何やら大声で話しながら
少しずつトランクに荷物を入れているバスのトランクの脇に戻った。
厭でも耳に入る言葉は、しかしさっぱりわからない。
かなり崩れたスペイン語のようにも聞こえるが、
やはりアラビア語なのだろうと思った。
やがてバスの扉が開かれ、フェズ行きを確認して乗った私と友人は、
寝不足と狭かった座席、そしてフェリーにより昼前にしてすでに疲れていたため、
席に座るやいなや隣に荷物を置いて、ゆったりした一人席を確保した。
いよいよ走り出すと思いきや、運転手らしき人が通路に立って
何か云い、少し車内がざわざわとなった。
通路向かいに座っていたおじさんがこちらの様子を見ているので、
何なのかフランス語で訊くと、
伝わらなかったらしく何やら云っている。
その中に「フェス」と聞こえたので、行き先かと思い「フェス」と繰り返すと、
おじさんは納得したような表情をした。
自分も、さぞ安心、というようなみぶりをした。
ようやく走り出し、しかしすぐにガソリンスタンドに入った。
そこでまたしばし待たされ、ようやく走り出した町並みは、
これまで訪れたどの街ともちがっていた。
気がつくと眠っていた。バスが停車して目が醒めた。
昼食の休憩だというので、バスを降りた。
公園のようなスペースに、屋台を大きくしたようなレストランと、
向かいには別の小さな屋台、なぜかシャワーもついているトイレ、
そしてキャンピングカーがいくつか停まっている広い駐車スペースがあった。
レストランのメニューがレジの上に掲げられていて、
それはフランス語だった。
どれがムニュなのかも何を食べたらいいのかもわからない一方、
屋台の方はメニューは20DHのケフタ一つだけだった。
別の人が頼んで出たものを見ると、ケバブと同じようなものだった。
友人はなぜかレストランでオレンジジュースを9DHで買って、
そのおじさんとしゃべっていた。
なぜオレンジジュースなのか訊くと、
モロッコで美味しいとネットで見たからということだった。
絞りたてで美味しい、といって彼は二杯目を買い、
自分は2€でケフタを一つ作ってもらった。
空腹だったのでするすると入った。
ケバブと違うのは、肉がひき肉を平たくして焼いたものである点ぐらい。
半ば野外のテーブルにつき、食べはじめた。
食べていて驚いた。蠅だらけで、当たり前のようにテーブルや体に止まる。
ケフタの屋台でも、積んであるパンに蠅が止まっては飛んでいった。
こうも近しくされては食事に集中できなかったが、
同じバスに乗ってきた人も、途中から来て食事を始めたフランス人老夫婦も、
わずかばかりの気も留めない。
これが普通なのか、と納得した。
食後、トイレに行き、ベンチに座ってぼーっとしていると、
通路向かいに座っていたおじさんが、木の陰で祈っていた。
布を敷いて靴を脱ぎ、頭を地面につけているのだった。
それが至極自然に見えた。
やがておじさんは立ち上がり、敷物をはたきながらバスに向かう途中、
私と友人に気づいた。
どこから? ──日本。 学生? ──フランスの学生。
いつものやりとりの末、おじさんは簡単なフランス語なら話せるとわかった。
スペインで働いていて、メクネスに帰るらしい。
バスに乗ってからも、席が近いので少し話した。
友人は、アラビア語で「ありがとう」「こんにちは」を訊いて、
それをメモしたりしていた。「ありがとう」は「シュクラム」、
「こんにちは」は、先に行ったほうが「サラム・アレクム」、
云われたほうの返事は「アレクム・サラム」になる。
他にもいろいろな役立つ表現を、友人が自分の後ろの席で、
横のおじさんやさらに後ろの人から
いろいろ教えられているのを、自分は目をつぶって聞いていた。
やがて、眠った。
道が悪いからか、次第に揺れが激しくなっていった。
外の景色も変わっていた。砂地に岩や石がごろごろしていて、
そのあちこちに木々が生えていた。
道路標識もやはりアラビア語とフランス語の併記だった。
もちろん、建物が過ぎ去ったり、視界が開けたりはしたが、
森が現れるということはなかった。
相変わらずひどい揺れだった。
遊園地で乗り物系のアトラクションに乗ったような感じだった。
と、友人が急に後ろから手を伸ばして背中をつついてきた。
しんどそうな声でビニール袋があるか聞くので、
リュックから出して渡すと、その中に戻しはじめた。
背中をさすりつつ、この揺れでは無理もないと思った。
近くのおじさんたちも心配してくれ、
メクネスからフェズまでの道は大丈夫だから、などと云ってくれた。
ただ、あとフェズまで何時間ぐらいかかるかと聞いても、
語学力不足のせいか、きちんと伝わらず、
フェズからはそんなに揺れない、と繰り返された。
友人がひとまず落ち着き、そのままどれくらい揺られたかというあたりで、
おじさんが、ではいい旅を、と云ってバスから降りた。
なぜフェズより南のメクネスに先につくのかわからなかったが、
あと二時間ほどで到着することはわかった。
モロッコとスペインにどれくらい時差があるのかもわからなかったので、
今が何時なのかもわからなかった。
ようやくフェズに着いたのは、夕方前といった陽の傾き具合の頃合いだった。
友人は降りるや少し待合室で横になり、だがすぐに大丈夫と云って立ち上がった。
市内に入ってからバス駅に着くまでの道を見ると、
フランスやスペインほどは通り名が掲げられておらず、
地図もないので、ユースホステルを探すのに少し手間取りそうだった。
待合室から出るとすかさず、若い男が近づいてきて、
英語で、ホテルはもう取っているのか、と聞いてきた。
もうユースに取ってある、と云うと、
ユースはあまりよくないからいいホテルに移るといい、と食い下がる。
しつこいので遠ざけようと思い、銀行に行くから、と云うと、
あっちにあるから案内する、と、駅を出ても付いてくる。
とにかく遠ざけたかったので、ユースの地名を見せて、
どう行けばいいのか訊くと、あっちに行けばある、と教えてくれたものの、
自分がホテルを紹介するから、そこなら快適だし安く済む、としつこい上に、
観光案内を自分がするから、と云って、電話番号を紙に書いて押しつけてきた。
メクネスへ行くための時刻を窓口で訊こうにもおせっかいに先回りしようとするし、
いつの間にか呼び方がmon amiになっているので厭わしくなり、
明日電話するから、となんとか遠ざけて銀行のほうに行った。
銀行は明らかにBNP Paribasのロゴだったが、BMCIという名だった。
もう閉まった、というので、ATMで100DHほどだけ下ろした。
うざったい男がどこかに行ってしまったことを確認してから、
カフェでくつろいでいるおじさん二人にユースの住所を見せた。
店員も来て三人であれこれしゃべった後、
うざったい男の云ったのと同じ方角の先のモスクの向かいだと云う。
礼を云ってそちらに歩を進める。
が、モスクらしいものが見当たらないので、もう一度人をつかまえて訊くと、
こっちだと云って、一緒に付いてきてくれた。
モスクは、そこそこ交通量のある道路の向かいの公園の奥にあった。
おそらくこっちだ、いや違う、とモスクをぐるりと回り、
最後は番地の番号を見ながら、モスクから少しだけ離れたところにユースを見つけた。
呼び出しベルを鳴らすとドアが開き、おばさんが出てきた。
到着が遅れるとメールをもらったのに、早かったね、と云いながら、
朝食の時間や洗濯ができることなど、当ユースの諸注意を長々と教えてくれた。
案内してくれた部屋は、ユースだが二人部屋で助かった。
とにかく街に出てレストランを探すことにした。
友人との言葉のキャッチボールすら億劫になるくらい空腹で飢えそうであっても
少しでも安く食べたいという平生の心構えはどうでもよくなることはなく、
街だというのに少ないレストランをいくつか回った根性は、
吝嗇なのか倹約家なのか意地なのか。
どのレストランにもムニュはなかったので、結局、モロッコ料理を出す店に入った。
蠅が二、三匹飛び回っていてうんざりしたものの、
それが当たり前の国なら慣れるより仕方がなかった。
前菜にモロッコ風サラダ、メインにタジンを頼む。
注文後、友人はすぐに外へ出て、自分独りぼーっとしていた。
友人が水を頼んだとは知らず、持ってこられた1.5リットルの水を、
頼んでない、と拒絶したとき、友人が戻ってきた。
慌てて受け取り、どこに行っていたのか問うと、水を買いに行っていたのだと云う。
レストランに余所からの水を遠慮して飲まない律儀さに敬服したが、
そんな細やかな配慮を客側がしなければいけないところなのかどうかは、
まだ数時間も滞在していないのでわからなかった。
サラダとパンが出された。パンはケフタと同じ丸いもので、
フランスではケバブ屋で食事をすると一緒に出されるものと同じ。
サラダはトマトときゅうりの角切りにオイルドレッシングのかかったもの。
瑞々しく、いくらでもパンが進んだ。
タジンはモロッコの代表的な、煮込み料理。
底の浅い陶器の器に三角頭巾のような蓋をして運ばれてきた。
蓋を取ると中身がまだぐつぐつ云っていて圧巻だったが、
味つけはシンプルで、野菜の味が出ていた。
食事中、テラス席からおばさんが来て、英語はできるかと尋ねてきた。
フランス語のメニューがわからないらしく、
「pommeは林檎で…」などと教えた。
モロッコの公用語は憲法上アラビア語だが、
フランス語も公用語扱いで学校や大学の授業はフランス語、と聞いていた。
それは事実らしく、看板にも広告にも、
アラビア語とフランス語が併記してある。
英語は三番目の言葉、といった感じなので、
モロッコの旅行では少し苦労するのではないか、と思った。
横のテーブルで一人で来ていたおじさんも、
タジンの登場に圧倒されていた。
イタリアから来たらしく、アラビア語は昔勉強したがもうさっぱりらしい。
まだ時差がわからなかったので、店員に時刻を訊いた。
夏時間のフランスと二時間の時差だった。
まだ七時過ぎなのに暗くなるのが早いと感じながら、
イルミネーションに光る大通りを眺めていた。
しばらくしてはっとしたのは、その日没時間を、
日本と似ている、ではなく、フランスと違う、と感じたことだった。
記憶とは残酷なもので、直近の常識が優越するのだろう。
その大通りを歩いて、自分は先にユースホステルに戻った。
どの車も古い。そのため、排気ガスが汚い街だった。
友人は、少々値の張るサンダルを買ってから帰ってきた。
ユースのシャワーを見て、スリッパなりサンダルなりが要る、と
思ったからだということだった。
ベッドはやたらと柔らかく、寝ていて肩が凝りそうだった。
ほかは完璧で、とても居心地のよい場所だった。
通路は屋根がなくテラスのようで、BGMが流れていた。
もっとも、シャワーはほかのユースホステル同様に入りづらく、
うまいことやらないと持ち込んだものが濡れてしまう。
さらに悪いことに、シャワーで湯の出る時間帯は、
朝の二時間だけだった。
それでも自分は夜にシャワーを浴びたかった。
自然と水風呂になったが、これも運命とあきらめ、
体が冷えないように呼吸を荒げて水を浴びた。
部屋でくつろいでいると、茶色の法衣のような服をきたおじさんが来た。
旧市街のメディナに行くなら、バス駅でしつこかったような偽ガイドではなく
当局に認められたガイドを予約するから、どうするか決めてほしいということだった。
120DHだというので、明日の朝九時過ぎからで予約を頼んだ。
フェズのメディナは世界遺産である。
明日が楽しみだった。
3.6.08
五月の旅行記5 グラナダ
21日
このホテルはもう宿泊しないので、荷物をまとめて階段を下りる。
受付のおじさんに荷物を預かってもらえないか訊くと、
勿論、と快い返事をもらった。
というわけで、朝の光まぶしいグラナダを揚々と歩いてグランヴィアへ。
アルハンブラ宮殿の入場時間は13時半ということだが、
庭園などあると聞いていたので、早速向かうことに。
途中、タバに入って日本へ送る封筒を見せ、0.78€の切手を買う。
貼付してからポストに投函、しかしPAR AVIONの記載を忘れ、
もしや船便で数ヶ月揺られて届くのではないかと、
いささか不安にもなる。
カフェでチョコレートの菓子パンを購入、齧りつつ宮殿への道を上る。
土産屋が数件続いてから、工事現場をすり抜けると森になっている。
その先にアルハンブラ宮殿が図体を構えているようだ。
道に建てられた地図には、受付は先、とあったが、
左手に森がひらけて大きく古い煉瓦作りの門が口を開けていては、
引き寄せられざるを得ないというのが人情。
その上を観光客が歩いている門をくぐる。
宮殿のある丘を下りるようにして、崩れて砂利だらけになった道があり、
ところどころにひび割れもあるがまっすぐで強固な壁が続き、
その生真面目さを笑うように木や草がいっぱいに茂り、
小さな滝やせせらぎまでができていた。
杜甫の「城春にして草木深し」とはこんなだろうか、と感じつつ
丘を下りると、アルバイシン地区の丘との谷に出た。
谷沿いに歩くと、博物館があったので入ってみる。
EU圏内の住居者は無料ということなので、
フランスの滞在許可証を見せたところ、首を傾げつつチケットを切ってくれた。
何のことはない、考古学的な出土品を展示してあるのだった。
興味深かったのは、中世前のキリスト教からイスラム化を経るあたり。
紀元8世紀に西ゴート王国からウマイヤ朝へと明け渡された痕跡は、
装飾が幾何学模様へと移行するさまにも現れ、
宗教の心性を垣間見ることができたように思われる。
小さな博物館は、一時間もしないで観ることができた。
中庭から臨む空とアルハンブラ宮殿は綺麗で、
この宮殿はスペインの乾燥した気候にあってこそ、と思った。
雲がちで四季それぞれの濃い日本にあっては、
強い違和感を覚えさせずにはいられまい。
再び同じ上り坂を通って、今度はアルハンブラ宮殿の受付へ。
昨日にした予約をチケットに印字する機械でチケットを引き出す。
地図に従い、道を少し戻ってアルハンブラ宮殿の入り口へ。
まだ我々の入場時刻ではないので、自由に入れるカルロス5世宮殿へ。
外観は四角い普通の建築物なのに、内部はローマ風の円形の中庭、
という変わった建物で、内部には博物館があった。
さまざまなアラベスクの施された器具や装飾が展示され、
目玉としては、最近復元されたらしいライオンの石像があった。
痛んで細部が剥がれたからか、もともとそんなデザインだからか、
つるんとしていてかわいらしかった。
ついでにやっていた現代美術の小企画展を歩いてから、
13時半が近づいてきたため宮殿内部入り口に並ぶ。
少し遅れてようやく列が進み、我々がチケットを出すと、
なぜかバーコード読み取り機が異音を発した。
係員が、あぁ、というような表情をし、チケットに印刷された日付を指差した。
あろうことか、ひと月先の6月21日のチケットだったので、
ネットでのミスかと同情してくれた係員も
中に入れてはくれず、もう一度、受付への道のりを歩くことに。
とりあえず売り場でチケットを買い直し、
案内の係員にどうすれば払い戻してもらえるか訊くが、
名札にあるフランスの国旗がフランス語OKを示しているにもかかわらず
大した意思疎通ができずに、英語でようやく伝えると、
どうしようもない、と梨の礫。
安くなかった予約チケットがゴミになるのは惜しいと、
どこか買い取ってくれるチケットショップのようなところはないかと訊くと、
そんなものはないが個人で売るなら勝手にしてくれ、と云う。
同じくフランスのナンシーから来ていた夫婦は、
自分たちも別の不具合で二枚チケットを買う羽目になった、と云ってきた。
ここの仕組みは融通が利かない上に解りにくい、と。
Generalifeという庭園があり、最終入場が14時というので、急いでいった。
綴りから勝手にジェネラルライフとか云っていたが、
ヘネラリーフェと読むのが正しいらしい。
植え込みが平らに刈り込まれていたり、
かなり手は加えられているものの、
それでもまばゆい日光に映える草花がどこまでも咲き誇り、
低木からにゅっと木が突き出ていたりと、完全に人工的というわけではなく、
ほどよく整えられた庭園、という感じで、
ヴェルサイユの庭園より遥かにこちらのほうが好み。
人工的な噴水や道は名脇役として、草の美しさを際立たせている。
薔薇の花はどれも大きくて妖艶しく、
木によって微妙に違う緑色が同時に風に揺すられるさまも美しい。
アセキアの中庭に入る手前で、日本人の女性に声をかけられ、
ここから宮殿内部入り口への近道はないかと尋ねられた。
係員がフランス語ができたので訊いたが、ないとの返事。
足が少し悪いということだったので、あの距離を定刻通り戻れたのかいまだ気になる。
アセキアの中庭に入ると、草花と噴水が競演しているようだった。
建物にはアラビア文字の装飾が緻密に施されていて、
相当な技術力を物語っていた。灌漑技術にしてもそうで、
糸杉の散歩道にある階段では、手すりを涼しげに水が流れていた。
昼食をとれなかった15時前、酒場で軽食を取ることにした。
宮殿を出てまた同じ道を下りてゆく途中、
フランス人高校生たちが排水溝を取り巻いて騒いでいた。
覗いてみると、魚がはねている。
ほどなく、どこからか来たおっさんがその魚を掴んで、
どこかに行ってしまった。
それでまたはしゃぐ高校生たちを見て、
高校生独特のノリに国境は関係ないと実感した。
下り道を間違えたせいで変な路地を下ることになったが、
ほどなく街の中心部にたどり着いた上、
何の変哲もない古い住宅にもアラビア語の装飾を見つけられた。
酒場を探して歩きながら、フラメンコの衣装を身につけた
小さな女の子が散見されることに気づく。
何か行事でもあるのかと思いながら、
見つけた酒場でスペイン風オムレツを食す。
予想外にパンも出てきたので、空腹は充分に満ちた。
街をうろつき、入場時刻まで時間があるので、
友人はその待ち人に葉書をものし、自分は本のワークシートを進めた。
切手を買うためタバに行ったが、もう閉まっていたらしい。
六時頃、三度目の上り坂を疲れた足で歩き、
列に並んで待つこと十数分、今度こそ宮殿内の見学が始まった。
イスラム建築の珠玉の一つに数えられるのはうべなるかなだった。
壁一面のみならず、天井にも精密な幾何学の彫り物が施され、
そんな部屋がいくつも続いてゆく。
残念ながらあの有名なライオンの中庭は修復中だったが、
数学的なきめ細かい象形美の世界は、
キリスト教のイコン的な美に長らく浸っていた自分にとって、
異形に包まれたような感覚だった。
人間味からはどこまでも隔離された無機質な世界だが、
それでいて美しいと感じるのは、不思議な感触だった。
ただ、息が詰まるようでもあった。
廊下からアルバイシン地区を見渡すと、その緊張は緩むようだった。
人間性の徹底排除された美しさ、これもまた聖への一経路なのかもしれない。
(聖は遍在するにしても、聖の表現についてはそうではないと考える。
要は、日常の排除であれば何でもよいのかもしれない。
美とはその窮まった形であり、一点にではなく、
日常を中心とする同心円の円周に起原があるのだろうか)
街に下り、昨日うろついて見つけた、
ムニュ6.50€という格安のレストランへ歩いていると、
いくつかの場所で大きな祭壇のようなものを組み立てていた。
レストランは、格安とはいえワイン1グラスつきで、
料理もそこそこいけたし、そこそこ満腹になった。
午前3時に出発するバスを思えばいくらでも時間はあるが、
レストランを出て、ぶらぶらとホテルに戻ろうと歩いた。
友人が祭壇の警備員に何のためのものか問うと、聖体祭ということだった。
ほかの広場では舞台ができていて歌と踊りを披露していたし、
街はイルミネーションで飾られたり若者が集団ではしゃいでいたりと、
お祭りの雰囲気が伝わってきた。
ホテルに戻って受付のおじさんに詳しく訊くと、
一年で一番大きな祭りの前夜祭が今日だということで、
荷物はまだ置いていていいから行ってみてはどうかという。
いずれにせよ今晩はシャワーを浴びられないので
濡れたタオルで体を拭き、粗末な代用とした。
バスターミナル近くのバーでタパスをつまみながらバスを待つ、
という計画をどう変更するか友人ともめ、
バスターミナルへと向かうバスがなくなることを一番危惧していたのだが、
そう遅くなることはないと、前夜祭に行ってみることにした。
受付のおじさんが地図で示した方向に足を進めたが、
浮き足立った市民たちは逆方向へと急いでいるように見えた。
また同じ広場で、前夜祭の行われる場所を訊くと、
レンフェ駅の近くということらしく、バスの番号を教わってきた。
駅からホテルはもう戻ってこられないので、
ホテルに荷物を取りにいった。
しかしどうも自分は腑に落ちず、
レンフェ駅からバスターミナルへ無事行けるかもわからず、
駅付近とて前夜祭開催地がどこかもわからないのでは、
どうも不安で行けない、と考えていた。
しかも、教わった二つの番号のうち一つは
明らかに駅に行かないことに気づき、
もう一度受付のおじさんに訊くと、
駅ではなくバスターミナル附近ということだった。
それなら、とバスターミナル行きの路線バスに乗り、
同じように前夜祭へ行くのであろうグループに続いて下車すると、
道には人の流れができていた。
五月の旅行記4 マドリッド、グラナダ
20日
朝起きると、同室人のおっさんが2人に増えていた。
起こさぬよう身支度をして朝食を摂った。
5時間揺られ続けるバスで酔わぬように、
2人分弱の量を、美味しくないながらも胃に入れた。
メトロ6番の循環線は、急ぐ我々を意にも留めずにのんびりと運行し、
バスターミナルに着いたのは出発5分前だった。
バスの最前列と真ん中に二箇所備えつけられた液晶テレビで
映画が始まったが、スペイン語である上に声が聞こえないので、
退屈しのぎに即興のアテレコをしてみた。五分で飽きた。
窓から見る風景は、とにかく陽を反射してまぶしかった。
郊外のそこここで、大きな団地が建設されていた。
12時頃、鞄からチョコドーナツを出して食べた。
1時すぎには小休憩があり、何か食べたかったが
空腹というわけでもなかったのでやめておいた。
景色は次第に起伏を帯び、むき出しの黄色い丘の連なりに
低木が規則正しくどこまでも続いている。
あまりに規則正しいので、植林事業でもあったのかと考えたが、
そう考えるにはあまりにも広い。
また調べてみたい事項である。
グラナダに着いた15時半、さっそく次の目的地への切符を買うことに。
モロッコのフェズへの直行があり、なんと午前3時発の午后8時着。
ジブラルタル海峡に面した港町アルヘシラスから
フェリーでモロッコのタンジェに行き、
そこで現地の長距離バスを探すことにしていた我々は、
そもそも道程が休みなしでも17時間かかるとは知らなかった。
グラナダからアルヘシラスへのバスの始発は朝8時からで、
それに乗ってフェズに予定通り投宿できなくなることを危惧し、
たといその17時間のバスが90€以上もするとはいえ、
文句は云うまいと、思い切ってその高価なチケットを買った。
これで、グラナダの2泊は1泊になる。
友人の携帯電話に残ったクレジットでホテルに電話し、
とりあえず予約をドタキャンすることに。
旅全体への見通しがついたところで、
バスの窓口に併設された観光案内で地図をもらい、
見所を簡単に教えてもらった。
バスターミナルから市内へバスに乗り、グランヴィア1で下車。
そこから大聖堂の脇を抜けてホテルへ。
受付のおじさんは簡単なフランス語ができたので、
2泊を1泊に変更したい旨を云うと、
ネットカフェから予約サイトを通じて変更してほしいという。
取りあえず宿泊手続きのためパスポートを預けると、
おじさんはメモを取りはじめた。
部屋に荷物を置き、教えられたネットカフェから
予約の変更と、ついでにアルハンブラ宮殿の入場券のオンライン購入をした。
ホテルに戻るとおじさんは、まだ書いているからと、
パスポートを返してくれなかった。
30分経ってどうしてまだ終わってないんだ、と訝りつも、
予約の変更は完了し、キャンセル量も発生しなかったことに安堵した。
まだ五時過ぎで日没まで時間があったので、
アルバイシンという旧市街に行った。
丘の裾に位置し、細い迷路のような道を上ってゆく。
家はどれも飾りのない壁をしていて、
ときどきイスラム調の門があったりする。
アルバイシン地区の北には、小さな広場があって、
主に観光客がのんびりとしゃべっていた。
あまりにのんびりしていて、犬までが地べたに横臥して目を閉じていた。
谷を挟んで向かいにはアルハンブラ宮殿が森の中に建ち、
その遥か向こうにも山々の稜線が見え、とても景色がきれいだった。
細い道を行くため、路線バスも小型だったが、
それには乗らずに足で下りた。
広葉樹からヤシ、サボテンまで幅広い種類の植物が、
茶色屋根の連なりに映える、綺麗な街グラナダだった。
目抜き通りグランヴィアに戻り、歩いていると、
道に落ちているある物体を、友人が踏んだ。
口を指で左右にいっぱいに拡げながら「文庫」と云おうとすると
代わりに発音されてしまう、とある物体のことである。
日常から、その物体を踏んでしまうことに
異常なまでの恐れを感じている友人に、
たったいま起きてしまった事故のことを指摘すると、
彼は非常に悲しみ、犠牲となった靴との思い出を語りながら、
水たまりを見つけては熱心に浸し、噴水を見つけては洗っていた。
いろいろ歩いた末に良いレストランを見つけられず、
大聖堂近くで入ったレストランは観光客向けだった。
あまり美味しくないスープと揚げ物だったが、
パンとともに空腹は満たされた。
ホテルに戻ると、さすがにパスポートの写しは終わっていた。
シャワーはマドリッドの初日の部屋のように、
部屋の片隅に小さく仕切られたもので、なんとも入りづらかった。
部屋のベッドは残念なことにツインではなくダブルだったので、
寝ているときは掛蒲団の奪い合いだったらしく、
自分の無頓着な寝返りのせいで友人は寒い思いをしたようだった。
申し訳ない。
2.6.08
五月の旅行記3 マドリッド
19日
味気ないユースの朝食を無理に喉から腹に入れ、
今日向かう先は、と地図を開いた。
昨日、逆方向に出てしまい近づいていた王宮に行こうかと、
メトロに乗ってオペラ駅で降りる。
オペラの向こう側にひらけた広場の奥に見えた真っ白な建物は、
王宮というには小さすぎる気がしたし、
スペインというには白すぎるような気がした。
ルーヴルというよりオルセーという感じのコンパクトな感じが、
親密で心地よかった。
装飾もヴェルサイユのようなごてごて趣味ではなく、
部屋を移動するたびに変わる色調の、特に緑色には暖かさがあった。
かといって壮麗ではないというわけではなく、
ストラディヴァリウスが飾られていたりもした。
いまだ王国のスペインだが、王族が住んでいるようには思えなかった。
ということは、あの守衛たちは何を警備しているのだろう?
王宮の横にあるカテドラルは、アルムデナ大聖堂というらしい。
外観に違い、内装は現代的で興味深かった。
メッスの大聖堂といいパリのサクレ・クールといい
バルセロナのサグラダ・ファミリアといい、
かくもステンドグラスの色が澄んでいて美しいのは、
デザインなのか技術なのか。
中世風の絵があり、かと思えばルネサンス風の絵、
天井はポップアートや、キリスト教らしからぬ幾何学模様と、
一つ一つを見ると確かにごちゃ混ぜだが、
全体として不可思議に統一がなされているように感じた。
茨の冠をかぶり十字架を背負って苦しむキリストの像が、
自分としてはもっとも心を打った。
マヨール通りをソルへと向かい途中、
ムニュが9,50€のレストランがあったので入る。
内装がシックだったので量に覚悟をしたが、
ギャルソンはスペイン語の解らない我々に対し、
牛や羊の鳴きまねをしたりして懸命に料理を説明してくれ、
その料理もおいしかった。
ワインがボトルではなくグラス1杯だけだったので、
幸か不幸か、さして酔う羽目にも至らなかった。
長距離バスの時刻を調べるため、アトチャ駅に行くが、
レンフェ(スペイン国営鉄道網)駅しかなく、
もう一度地図を見ると、目的は隣の駅だった。
駅にはなんと中に小さな植物園と池があり、
その中を亀が何匹か泳いでいた。
せっかくすぐそばにソフィア王妃芸術センターがあるので、
バスは後回しにして入館する。
ダリの『大自慰者』『雨後の隔世遺伝の痕』など、
超有名な作品も多々あって、立ちっぱなしの脚の疲れさえなければ
いくらでも時の過ぎるに任せていたことだろう。
もちろん、目玉のピカソ『ゲルニカ』も、しっかりと観た。
センターを出て、メンデス・アルヴィロ駅からバスターミナルへ。
「オラリオ・ア・グラナダ、ポル・ファヴォーレ」という
正しいかどうかもわからない自称スペイン語で、
窓口でグラナダ行きの時刻表をもらう。
10時15分発のチケットを買い、
マドリッド最後の晩を美味しく締めくくるためソルに向かう。
「どん底」というゴーゴリな店名の日本料理店を探しつつ
見つからなかったときのために他のレストランも検討し、
ソルの南をさまよい歩く。
結局見つかった「どん底」は、やはり値が張る料金設定のため、
ムニュ10€の普通のレストランへ。
自分の頼んだ牛タンの煮込みも、友人の食した牛の脳みその揚げ物も、
これまでスペインで食べてきた料理の一、二を争う美味しさだった。
話も盛り上がり、会計を済ませたのが10時半過ぎ。
明日の出発もあるので、あまり乗り気ではなかったのだが、
昨日の夜にユースの受け付けて訊いておいたフラメンコの観られるカフェを探す。
11時までに見つからなかったら帰る、という自分の条件に対し、
友人は、尋常と遥かにかけ離れた方向感覚の鋭さを発揮して、
ものの20分もしないうちに、ほぼ最短ルートでカフェを見つけ出した。
30€少しを支払って入り、舞台前の席に通される。
踊り手たちはそう若くはなかったが、熟練が相当に映える踊りなのだろう。
歌い手の絶叫するような声の張り上げ方もよく、
まさにマドリッド最後の晩を飾るにふさわしい美しさだった。
ユースに帰ると、空きのベッドのうち1つに、おっさんが寝ていた。
五月の旅行記2 マドリッド
18日
八時過ぎに起き、身支度をしてすぐにユースへと向かう。
一時間ほど待ってからようやく二泊分のベッドを確保、料金を支払う。
建物の真ん中の吹き抜けスペースをエレベータが四階まで通っていて、
とてもゆったりしたユースだった。
荷物を宿から持ってきてロッカーに突っ込み、観光へ。
グランヴィアで市があるというので、メトロで向かう。
駅を出たそばから露店が軒を連ね、どこまで行っても果てずに、
サンダルやら安そうな衣服やらサングラスやらその他もろもろを売っていた。
スリやひったくりに注意しながら、店の連なるがままに歩き、
友人は中世の祭壇画のミニチュアのようなものを買っていた。
正午を過ぎて、このまま徒歩でプラド美術館まで向かおうと、
手許の地図と実際の通り名の標示を交互ににらめっこしながら、
あちこち行ったり来たりしながら、とうとう方向がわかり、
延々と歩いた末、なんと真逆の果てに行き着いた。
すでに一時前で朝食もない空腹には勝てようもなく、
スペインにしては高い12€のコースの店に入った。
もちろん飲み物はワインで、グラスに注がれた赤を、
喉の渇きから、一気に飲み干してしまった。
その後、料理とともに瓶の2/3ほどを飲み、
おかげで、メトロに乗ってプラド美術館に着く頃には
酔いが回って眠たくなってしまい、
せっかくのエル・グレコやルーベンスなどの名画の数々を前に
観賞に集中できなかった。
それでも、ボッシュの絵の素晴らしさには目を醒めさせられた。
六時半、友人との待ち合わせで美術館入り口に戻ると、
地球の歩き方ヨーロッパ版を盗まれたと云う。
入り口の空調設備の裏の隙間に荷物まとめて隠し置いていて、
戻るとなくなっていた、とのこと。
それは盗んだのではなくて持って行かれたというものだが、
取り返さねばと、受付に行ったりしたが、ないとの返事。
スペインにはこれから数日いるのに、そのための手助けが不意になくなったので、
フナックでロンリープラネットでも買おうかということも考えたが、
ないならないで仕方ないと、美術館を出てちょうどあった観光案内所で
無料の地図やガイドをもらう。
そこからメトロに乗る途中、妙なおっさんに、
日本人ということで日本人サッカー選手の名前を挙げられ、
脚を掛けてきたが、気をつけていたからか財布を掏られはしなかった。
ユースに戻り、夕食に街をうろついてみる。
昨晩に友人がラーメンを食べた界隈は中国人街で、
中華料理屋や公司が多かった。
結局、昨晩の友人と同じ店に入り、
野菜と魚の入ったラーメンを食する。
量は多くなかったが、久しぶりのアジアの味にほっとした。
ユースに戻り、汚いシャワーを浴びても
二段ベッドに寝転んで上板の落書きを眺めていても、
空いている二つのベッドを埋める人物は入ってこない。
珍しいことに書き物机があったので、
持ってきていた便箋を取り出し、待ち人に手紙を書く。
1.6.08
五月の旅行記1 ルクセンブルク、マドリッド
17日
朝6時半、前日に買って作っておいたバゲットのサンドイッチを手に家を出た。
明けきらぬ朝の薄い靄の中をÉtoile Bourseへ向かい、トラムで駅へ。
コライユでメッスへと向かうが、途中で減速、
おかげで20分ほど到着が遅れ、ルクセンブルクへの乗り継ぎが一本ずれた。
ルクセンブルク駅はコルマール駅ほどかそれ以下の規模で、
一公国の陸路の玄関口とは思えない。
実際、車のナンバープレートの国表示は
Lが多いものの、F(フランス)もD(ドイツ)も少なくない。
ここから、フランクフルト郊外のハーン空港へのシャトルバスを探さねばならないが
バスの停留所めいたものが駅前広場さながらに広がり、
どこに目当ての発着口があるとも知れない。
バスの運転手に聞いて指した方角に行っても、それらしい表示は何もない。
他の数人の運転手や駅員や、揚げ句の果てにはホテルの受付にまで聞いて、
結局見つかったのは、偶然そのバスがバス停の隅に止まっていたからだった。
ルクセンブルクの公用語は三つ。ドイツ語、フランス語、そしてルクセンブルク語。
それはもちろん知っていたが、標示としてはフランス語が優勢のようだった。
店の看板やホテルは、フランス語がまずあり、ドイツ語が下に沿えられていた。
もっとも、バスの運転手同士はドイツ語かルクセンブルク語かで話していたし、
尋ねた運転手の一人はフランス語ができなかった。
道行く人の声を聞いても、フランス語はそう多くはなかった。
ルクセンブルクは今回の旅行の第一の目的地として、
何を観光するか少しは考えていた。
しかし、空港へ二時間もかかる(その上20€もする)シャトルバスのせいで
駅舎以外には何一つ観ることはできずに終わった。
窓の外の風景に目をやって、
ドイツの農村風景はフランスのそれとは微妙に違う、
とぼんやり考えつつ、少し眠った。
ハーン空港から、今晩泊まるユースホステルへの電話を試みた。
予約票に、午后五時以降の到着の際は要連絡、と読み取れるスペイン語があったからだ。
しかしドイツ語表記の公衆電話の操作は煩雑で、結局いいや、と諦めた。
さっさと手荷物検査を通過して、友人の通過を待つが、
えらく遅れて出てきた。
コンタクトレンズの保存液の容器が大きすぎるということで
詰め替えさせられていたらしい。
カールスルエでもボーヴェでもジローナでもストックホルムでも許可されていたのに、
なぜ今駄目なのかは釈然としなかった。
逆に、ボーヴェでは通過できず破棄された顔面洗浄剤は、今回は問題なくくぐり抜けた。
フランクフルト郊外で1,50€のホットドッグを食べるのもよかったが、
単にパンにフランクフルトソーセージが挟まっただけだったのでやめた。
午后三時から二時間の飛行の終わりでは、地表はすっかりスペインになっていた。
畑と森の交互がフランクフルトの地表で、砂地にまばらな木々がマドリッドだった。
格安航空会社とはいえ、マドリッドでは他航空会社と同じ大きな空港に到着した。
空港からバスではなくメトロで移動できるメリットは楽だったが、
言葉と文字がスペイン語になっていた。
綴りを見れば大意は取れるが、発音は大きく違う。
メトロで回数券を買い、ユースの最寄り駅へのルートを探す。
マドリッドのメトロは広く伸びていてややこしいものの
構内は清潔で新しく、車両はデザインがストラスブールのトラムに似ている。
古くて汚く、階段の多いパリのメトロとは比べ物にならない。
アルゲレス駅を出て、手許の地図を見ながらユースにたどり着く。
予約票を見せるが、案の定すでに五時を過ぎて予約は取り消されていた。
スペイン語しかできないおばちゃんは、それでも別の安宿を手配してくれ、
明日の朝に来るように云った。
その宿は、ユースから歩いて十分もかからない場所にあり、
何の変哲もない住宅のなりをしていた。
扉のブザーを鳴らし、自分の名前を云うと鍵が開いた。
シャワーと洗面所はあるがトイレは共同という一室に通され、
パスポートを見せて一人15€支払った。
昼に何も食べていない空腹を満たすべく、
荷物を置いて早速、マドリッドの街に繰り出した。
賑やかな人通りの中を、スペイン広場を抜けてソルに至る。
夕陽を受けたアブランテス宮殿の脇を抜け、
マイヨール広場への途中にレストランを見つけ、
観光客向けで英語メニューなどもあったが、空腹には堪えられずに入った。
店には豚のおそらく腿の肉がずらりと吊るしてあって、圧巻だった。
自称、ペルー出身で日本人の奥さんのいる店員がうるさかったが、
友人はイベリコ豚のハムのサンドイッチを、自分は揚げ物のセットを食す。
パンがカスカスでまずい上に別料金だった。
近くで賑やかな音楽が聞こえてきたが、
食べ終わるころにはもう終わったようだった。
マイヨール広場に行くと人だかりができていて、
ほどなくすると、巨大スクリーンに司会のような女性が映し出された。
広場に設えられた舞台でのオペラを映し出しているのだった。
スペイン語が解れば面白いのだろうが、人物たちの動きと音楽を楽しむしかない。
しばらく観た後、宿に戻った。
友人はさすがにハムのみのサンドイッチだけでは腹が満たされなかったのだろう、
自分がシャワーを浴びている間に、
中華料理屋でラーメンを食べてから帰ってきた。
16.5.08
赤頭巾ちゃん、ふたたび
No short-haired, yellow-bellied, son of tricky dicky
Is gonna mother hubbard soft soap me
With just a pocketful of hope
Money for dope
Money for rope
The BeatlesおよびJohn Lennonを久しぶりに聴いた。
音楽はそのときの気分が択ぶものだ。
暗い曲ばかりを流した。
『ライ麦畑でつかまえて』を時代の影響に結びつける人が嫌いだ。
ロスト・ジェネレーションだとかそういうたぐいの。
フィービーという妹なんて、現実世界にはたいていいないから、
だから人はこの作品が大好きなんだと思う。
私も含めて。
でも、そんな甘え?を中途半端だと思って、
窮極まで突き進まなければ気が済まなくて、
不条理文学にまで行き着いた。
ここからもはるかに長い道を、このまま行けば、
孤独にはなれる、でも、孤独には別の辛さがある。
丘の上の愚か者でいたい。
14.5.08
パリ・メトロの思い出を掻い摘んで
おもろいページを見つけた。
パリのメトロの駅風景と駅の外の周辺の風景、
さらには、(声は違うけど)駅名アナウンスまでしてくれる。
パリのメトロの雰囲気と思い出は充分すぎるほどリアルに反芻できる。
http://www.metro2003.com/metro/station/
初めてメトロに乗ったのは確か27/12/2007。
初めてパリに行った日だ。
メトロの切符代惜しさとパリの街を歩きたい気持ちから、
東駅からルーヴルまで、サン・ドニ大通りを歩きつつ、
怪しい街だな、と思っていた。
その界隈がパリ随一の夜の街と知るのは後のこと。
その日はパリ観光もそこそこに、
パリにあるとは名ばかりのボーヴェ空港から
バルセロナへと飛ぶことになっていた。
市庁舎のあたりからバスが出ているはずが、
ポルト・マイヨからと市役所で訊いて知って、
最寄りのオテル・ド・ヴィルからメトロに飛び込む。
しかも遅れまいとあまりに動転していたため、
料金一律なのに「ポルト・マイヨまでの二枚!」と窓口で急いていた。
バルセロナ観光を終え、大晦日の昼前に着いたポルト・マイヨから
パリを見て回るぞ、とまたもメトロに乗らずにホテルまで歩く。
凱旋門もアルマ橋もエッフェル塔も士官学校も過ぎ、
昼食抜きのまま午后二時になって、次第に士気も下がり、
ガリバルディ大通りのメトロ高架下から覗いたマクドを見つけたときの嬉しさ。
二月末、待ち人を迎えに行った。
アヴィニョン市街地から出発して、
アヴィニョンTGV駅→パリ・リヨン駅→メトロ→RER→CDG2→CDG1。
人の大波に呑まれそうなリヨン駅からシャトレ・レ=アルを経由してCDG2へ。
シャトレもレ・アルも別のメトロ駅なのに
RERでは同一駅なので、歩く、歩く、歩く。
時期かどうか知らぬがA線は混んでいる上に殺気立っていた。
フランス語でのやりとりの困難を含め、
どんなわずかな心配もさせないように心に決めていたのに、
逢う直前にRERの混雑に呑み込まれたのだから、
待ち人の観光中の一番大きな懸念は、メトロでの移動になった。
ホテルは20区のポルト・ド・モントルイユの脇で、
市中心部まで20分ほど9線で揺られねばならなかった。
それでも、幸いなことに何も厄介は起きなかった。
観光客でいっぱいになる時期の少し前を
一緒に過ごし、待ち人は朝に帰っていった。
その日は魂が抜けたようになって、
ルーヴル美術館のメソポタミア、オリエント美術をふらふらと見て回った。
東駅からレピュブリック広場に至る道を楽しむには、
アメリが映画で水切りをしたサン・マルタン運河に沿うのが正解だ。
三月、家族とオルセー美術館で落ち合うとき、
時間があったので東駅から運河沿いに歩き、
レピュブリック駅からバスティーユ、次いでコンコルドで乗り換える途中、
バスティーユ駅で電車が動かなくなった。
おかげで、国民議会駅で降りてから走る羽目になった。
家族はサン・ラザール駅周辺に宿を取っていて、
私が荷を降ろしたクリシーのユースホステルは、
パリ外という若干の不便さの予想とは裏腹に、
同じ13線で乗り換え不要という長所があった。
13線は北で分岐し、一方はクリシー、他方はサン・ドニへと向かう。
クリシーに泊まりサン・ドニ教会を観光して、
分岐の両方ともを制覇した。
カンからの帰路、同行のアルザシエンヌは、
その13線の南端のマラコフに住んでいたことがあると云って、
路線図を前にして、にわかに饒舌になった。
5.5.08
4.5.08
好きな言葉、聖書から
持つ者は更に与えられ、持たざる者は持っているものまで奪われる。
On donnera à toute personne qui a, mais à celui qui n'a pas on enlèvera même ce qu'il a.(ジュネーヴ聖書教会版)
ルカによる福音書、19章26行。
これは、イエスがした一つのたとえ話のなかの言葉。
主人が留守中に、三人の僕に均等に金を託す。
二人は事業をやって稼いだが、一人は減ることを恐れて大事に取っておいた。
何もしなかったその者から金を取り上げ、もっとも稼いだ者に与えた。
その際の主人の言葉である。
ここで、金とは何なのか。
価値あるもの一般なのか、文字通り金銭のことなのか。
金銭が価値を示す抽象概念の具現化したものである以上、
どちらであれ同じことだが、
皇帝のものは皇帝に返しなさい。として貨幣経済を退け、
使徒言行録で言及されているように
原始キリスト教が共産主義的な集団であったのだから、
金銭を示しているのなら自家撞着的である、ということに
ひっかかった、というだけのこと。
数ある中で、ある一本の価値体系のみが
排他的であるまでに強く評価される世界。
原始キリスト教なら信者獲得だし、
中世なら神学体系への貢献度か何かだろうし、
現在ならもちろんカネ。
そんな非情な一元化を鋭く言及している。
よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな。
Ecoutez, mais sans comprendre; voyez, mais sans connaître.(クランポン訳版)
イザヤ書、6章9行。
信じる、ということの本質を示しているように思われる。
ある対象があって、それへの接近への切望と
理解への不可能性(断絶)とが、同時に存在するとき、
その存在をまるごと呑み込んで内部で保持することで、
全面的受容という理解の亜種(決して理解ではない)
を感じる行為が信仰であると、私は個人的に考えている。
すべては塵から成った。すべては塵に返る。
Tout a été fait à partir de la poussière et tout retourne à la poussière.(ジュネーヴ聖書教会版)
コヘレトの言葉、3章20行。
「コヘレトの言葉」は聖書の中では異色で、
厭世観と輪廻思想で満ちあふれており、
それを詩的な美しい文章で綴ってあるから好きだ。
思わず書き出したくなるような文章が多いなか、
とくにこれを選び出した理由はないが、
でも美しいでしょう。
コヘレトの言葉という文章自体も、
この書物が聖書に収められていることも、
共にヤスパース的であるように思う。
29.4.08
アメリカの51番目の州としての日本
日本はアメリカの51番目の州だから、などとうそぶく声がちらほら。
しかし、それは本当に悲嘆なのか?
だが私の異見では……もしそうなれば天国じゃないか!理由は簡単、アメリカの人口が約三億、日本の人口が一億三千万。
下院の代議士の40%以上が日本で選出されることになり、
日本州の影響力の大きさはえらいことになる。
一州にかくも大きな権力が集中してはたまらんと、
いくつかの州に分割されたとしても、
されればされるだけ、今度は上院の影響力が増すことに。
こうして、立法権は日本列島がいただく。
司法は、アメリカ人には理解不能なほどに慣習が違うということで、
勧告を受けて法律を書き換えさせられるか、
自治が拡大されるかだが、
日本の官僚は本質的に八方美人なので、
慣習と成文化の間で堂々巡りになるだろう。
そうして、アメリカ中央と日本官僚の我慢較べのようになる。
でも最高裁はアメリカ中央のものなので、
結局は日本も訴訟天国の様相を呈することになるだろう。
司法権はアメリカの勝ちだ。
ただし、アメリカは無口ないいなりの日本を求めていて、
なんでもかんでも訴えるような日本になることを避けようと、
司法権は完全に自治として認めるかもしれない。
いや、そのほうが確率は高いかもしれない。
行政はもっていかれるだろう。
小泉圧勝からわかるとおり、
長いものに巻かれやすく、宣伝にころっと騙される日本民衆など、
アメリカの大統領選ではちょろいもんである。
しかし、人口の40%強を占める日本州がほぼ勝敗を決するため、
次第にわがままになって他の50州を操る位置に上るかもしれない。
最後に、軍事。
せっかくの憲法に反して再軍備論の根強い意見と、
アジアを押さえる絶好の地理を生かそうとする米軍の意図が一致し、
日本は列島全体が沖縄状態になることは間違いない。
もちろん、中国と北朝鮮の動向を慮って、ゆっくりやるだろうが。
高い技術力に後付けされた永久軍需のような状態になって、
経済的にはウハウハになるだろう。
ボーイングやらが拗ねて少しシェアをピンハネされるだろうが、
新興需要なのだから間違いなく潤う。
以上の考察(笑)により、
もし日本がアメリカの州になれば、
香港の資本主義が大陸中国の社会主義を換骨奪胎したように、
喰われた日本がアメリカを操れる。
ただし、そうなると大陸アメリカ側に不利なので、
併合はないものと思われる。
経済的に依存状態にある中国との関係悪化を避けるため、
したくてもできないし、
すでに財政を圧迫している軍事予算がもっと悪化するなら、
独自予算で北朝鮮などアジア諸国を見張っている日本軍は
そのまま保持しておきたい。
結論:
日本はアメリカの保護領か、よくて準州。
28.4.08
25.4.08
宇宙は何でできているんだっけ?
前、ノルマンディーに旅行に行く前日、というか当日深夜、
ふと駆り立てられるように書いて中断した内容を、
もう忘れてしまった。
なので、今、いい加減に接ぎ木して書く。
というか、私が書くようなことなど何もなくて、
用はアンダーソンとかルーマンとか読めばいいだけ。
なので、やっぱりやめた。
ノルマンディーで心に残ったことのうちの一つ。
カルヴァドス県カン市郊外のノルマンディー上陸作戦記念館に行った。
総力戦、というものの凄まじさを初めて目の当たりにした。
学校での学習は、それは単なる歴史全図の中での解釈だから、
資料の羅列から自分の頭の中で再構築するのとは訳が違う。
第二次世界大戦とは、窮鼠猫を噛むような尊王攘夷の狂気が
連合国に負けた、という一転換点およびその悲劇群と考えていた。
だが、どうやらそうではないらしい。
尊王攘夷であれハイル・ヒットラーであれ、
それは第二次大戦の中枢を占めない、
単に民衆を巻き込むための宣伝材料だ。
言い換えれば、
ファシズム国が暴走しはじめたから連合国が打ち負かしたのではなく、
連合国にも尊王攘夷と同様の狂気があった。
アンチ・ファシズムとアンチ・ボルシェヴィキの恐怖である。
後付けの論理に筋が通っていようがいまいが、
その当時の受容がスローガンであり恐怖心であれば、
それは狂気として、自ら死へと駆り立てる原動力となる。
二つの対立する狂気がぶつかった戦争こそが、総力戦だ。
総力戦とはつまり、産業と生活すべてを費やされた戦争ではない。
むしろ、相手方への嫌悪と排除の願いが
生命を越えて第一義の目的になっている状態にこそ本質がある。
どうしてそう思うに至ったかというと、
記念館には、気運昂揚のためのおびただしい資料があったからだ。
枢軸国がそうだとは、学校で習ったが、
連合国までもそうだと気づかされたのは初めてだった。
ただし、記念館には重大な欠陥が二つあった。
一つは、アメリカを英雄視していること。
Jour J(英語名:D Day)がアメリカの支援なくして立たず、
それを記念する博物館なのだから、当然ではあるが。
二つ目は、イギリスやフランス内でもファシストの動きがあった事実に
言及されていなかったこと。
二項対立の図式から対戦の流れを容易にするためかもしれないが、
これはフェアではない。
第二次大戦は、通貨ブロック間の戦いであって、
ファシズムか反ファシズムかは、それを二チームに括り上げるための
最終決定機能でしかない。
ファシズムは通貨ブロックの拡大を意図して起こった。
反ファシズムだから立派な国というのではなくて、
既に広大なブロックを得ていた国だからこそ
ファシズムへ傾倒する前に考える余裕があった、というだけだ。
こんな議論もさることながら、
記念館でもっとも衝撃だったのは、30分ほどのドキュメンタリー映画だ。
前半は画面を二分して攻撃側と防御側の両方からみたJour Jの映像。
後半は、上陸からノルマンディー解放にいたるまでの
アメリカ軍礼讃だ。
後半は、映像と画像のほかはどうでもよかった。
前半は10分ほどだったが、涙が出た。
両軍、淡々と攻撃に備え、そして爆撃と銃声の下、人が死んでゆく。
すべて終わり、野原に所狭しと並んだ、無数の白い十字架。
その一つずつに、抱えきれないくらい家族も思い出も未来もあったのに、
みなひとまとめにされて同時に絶たれた。
24.4.08
最近観た映画
・ペンエグ・ラッタナルアーン『地球で最後のふたり』
理由はわからないけれど好きになった。
理由を探すためにもう一度以上観なければならない。
嬉しい義務だ。
・大島渚『御法度』
新解釈の新撰組だが、新撰組は単なるフレームワーク。
みんなみんな大まじめに変態で、大爆笑した。
それでいて色づかいの綺麗なところはさすが巨匠だ。
・庵野秀明『ラブ&ポップ』
日常の彷徨からその果てにある小さな出会いと変化という
『ライ麦畑でつかまえて』『赤頭巾ちゃん気をつけて』の類型だが、
カメラワークが斬新で、無造作に切り取られた都会の景色を楽しんだ。
この最近の三本で、浅野忠信のファンになったかもしれない。
『アカルイミライ』『座頭市』『地雷を踏んだらサヨウナラ』
でも、観ている俳優だと知った。
こういうとき、Wikipédiaは便利だ。
データベースとして。
19.4.08
ニュース雑感
・Jパワー株買い増し中止勧告
日本の資本主義がまだまだ見かけ倒しであることの露見とみる。
バブル後から、企業同士の株の持ち合いなどはだいぶ減ったが、
会社が株主を選ぶのが厭ということが平気で云える国は、
善し悪しは別にして、資本主義ではない。
というか、日本は社会主義なのではないかとすら思う。
事実、誰が云ったか忘れたが、高度経済成長は非常に社会主義的だし、
社会主義と云えばの代表格中国の資本主義化の凄まじさを見ていると、
民営化のやり方がうまいのは明らかに中国だ。
ここで反感を覚えるなら、自分で調べてみなされ。
で、それでもやはり国策企業なのだから勧告は正しいというのなら、
株式を公開しなければ良かっただけの話。
・食糧難とジャガイモ
小麦やトウモロコシなど食糧の価格高騰はインフレといってよい。
例えばフランスのストラスブールでは、
去年九月に最安で0.60ユーロだったスパゲッティー1kgが
今は1ユーロに届こうとしていて、
同じく、食パン500gは0.40ユーロ→0.65ユーロ、
牛乳も1.5倍以上に騰がっている。
そんな日々、ロイターで見つけた記事によると、
世界的食糧難の現代、ジャガイモが救世主になるかもしれない。
ただしジャガイモには世界的な市場がなく、
一定の価格がないということらしい。
私見だが、ここで調子に乗ってジャガイモを国際市場で取引し始めると、
地球環境変動と人口爆発から推して投機チャンスとされ、
先物のような信用取引あたりからぐいぐい価格が上昇するのではないか。
救世主と思っていたが一気に値段が騰がってしまう、
ミイラ取りがミイラになってしまうというわけだ。
・世界のソブリン・ウェルズ・ファンドの運用額が急増
SWFで有名どころは、古株テマチクや最近目立つオイルマネーだが、
それはよいとして、中国に次いで二位になったものの
まだまだ巨額な外貨準備をどうにかしないと、
そのほとんどをドルで持っている限り、
せっかく汗水垂らして国民が納めた血税を
どんどんドル安に比例して失ってゆく、という事実が気になる。
代議士の一部に、日本もSWFを、という声があるようだが。
今や外貨準備高一位を誇る中国は、
市中の元が増えてインフレ管理できなくなっちゃうということで
SWFのなんとか投資公司を急ごしらえしたが、
ノウハウのなさのせいでうまくいっていないようだ。
そうでなくとも年金の運用もへたでどんどん目減りさせている日本が、
SWFなんて器用なことできるとは到底思えない。
なお、SWFの運用額増加はというと、
ドル安が他の金融資産の相対的上昇として現れただけに思われる。
原油額上昇も、ドルの信用低下にほかならず、
この際、基軸通貨をドルなんていう紙切れではなく、
石油なりトウモロコシなりにしてしまえばと思う。
縦軸のドルとグラフ状の曲線の石油価格を逆にして、
計算上で石油を基軸としてドル価格の変動を見たら、
ドル安がいかに凄まじいかわかろうというもの。
そういえば、マイナスの価値を持つ二酸化炭素排出権を
基軸通貨にしてみたら、という、思考のヒントのような記事を、
日経ビジネスオンラインで読んだことがあった。
あれは、なかなかおもしろかった。
17.4.08
宇宙は何でできているか
以下は完全に雑記である……
だから、journal en miettesってタイトルの下に書いたのだけれど。
宇宙は何でできているか。
物質でもなければ反物質でもない。
事実、宇宙ができてほんのわずかな間に物質と反物質はぶつかり合い、
ほんの偶然によって優越した物質が勝った、というだけ。
にもかかわらず、宇宙に物質が満ちていようなど前提するとは!
宇宙は物語でできている。
詩的でかっこいいでしょ。
学問的に云うならば、宇宙は情報によって構成される、かな。
歴史とは何か、という問題に突き当たる。
歴史とは、時間の不可逆性によって
可能世界から峻別された、一本の現実世界である。
重要なのは不可逆性だ。
一度定められてしまえば勝ちという単純な二項対立を生む。
ある一時点はその一つ前に依るので、
一つのものが急変せずに形をとどめやすい。
個人も組織も国も社会も、そうやってアイデンティティーを保つのだ。
前から存在していたから、という、詐欺みたいな存在理由、
それをもっともらしく肉付けしているのが歴史、ということになる。
……話はここから、社会の自己生成的性質へと続き、
エントロピーを糞味噌に援用しながらメディアの社会的意義に至る。
だが、明日の朝はなんと5時40分に起床しなければならないというのに、
今は深夜の1時半。
てなわけで、寝ます。
補注。
宇宙は少なくとも7以上の奇数次元だ、と聞いたことがあるから、
時間の不可逆性に拠るのは間違っているよ、という御仁には、
棲んでいるこの世界をそんなどえらい多次元そのままの姿で
感知しているのかと問いたい。
人間が自由なのはどうしても三次元までで、
理論的に多次元であっても仕方がないじゃないか。
そのギャップを埋めるのが哲学、認知科学なのでしょうが。
どんなに素晴らしい本だけが机に置かれていたからといって、
読まれて解されなければ無意味なのですよ。
14.4.08
ある作家の死
偶然訪れた文藝評論家の富岡幸一郎のブログで知ったのだが、
小川国夫が四月八日に亡くなったらしい。
追悼。
初めて読んだのは高校一年のときだったか、二年のときだったかで、
静かで陰翳のある地中海の風景を憶えているから、
おそらく『アポロンの島』だろう。
『或る聖書』も手に取ってみたが、どちらも難しかった、
というか、独特のキリスト教的な世界観がアホの高校生には理解できなかった。
それでも、譬喩の臨場感には圧倒された。
文芸誌では追悼特集が組まれるんだろうか。
これを期に、ちょっと手に取ってみようか。
問題は、小川国夫って新刊本屋にはほとんどないこと。
講談社の文芸文庫にはあるかもしれないけれど、あれは高すぎる。
話戻って、富岡幸一郎のブログ、おもしろい。
RSSリーダーに登録しておこう。
12.4.08
ジュラで考えたこと 2
和辻哲郎の『風土』を読みつつ、

ヨーロッパをWiese(牧場)とみる洞察には、
そのヨーロッパにいながらにして驚かされる。
牧場としてのヨーロッパは低湿に起因すると和辻は云う。
実感としては妥当に思われる。
私がストラスブールおよびパリで驚いたうちの一つに、
雨が降っても、あまりまじめに濡れまいとしないことだ。
着ているものにフードがあればそれをかぶり、
なければないで濡れるにまかせる。
半分冗談と思うが、濡れると頭髪に良いと思っている人も少なくないとか。
彼らにとって、小雨程度でもすかさず傘をさす日本の風景は、
さながら過敏症のような印象を与えるに違いない。
ただし、一度傘のないときに雨に降られてみるとわかるが、
ここの雨は「湿気ていない」。
矛盾した表現だが、云い得て妙だと思っている。
四月のような雨がちで霧も出るような時期で
ない限り、
降雨はあまり持続せず、粒が小さく、湿度上昇を伴わない。
ヨーロッパの雨はこういうものである、
これがフランス生活のなかで発見した帰結だった。
だから和辻が云うように、野は牧草で覆われ、雑草も苔もない。
しかし、ジュラはそうではなく、
例えば森を散策すれば木の幹は苔に覆われ、
日本ほどではないがススキのようなぼうぼうの草が散見される。
そして重要なのは、湿気ているということだった。
四月だからかと思ったが、一時的だけなら苔はこうは生さない。
写真はRevignyの村からすぐに歩いてゆける山道の脇で、
森の奥深くはないために木々は細いが、
BoissiaからClairvauxの湖に抜ける森は、
さながら箕面の山にいるような感覚を受けた。
ジュラの実家に招いてくれた友人に訊くと、
やはりこのあたりは湿気ているのだという。
もちろん、モンスーン型というわけではないだろうから、
少し湿気ていようとも気候が日本のようになるはずはないけれど、
フランスでかくも苔の生えた土地があると知っただけで、
自分にとっては発見だった。
10.4.08
ジュラで考えたこと
ポーランド系フランス人の友人の実家に、留学生四人で遊びに行った。
ストラスブール駅からコライユで三時間半揺られ、
ジュラ県の中心都市ロンス=ル=ソニエ(Lons-le-Saunier)の駅で下車。
友人の母と義父の運転する車にそれぞれ乗り込み、
人口300人ほどの村ルヴィニ(Revigny)にある彼の実家へ。
15時過ぎの昼食にラクレットを頂く。
日本の地形を「列島に太い山脈が一本」と乱暴に概観するなら、
フランスは「東から西へとなだらかに傾斜する六角形」といったところ。
その頂上のあたるジュラ山脈が、いうまでもなく県名の由来。
寝泊まりしたのはルヴィニではなく、
そこから車で10分弱のボワシア(Boissia)。
友人一家は避暑地として使用するため、
まだ寒い春の四日間、我々のものになった。
他に訪れた村は、ボーム=レ=メッシゥー(Baume-les-Messieurs)、
シャトー=シャロン(Château-Chalon)、
クレルヴォー=レ=ラック(Clairvaux-les-Lacs)。
それぞれ三者三様の景色と地形に位置するが、
重要なのは、どれも日本語の市町村の「村」ではない。
「集落」である。
フランスにはおそらく日本の行政区分の「村」は存在しなかろう。
それぞれの集落が村である。もちろん村ごとに村役場がある。
建物は一般の住居と見分けがつかず、
Mairieと書かれていないと役場とはわからないが。
たとえば平成の大合併なんてものはフランスでは想像できなかろう。
規模がどうであれ家の集まりの一つが市町村である。
見たままの原理が行政区分に敷衍されている。
ただし、大きすぎるものはいくつかに分割する。
自治が弊害されないようにするためだ。
日本の市町村は、そうではない。
ある程度の面積で括り、市なり町なりとして「まとめあげる」。
フランスの村は、日本で云うなら字(あざ)に当たろうか。
ただし、それぞれの字には役所はない。
何か手続きがあれば、車を飛ばして役場に行かねばならない。
どちらが地方分権的だろうか。
地方住民への配慮をしているのはどちらだろうか。
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